ユッカ
朝からずっとタチバナさんが難しい顔をしている。
カメリアさんの魔法薬で咳が止まった翌日、タチバナさんは黙々と、天秤にきれいな石を積む作業をしていた。傾いたら別の石を乗せ、また傾いたら――と、釣り合うまで石を積み上げている。
天秤は黒い革のマットの上に置かれ、黒い革のマットには複雑な意匠が施されている。
天秤が釣り合ったところで、タチバナさんは右側の天秤から石をとり、マットの上にぶちまけて、しばらく難しい顔をした。
「カメリア」
タチバナさんがカメリアさんに声をかける。
「なに? わたし、魔術のことは全然分からないよ」
「カメリアに寄生していた悪魔は、どんなだったかわかるか?」
「さあ……そのときわたし半分生きてなかったから」
「それならあたしが知ってる。顔もない白くてニョロニョロしたやつで、なんか捨て台詞を吐いていなくなったっけ」
「捨て台詞……? あの下等悪魔が言葉を発するわけがない……まさかな……」
タチバナさんはこんどは燭台を出してきた。蝋燭を並べて火をつける。
「ううむ……そのまさかかもしれんなあ……嫌な予感ばっかり当たって本当に嫌だ」
タチバナさんはそう言うと蝋燭の火をすべて消した。
ちょうど昼ご飯の時間なので、袋麺を煮ることにした。
「あのさ、ずっと気になってたんだけど、なんでカメリアさんのお母さんは最初からあの一発で悪魔の出ていく薬を使わなかったの? 最初からあれにしちゃえば手っ取り早いじゃん」
沸いた鍋に麺をいれて煮ながらそう訊ねる。カメリアさんは、
「たとえば、かさぶたっていきなり剥がすと痛いじゃないですか。乾ききってぺりっと取れるまで待ちますよね」
と、とても分かり易いたとえで説明してきた。つまり、あの薬は最初から使える薬ではなかった……ということらしい。
「つまり、相手にする悪魔がある程度大きくならないと、あの薬は使えないわけです」
「なるほどそういうことかあ。ふむ」
煮えた袋麺をどんぶりに移動し、でんでん! とテーブルに出す。タチバナさんは、
「また袋麺か」と作ってもらっているくせに偉そうに嫌がるので、
「そんなに文句あるなら自分で作って」
と言ってやった。そうしたら不服そうな顔をしながら、
「いただきます」と言って食べ始めた。
「いただきます」カメリアさんも続く。あたしも「いただきます」と食べ始める。
「あの悪魔はおそらくカメリアの、人生に一度の青春を吸い取って、寄生虫型の悪魔でありながら言葉を発せるほどに成長したのであろうな」
はふはふ言いながら麺をすすりつつ、タチバナさんはそう語る。ううむ、とあたしも麺をすする。
「青春は人生でいちばんまばゆい時代だ。それを吸い取ることで肥大化し、カメリアの人生の半分を奪ったんだと思う」
「……まばゆい時代、かあ」
あたしはため息をつく。確かに中学生高校生のころは、意味もなく生きるのが楽しかった。学校の成績はふつう、ないしふつう以下だったけれど、友達がいて、先生にあだ名をつけたり、夜中にメールでくだらないことを話したり、プリクラを撮ったり、みんなでアルバイト代を握りしめて県都のファッションビルに乗り込み服を買いまくったりした。楽しかったなあ。
その友達もだいたい東京に行ったり県都に行ったりして、結婚して子供がいる、なんてのもざらになった。こうやっていつまでも独身で小さな花屋を切り盛りしていていいのか、という気もするが、もうあの頃には戻れないのだし、自分の人生だと受け入れて生きるほかない。
袋麺ランチが終了した。どんぶりをざばざば洗う。
昼間のテレビ番組は面白いのがなくなってしまった。いいともとか面白かったのになあ。いまじゃすっかりどの局も似たりよったりだ。
「――奪われてしまった青春を、また取り戻す方法はないんでしょうか」
