コチョウラン
久しぶりに食べたバーモントの甘口はスイートネスだった。物足りなかったので、ほんのちょっと、七味をぱっぱっとやってから食べた。
タチバナさんはまるっきし子供の食事みたいに、あむあむと食べている。カメリアさんはあきれ顔で、タチバナさんを見ている。
「タチバナ、もうちょっと上品に食べなさいよ」
「なんらぁ。カメリアのくせに僕に注意するのか」
「いやそういうわけじゃないけど……まるっきし、食べ方が子供」
「そういうカメリアだって中身は十四歳じゃないかあ!」
なんなんだ、なんとなくカメリアさんをとられてしまったみたいな気分だ。
カメリアさんはときどきあたしへの独占欲を示すけれど、あたしもカメリアさんの所有権を表明したい気分だ。
「ときにカメリア。病気はどうなった?」
「母さんから聞いてない? 名称支配の薬で悪魔を追い出したわ」
「……うむ。そうか。名称支配……ということはこの人間の国に、名前を支配できるだけの、大好きな人がいるということかね?」
ぶふぉっ。カメリアさんがカレーを噴いた。あたしはこらえた。カレーを飲み込み、
「タチバナさん、名称支配ってなに?」と訊ねる。
「これは魔術的な考え方なのだけどね、名前というのはときにその人の本質を示すことがある。その本質を、別の名前で支配することで、別の支配者を追い出す……というもの」
……なるほど。それで椿とアジサイ……。
「支配に使えるのは、支配できる権限を持つだけ対象者に近しい人だ。カメリアの母さん――叔母上がそんな魔術的な薬を使うとは」
なるほど、それであたしでなくちゃカメリアさんを回復できなかったのか。
「で、タチバナはなんでここへ?」
「えーっと。魔術を実地で使ってみようと思って。魔術で未来予知の力を得たからね、占い師になってみようかと」
なんだか嘘くさい。だけれどそれを否定する根拠もない。
カレーを食べ終え、あたしは食器をチャカチャカ洗った。カメリアさんの調合した洗剤は、油汚れが恐ろしくすっきり落ちる。なんてありがたいことだろう。
「アジサイくん。僕の部屋というのはどこかね」
「あれ? 案内してなかったです?」
「うむ。この家で物置きとして使われていた部屋だと聞いたが」
あたしは皿洗いを終了し、タチバナさんを案内した。
かつんと明かりをつけると、狭い部屋が明るくなった。
「なかなか住み心地のよさそうな部屋だね。この壁に浮いてる人間の顔みたいなシミといい、なんかひっかいた痕といい」
「文句があるならよそに住んでくださいな。どうしてうちに?」
「だってカメリアと一緒に暮らしたかったから……読書灯はないのかね」
枕元に照明器具を置きたいらしい。あたしの部屋から、高校受験のお供だったスタンドを持ってきた。それを枕元においてやるとタチバナさんはうれしそうに、耳をぱたぱたさせた。
タチバナさんはさっさと寝てしまうようだったので、リビングに戻ると、カメリアさんがしょうもないネタ番組をみてけらけら笑っていた。
「人間の国のお笑いは面白いですね。魔法なしでこんなに面白いなんて」
「あー、あたしが中学のころもめちゃんこ流行ったっけな、お笑い……でもなにが面白かったのか今思うとわかんないな。容姿いじりとか出身いじりとか、ろくでもないのばっかだった」
「あと金曜の夜にやってる、不思議なテレビあるじゃないですか。土曜の朝にもやってますね。着ぐるみの顔が動くやつ。あれはどういう仕組みなんですか? あれが科学ですか?」
「あー……チ●ちゃん? あれはCG、コンピュータ・グラフィックってやつで、顔を処理してるわけさ。実際に動いてるわけじゃないよ。まあ科学だね」
「へえー……そういうのを当たり前に観られるんですね、人間の国は」
カメリアさんがボーっと生きていると怒る五歳児について感動しているのはともかく、早めに寝てね、と声をかけてあたしも寝てしまうことにした。明日は花卉市場にいかねばならない。さっさと寝よう。自分の部屋で布団に潜り込む。リビングでテレビを停めたらしく、くだらないお笑いは聞こえなくなった。
目覚まし時計をバンと止めて布団から這い出す。花卉市場。どうせ行ったところでなんも売れないのだけれど、売れなければカメリアさんが魔法薬の材料にするので行く。そういや近くのスナックのママさんの誕生日がもうすぐだ。フンパツして胡蝶蘭を仕入れよう。
軽トラに乗り込み夜が明けたばかりの町をかっ飛ばす――んん? なんだあれ。
十字路の真ん中に、黒いローブを着た集団がいて、なにか円を描いて踊っている。舞踊? なんで路上で? それもこの朝こっ早い時間に?
