ツタ
さて、休業日。
のんびりと寝坊して、あたしはのんびり朝ごはんを作ってテーブルに食器を並べた。眠そうな顔のカメリアさんと、もう目がぱっちり覚めているタチバナさんに、
「ねえ、温泉いかない? きょう休業日だしさ」
と尋ねてみる。
「温泉……って、火山の熱で温められた地下水ですよね」
カメリアさんが理知的にそう返事をする。どうやら魔法の国の温泉は箱根の大涌谷みたいな、硫黄の匂いのする「地獄」的な場所らしい。温泉に入浴するという概念がそもないのである。
「気持ちいいんだよ、日ごろの疲れがざばーっと洗い流される感じでさ」
「面白そう。行ってみたいです!」
「で、でもそこは、一人で入る家の風呂みたいにすっぽんぽんになって三人で入るのだろう……? 恥ずかしい……」
なぜか恥ずかしがるタチバナさん。だーれも気にしないよ、というと、まるっきり子供の顔をしている。あのねえ、と説明する。
「この日本って国じゃ裸でみんなでお風呂入るなんて当たり前なわけよ。べつに女同士なんだし隠すところないでしょ?」
「い、いや、まあ、そうだが……そ、そうだな。行こう。温泉!」
というわけで、あたしたちはお風呂セットを抱えて、バスターミナルに向かった。街はずれの山のほうにある日帰り温泉、「蔦岡荘」に向かうのだ。
蔦岡荘は、山の中にある小ぢんまりとした温泉施設である。泉質はアルカリ性で、肌がつるつるになる。小さいころよく家族で行ったものだ。日帰り温泉のわりには、いろいろ設備は充実しているし、ご飯を食べられる食堂もある。
バスにしばし揺られて、蔦岡荘に着いた。「山ぶどうソフトクリーム」ののぼりが立っており、相変わらずけっこうぼろっちい。
三人で入ると券売機がある。これって大人三人を押せばいいのかな。いや、タチバナさんは見た目が小学生だから大人二人子供一人でいいのか。とにかく入浴券を買う。
女湯にまっすぐ向かい、ロッカーにカバンを仕舞って、服を脱ぐ。
「オワーッ!」
タチバナさんが奇声を発した。なにをそんなに驚いているやら。
「ほら早く脱いだ脱いだ。お風呂入んなきゃ」
「う、うむ。うう、しかしはずかしい」
タチバナさんが渋る一方、カメリアさんのほうはいっさい気にせずにどんどん脱いでいく。うらやましいほどのきれいなスタイル。腰はきゅっと細く胸はふわっとしている。あたしなんかくびれとか膨らみとかほぼほぼない、ちくわみたいな練り物体形なのに。
「タチバナ、潔く諦めて脱ぎなさい。ほらほら」
カメリアさんが強引にタチバナさんを脱がす。しっぽや耳はとれるらしい。タチバナさんの、つるぺた体形があらわになる。まるっきし漫画に出てくる幼女だ……。
三人して浴場に入る。おお、貸し切り状態だ! かけ湯をして体を洗って、温泉に浸かる。
「お、おおう……家の内湯とはぜんぜんちがう、大地のパワー!」
そんなことをきゃいきゃい言いながら、なんだかんだタチバナさんは初めての温泉にはしゃいでいる。しかし大地のパワーて。
窓の外には、見事な紅葉が広がっていた。
「きれいですねえ」
「うん、……でもあたしは新緑のほうが好きだな。紅葉ってもうすぐ死んじゃうものが、命を最後に燃やしているからできるものだし」
「あの赤いのはツタですか?」
「ああ、そうだね。ツタだね――ちょっとタチバナさん、お風呂で泳いじゃだめ」
「えー? 貸し切りなのにー?」
「貸し切りってねえ、いつ別のお客さん入ってくるかわかんないし……」
しばらく浸かって、それから頭や体を洗って上がるころに、おばあさんの数人組がドンドコドンドコ入ってきた。温泉を出て、服を着て髪を乾かし時計を見る。ちょうどお昼だ。
風呂上がりに、脱衣所の自販機で牛乳を買い、タチバナさんとカメリアさんに、日本の公衆浴場における正しい牛乳の飲み方をやってみせた。二人とも「ふーん」という感じで、あまりウケなかった。
ウケなかったのを悲しく思いつつ、みんなで食堂に向かう。あたしはカツカレーを、カメリアさんはオムライスを発注した。タチバナさんはさんざん悩んで、
「お子様ランチって、どんなのだ……?」
と訊ねてきた。そのものズバリ、チキンライスにハンバーグにプチトマト、たらこスパゲッティにコーンポタージュだ、と言うと、タチバナさんはお子様ランチで即決した。
頼んだものが出てくる。
「わああおいしそう」カメリアさんはうれしそうにオムライスを食べ始めた。タチバナさんもお子様ランチのたらこスパゲッティをもぐもぐ食べている。
カツカレーのとんかつをがじがじして、久々に辛いカレーを食べられたことに幸せを感じつつ、風呂を上がってから喉の違和感が強いことに気付いた。
お風呂というのはリフレッシュできても逆に肉体が疲れてしまうことが多々ある。まあ仕方なかろう。
食べ終えてひとしきりゲホゲホしてから、
「なにかデザート追加で頼む?」
と二人に訊ねた。なにか甘いものが食べたかったのだ。
「じゃあ外にのぼりの出てた山ぶどうソフトクリームが食べたいです!」
「僕もだ。いやあ、温泉というのは楽しいね」
山ぶどうソフトクリームを三人前買って、みんなで食べた。甘酸っぱくてとてもおいしい。タチバナさんは目を真ん丸にしてそれを食べている。
「山ぶどうってツタの仲間でしたっけ」
「んーと。どうだっけな、まあツタはブドウの仲間だからそうだと思うよ」
「アジサイくん! なにかねこのマッサージチェアというのは!」
もう山ぶどうソフトクリームをやっつけたらしいタチバナさんが、マッサージチェアを指さした。あたしは、
「百円入れると肩とかふくらはぎとか背中とかを機械が揉んでくれるんだよ」
と説明し、やっぱり三人してマッサージチェアでごーりごーり揉まれた。
なんだかんだあたしももうすぐおばさんの歳が近いわけで、とても気持ちよかった。カメリアさんも肉体は大人なので、それなりに肩こりなどあったようだ。
タチバナさんはくすぐったいらしくさっきからヘヒヘヒ笑っている。
幸せだなあ。また来よう。冬になると窓から見える裏庭に、タヌキやキツネが出たりするのだ、と二人に教えると、また絶対こよう、という話になった。
マッサージチェアでひとしきり揉まれてから、時計を見た。もうそんなにしないうちに帰りのバスの時間だ。
「楽しかったですね!」
カメリアさんが嬉しそうにそう言う。あたしも、楽しかったね、と返す。
「公衆浴場というところには始めて来たが、わるくないな――腕がすべすべだ」
タチバナさんも嬉しそうだ。みんなで、時刻表よりすこし遅れてきたバスに乗り込み、明日からまたいつも通りだね、というような話をする。
山と町をつなぐトンネルに入る時、ふと振り返ると、蔦岡荘の外壁にツタが這っているのが見えた。ツタは真っ赤に染まっていて、まるで蔦岡荘が血を流しているかのようにも見えた。
けほっ、と咳が出る。カメリアさんが心配そうな顔をする。
「大丈夫ですか」
「うん、大丈夫。へへ……揉み返しかもね。マッサージで血流がよくなり過ぎちゃうやつ」
もう一発、けほっ、と咳が出た。
まるで喉になにか張り付くような違和感。そういや明日で薬が終わりだ。内科行かなきゃ。
くってりと寝てしまっているタチバナさんをちらと見る。
本当に、タチバナさんはなにが目的で、ここに来たのだろうか。わからない。
じわりじわりと、いやな予感とともに、咳が込み上げてきた。
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