カメリアさんはそうつぶやいた。おそらくあたしに言ったんだ。あたしは、
「わからないよ……仮にカメリアさんに青春があったとして、なにをしたかった?」
「……そうか。わたしたち魔法使いは十四で家を出なきゃいけないから、そもそも青春と無縁なんですね」
「そんなことはないぞカメリアよ。僕は学院でとてもよい青春を過ごした。魔法使いだって、出会いや別れや、友情や恋愛があったはず」
みんなで黙り込む。というかタチバナさんみたいなひとに「友情や恋愛」があったというのがそもそも信じられないので、黙り込むほかない……という感じだ。
「まあ、そこはどう取るかは個人の自由だ……ぼかぁもうちょっと調べを進めているから、夕飯の買い出しにでも行きたまえよ」
「わかった。店番もお願いしていい?」
「かまわんよ。ああ、カメリアの商売相手がいらっしゃるんだったか。その神経痛の薬も渡しておけばいいな?」
「よろしく。じゃあいってきまーす」
カメリアさんと軽トラで家を出た。軽トラは三人乗れないので、みんなで出かけるわけにいかないのがつらい。
フジノヤについて、店内に入るとごく小規模な商売敵のテナントが目に入った。すごく立派なユッカの鉢が、八千円で売られている。とても手入れが行き届き、しみじみと、
「はあ……いいなあ」とつぶやいてしまうような美しい姿の木だ。
「どうしたんです? なんだろこれ……青春の木?」
「青春じゃなくて青年の木ね。ユッカともいうね。観葉植物だよ。……でも競合他社だからスルーだ」
「そっか。アジサイさんの花屋とは商売敵なわけですもんね」
というわけでいろいろと夕飯の材料をカゴにつっこみ、レジを通して帰ることにした。
カメリアさんはどうやらよほどそのユッカを気に入ったらしく、ずっと見ている。
「……明日花卉市場行ったら仕入れてこよっか? こんな大株だと高いから、採算度外視となるともうちょっとかわいいのになりそうだけど」
「いいんですか? やったあ!」
ワガママが通って喜ぶカメリアさんは、どこまでも中学二年生だった。
家に戻ると、タチバナさんは奇妙な機械をいじっていた。ぱっと見はコンピュータのように見える機械で、だけれど電子的な部品は用いておらず、横には瓶詰の悪魔が置かれている。瓶詰の悪魔はキィキィ言いながら、瓶の中でじたばたしている。
「うむ――うむ。割れたぞ」タチバナさんはそう言い、画面――鏡で出来ているようだ――を指さした。画面には、鳥の死骸をばくばく食べる、カメリアさんから出ていった悪魔と、それを囲む悪魔教徒の姿が写っていた。
「この悪魔は『嫉妬』でアジサイくんを狙った」
「嫉妬……」
そうだ嫉妬だ、とタチバナさんは言う。
「どうやらこの悪魔、カメリアに寄生してカメリアの人生を奪ううちに、カメリアを好きになってしまったらしい。まったく――この愛されキャラめ」
タチバナさんはそう言ってカメリアさんを小突いた。
夕飯はナスの揚げびたしと冷凍食品の肉シュウマイにした。それなりにおいしい夕飯のあと、カメリアさんはもののよさそうなシルクのパジャマに着替えて、
「アジサイさん。明日青春の木忘れないでくださいよ」
と言ってきた。青年の木ね、と訂正するも、カメリアさんはまるで小さい子供みたいに、何度も何度も、青春の木と言い間違えるのだった。
三人でぼーっとくだらないバラエティ番組を眺めてから、それぞれ寝室に戻った。なかなか寝付けず、天井をぼーっと見て、カメリアさんの失った人生の半分を考える。
青春かあ。もう朱夏の年頃なんじゃないかな、あたしら。
寝坊しないように、無理に目をつむった。
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