バラ

 咳がとまらない。


 ここ一週間、ずっとゲホゲホ言っている。キヨ江さんに「あんた肺病じゃないだろうね」と言われてしまった。そしてまたしても二の腕をつまんで見せた。こんなぷくぷくしてる人間が肺病なわけがない、と。

 最近秋っぽくなって寒暖差が激しいからだろうか。朝は寒いのに昼を過ぎると暑くなり、また夕方寒くなる、の繰り返しだ。そろそろ秋物を出してくる頃合いかもしれない。


 タンスをごそごそしながらげほげほ言っていると、カメリアさんがつかつかっと来た。

「アジサイさん、咳大丈夫ですか?」

「あー……あんまり大丈夫じゃないんだけど、これって薬作れたりする?」

「内服の魔法薬は、普通の人間には副作用が強く出たりするので、オススメできません。もっと症状が重いとかなら別ですけど」

 カメリアさんに頼って医療費を浮かせる作戦は見事に失敗した。しょうがないので、もう何年も使っていない保険証を探し、財布につっこんだ。


 久々に出した長袖のパーカーを着て、あたしはなじみの内科に行った。内科、とあるものの、やけどや切り傷なんかも手当てしてもらえるし、なにかと小さいころからお世話になっている。小さいころは素敵なおじさまという印象だったドクターはロマンスグレイのおじいさんになっており、喉を診たり聴診器を背中にあてたりレントゲンを撮ったりしたあと、


「とりあえず目立った病気は見つからないなあ」と首を傾げた。

「そうですか」

「うーん……風邪のひき始めかとも思ったけど咳以外の症状はとりあえずないんだよね?」

「そうですね……寒気がするわけでもないですし」


あたしの言葉にドクターは首をかしげて考えて、「しいて病名をつけるなら咳喘息かなあ」といった。喘息? あたし子供のころから体の丈夫さだけには自信があって、喘息の友達を気の毒に思いながら持久走を走るような人間だった。それが喘息。唖然とする。


「でも喘息の兆候もこれといってないし……とりあえず咳止めの薬を出しておくから、ちょっと様子を見てもらえるかな。どうしても止まらなかったらまた来て」


「わかりました」


 そう答えて待合室に戻る。この内科は院内処方だ。しばらく、NHKの朝のバラエティを眺めていると、


「ハハキギ……シヨーカさん?」

 と若い看護師さんがわたしを呼んだ。


「ハハキギアジサイです」


「あ、ごめんなさい。これお薬です。一日二回、一回一錠。二週間分出てます」


「わかりました。えっと」


 というわけで支払いを済ませて家路を急ぐ。内科の駐車場に停められた「フラワーハハキギ」と書かれた軽トラに乗り込み、フラワーハハキギに戻った。カメリアさんとタチバナさんに店番を任せてしまった。心配だ。


 フラワーハハキギに戻ってくると、居眠りする葬儀屋さんの姿があった。


「ただいま。カメリアさん、葬儀屋さん来てるの?」と、小声で訊ねる。


「はい、なんだか近くでお葬式があるとかって言ってました。わたしたちではいかんともしがたいので、アジサイさんを待った次第です」


 麦茶を出し、葬儀屋をそっと起こす。この近辺の葬式はだいたいこの会社……という、大きな葬儀屋の跡取り息子で、陽気で元気な性格。中学では美術部員で、歳はあたしとタメだ。


「あっごめんあじす。昨日徹夜でフォトショップしてたもんで」


「フォトショップ? 葬儀屋って画像加工せにゃならんの」


 葬儀屋は頷くと、亡くなった方のちゃんとした写真がほとんど残っておらず、宴会のスナップ写真を首から上だけ抽出してスーツと合成したのだと説明した。


「いやあまさか葬儀屋になってまで美術部員スキルが役に立つとは思わなんだ」


 そう言って葬儀屋は笑った。こいつ、文化祭の美術部展に、コンピュータで美少女キャラクターを描いたのを展示してたっけ。いつも通り菊でいいのか訊くと、


「いや、白いバラを用意してほしいんだ。葬儀もお寺じゃなくて、小学生のころ日曜学校に行ってた教会あるでしょ? あそこだよ。家族そろって敬虔なクリスチャンなんだそうだ。牧師さんが、普通の菊とかよりバラのほうがいいんじゃないかって提案されてね」


「はー……いろんな人がいるんだね。クリスチャンの葬式って経帷子に千円とか一億円とか書いた紙入れたりするの?」


「あはは、あじすは相変わらず面白いなあ。入れないよ。ときどきクリスチャンの葬式やるけど、……うん、線香焚かないから焼き場がつらいな」


 あたしはふと父が亡くなったときを思い出した。焼き場は線香をどんどん焚いても、じわりと人の焼ける嫌な臭いがする。このあたりでは使わないけれど、シキミだって亡骸の匂いをごまかすためのものだ。


 とにかく白いバラを大口で発注された。これは確実に売れるので少々値段がかかっても問題ない。そう思ったときまた咳が出た。


「どうした? 風邪?」


「まあそんなとこ。バラを籠花で、えーっと……奥さんと、娘さんご夫婦と、弟さんご夫婦と……三つか。三つ。教会に置くから小さめなほうがいいんだよね。ふむふむ……」


 確認をとりメモし、それから葬儀屋の若旦那は帰っていった。代金は後日だそうだ。


「お葬式、ですか?」

 カメリアさんが訊ねてきた。


「うん、敬虔なクリスチャンの方のお葬式だって。どこの誰かまで知らないし知る必要もないし、ただ花を用意すりゃいいんだけど、やっぱり葬式の花って……うぇっほ!」


 派手に咳をした。カメリアさんが背中をさすってくれる。


「無理しないでください」


「お、おう。あれ? 薬の袋がない」


「あー……」カメリアさんが難しい顔をしている。どうしたの、と訊くと、

「タチバナが、人間界の薬に興味があったみたいで、持ってっちゃいました」

 という返事が返ってきて唖然としてからちょっと怒鳴り気味に言う。


「ちょ、止めてよ! あれちゃんとお金かかってんだよ!」


 住居に飛び込むと、タチバナさんは薬のPTP包装を興味深げに見ていた。セーフ。まだ開けちゃいない。


「タチバナさんっ! それオモチャじゃないんだからね!」と、取り上げると、タチバナさんは不思議そうな顔をして、


「これは……丸薬? 薬草を練り固めたというより魔法で成分だけ取り出したみたいな……包装も不思議な素材で……」


 と、小首をかしげて猫耳をぱたぱたさせている。ため息をついて、薬をタチバナさんの手の届かない高い戸棚に入れた。まるっきし子供と同じ対応である。


「タチバナさん、薬に興味あるならそっちの引き出しに便秘薬とか解熱剤とか入ってるから、そっちに……けほっ」


「アジサイ、咳が止まらんようだが大丈夫かね。さっき来たソーギヤとかいう男、相当いろんな呪いを引き受けているようだったが」


「あれは家の仕事がお葬式をすることだからね……そりゃあ呪いも引き受けるでしょうよ。それにあたしの咳には関係ないし。てかタチバナさん葬儀屋知らんの」


「人間の国に来て間もないゆえな。魔法の国では葬式は家族だけでやるのが普通だし、葬式をビジネスにするという発想がそもそもない」


「ほー……そいじゃあ魔法の国じゃ花屋は仕事にならんわなあ。魔法の国のお葬式ってどんな感じなの」


「穴を掘って棺を沈めて、みんなで摘んできたバラをたくさん投げ込む。棺が見えなくなるまでバラを入れたら、それから埋める。魔法の国はどこにでもバラが咲いているから」


 バラ……かあ。どこの世界でも、人が亡くなったら花を手向けるのだな。


「それよりアジサイ。きょうの昼はなにかね」

「アジサイさーんお腹空きましたぁ」


 しんみりがぶち壊された。しょうがないので冷蔵庫を開け、シンク下の棚を開けて、


「具はネギだけの袋麺じゃ!」


 と答えた。まったく、なんなんだこいつらは。

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