どいてくれないのでクラクションを鳴らす。舞踊集団は、さらさらさらーとローブの裾を引きずり、道路によけた。道路の真ん中には、死んだ鳥が集められていた。き、きもちわるっ。
変なものを見てしまった。
朝から嫌な気分になりながら、花卉市場についた。胡蝶蘭を大小いくつか、それからいつでも売れてくれる菊を仕入れ、家路を急ぐ。
帰り道はもう早めの通勤時間で、舞踊集団も鳥の死骸もなくなっていた。道路は普通に、車がどんどん走っている。
家に着いて、花を店に運び、「フラワーハハキギ」の軽トラを脇に停めた。
家に戻ると、台所にタチバナさんがいた。
「あれータチバナさん、早いね。意外と早寝早起きするタイプなんだ」
「うむ、眠ることは健康の第一歩ゆえな。しかしここの冷蔵庫はなんも入ってないな」
どうやらタチバナさんは朝ごはんを作ってくれるつもりだったらしい。しかし冷蔵庫になにも入っていないので、あきらめたようだ。
「きのうのカレーがまだちょっとあるよ。腐ってないOKOK」
「ええーっ、昨日の夜もカレーだったではないか!」
「そういう贅沢を言うんだったら一人で喫茶店のモーニングでも食べに行ったら。まあここ名古屋じゃないからあんま喫茶店ないけど……ああ、吉牛とかすき屋で朝ごはん食べられるな」
「……分かった。諦めてカレーを食べる」
「素直でよろしい。カメリアさん起こしてきて」
「うむ」
というわけで、三人して昨日のカレーを食べた。さすがに三人いるとカレーの減りも早い。いままで二~三日かかってたのにあっという間になくなった。
「きょうは花卉市場にいってきたんですか?」
「うん。近所のスナックのママさんの誕生日が近いから、いつもこの時期は胡蝶蘭が売れるんだ。結構立派な値段で売れるよ」
「かきいちば? アジサイくん、早朝出かけたのかね? 夜明けごろかね?」
「夜明け……いや夜は明けてた。そういやなんか、道で黒づくめ の舞踊集団と出くわしたな。十字路の真ん中で踊ってるの。真ん中に鳥の死骸いっぱい置いて。邪魔だっつうの」
「それは……悪魔教徒ではないですか?」
また新しい名詞がでてきた。でも知ってるぞ、アメリカとかで悪魔崇拝をして、666を旗印にして、バフォメット像とか建てちゃうやつらだ。子供をさらってきていけにえにする、犯罪集団だ。
そういうとカメリアさんは「それでおおむね合ってますね」と答えた。
「……やはり、か」
タチバナさんはそうつぶやいた。
「どしたのタチバナさん。ほっぺたにカレーついてる」
「ついてるんじゃない、つけているんだ!」
めんどくさいタチバナさんはともかく、きょう見てしまったものがヤバいものだと知り、なんだかぞわっと悪寒がした。また咳が出る。しばらく咳き込んでから、カレーを再開する。
なんだかカメリアさんの体がバラバラになったときと同じくらい、大変なことが起きる気がした。それでもあたしはただの人間なので、とりあえず皿を洗って水切り棚に並べるしかできない。それに実際、大変なことが起きても案外なんとかなるのだと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます