第2部 魔術師の決戦はメイビー金曜

カラタチ

 さて。

 目の前にいる、ニコニコでアルフォートをもぐもぐしているタチバナさんを、あたしは呆れながら観ていた。けほ、と最近よくある変な咳が出る。


「……アジサイさん、ときどき変な咳しますよね」


「そうだね。なんだろこれ。まあ肺病とかじゃないと思うよ、ご覧の通り元気だし」


 そう言って半袖からはみ出している二の腕のだらしない肉をつまむ。


 タチバナさんはノンストップでアルフォートを食べているわけだが、果たしてこれが、あたしがお金を払って買ってきたもの、という認識はあるんだろうか。カメリアさんが、


「タチバナ、そろそろやめたら?」


 と訊ねると、タチバナさんは、

「なんらぁこぇ、おいひー。高いカロイーの波動を感じるぅ」


 と言いながらアルフォートを食べるのをやめない。適当なところでやめた、と思った瞬間、タチバナさんは少年漫画の主人公がヒロインの着替えを見たような勢いで鼻血を噴いた。


「ちょ、だ、だいじょうぶ?」


 慌ててティッシュを渡す。チョコレートを食べ過ぎると鼻血を噴くとはいうものの、正味の話本当に鼻血を噴く人は初めて見た。


「な、なんらぁこぇは。なぜ鼻血が出る。解せぬ」


「カロリーが高すぎたんだよタチバナ。魔法の国でもいうでしょ? うなぎ食べ過ぎると鼻血が出るって」カメリアさんが完全なる呆れ声でそう言う。


「ムムム……無念……」タチバナさんは鼻を押さえて上を向いた。はあ、とため息が出る。


「邪魔するよ」


 ――出た、神経痛魔女。神経痛魔女はカメリアさんとタチバナさんを見て、

「あんたらの子供かい」と下品なジョークを言ってきた。カメリアさんは顔を赤くして、


「わたしのいとこです……彼女もきょうからここに下宿するんです」と答える。


「……そうかい。ああ、葬式の花をお願いに来たんだ」


 神経痛魔女のキヨ江さんは、ちょっと悲しそうな顔をした。


「いつです? でっかい花輪とか……ああ、そういうのは葬儀屋さんから連絡がくるか……お葬式が終わった後のおうちとかお墓にお花を持って行くかんじですか?」


「いや。そういう大仰な、人間の葬式じゃないよ……人間よけに飼ってた犬が死んじまったのさ。丁重に葬ってやろうと思ってね」


 犬。魔女ってそういうのも飼うんだ。人間よけってことは土佐犬とかドーベルマンみたいなごつくてでっかいやつかな。そう思っているとキヨ江さんは黒っぽい服のポケットから、ガラケーを取り出した。写真が保存してある。……いたって可愛らしい、ちっちゃいプードル。果たしてこれで人間よけになるんだろうか……? むしろ集まるんじゃないか……?


 タチバナさんは鼻血がやっと止まったらしく、興味津々でガラケーの画面をみて、


「亡骸は」とキヨ江さんに訊ねた。キヨ江さんはふんと鼻を鳴らし、


「あんた魔術師だろ。どうせ生き返らせるとかいってまがいものを作る気なんだろ。うちのメルシーちゃんの中身は悪魔なんかじゃないよ、正真正銘の犬だ」とちょっと怒り気味に言う。


「まがいもの? え、生き返らせる? 頭がおっつかない」


 あたしが混乱しているのを見て、タチバナさんは尊大な顔をした。


「魔術師は悪魔を使役することにより、命を失った亡骸を再び動かすことができる。俗にいう死霊術、というやつだ。数字と文字の組み合わせは、悪魔を意のままに従わせる」


 ……待てよ。小さいころ友達に誘われて近所の教会の教会学校に行っていて聞いたことがある。悪魔、すなわち死だと。まあ、行けばおやつが出て、聖書の言葉を書いたカラフルなカードがもらえるのがうれしいというだけで行っていたので、覚えていることは少ないが、悪魔、すなわち死、死の道というのはよく覚えている。それを説明する牧師さんの奥さんの顔があまりにおっかなかったからだ。


「悪魔って死なんじゃないの。それじゃ生き返らせたことにはならないんじゃないの」


「そうだよタチバナ。悪魔は死だって、わたしを見て知っているでしょう? アカデミアではそういうことは習わないの?」


「死、ということは『有限である』ということだ」


 なんだか哲学的なことを話しだしたぞ。ついていけるか自信はないが話を促す。


「つまりサタンである蛇に従い神の道を外れてしまった人間は、『有限である』ということ。それには魔術師も逆らいようがない。しかし魔術は、今や生きていたときと同じ状態を、数字と文字によって再現できるところまで来ているのだよ」


「――アカデミアの最新の研究結果かい。それでもメルシーちゃんを生き返らせてくれとは言わないよ。死んじまったんだから死なせてやるのがいちばんいい」


「ふむ。魔女は悪魔に支配されるゆえそういう思考にたどり着くということか。いいのか? 人生の唯一の張り合いだったのだろう? そのメルシーちゃんとやらは。散歩にいったりトリミングサロンに連れていったり獣医さんに爪を切ってもらったり、そういう楽しみがあったのではないのかね? あとは一人で老いていくつもりか?」


「そうだよ、私の人生なんか引き延ばしてもなんにもなりゃせん」


「……そうか」

 タチバナさんは黙ってしまった。きっと、タチバナさんは善意でそう言ったに違いない。それがキヨ江さんを悲しませると知らなかったのだ。


「なにぼーっとしてるんだい。きれいな花を少々頼むよ」


「あ、は、はい」


 慌てて、在庫の花で花束を作る。ぶきっちょなのでカスミソウ多めだ。


「あんた花屋のくせに花束作るのヘタだね」


「小さいころから折り紙は角を合わせられない人間でしてね。はい、できました」


 花束をキヨ江さんに渡す。キヨ江さんは代金を支払って帰っていった。


 夏の日、空はじりじりと焦げるように明るく、しかし穏やかな風が吹いている。店内は窓を開け放っており、それだけでだいぶすずしい。


 ちょうちょが一頭、風に乗って入ってきた。アゲハ蝶だ。蝶って、あの世の象徴なんだっけか。ひらひらと店内を飛んだあと、別の窓からやはりひらひらと出ていってしまった。


「――アゲハ蝶は柑橘の葉に卵をうみ、柑橘の葉を食べて幼虫時代を過ごす。この店の裏に、カラタチの木があるだろう。そこから来たようだよ」


 タチバナさんはそう言うと、またアルフォートに手を伸ばし、手をカメリアさんにはたかれた。なんで知ってるの、と訊ねると、当たり前みたいな顔をして、


「知覚を拡張している。僕はこう見えても優秀な魔術師だからね。この耳は聴覚を拡張するし、この眼鏡は視覚を拡張する。しっぽは様々なものを察知する。壁の向こうにカラタチの木があるのは知っているよ」


 ほえーっ。すんげー。びっくりしてその生意気盛りの子供みたいな顔をちらっと見る。自慢げだ。まるで「ジャ●ーズジュニアのナントカくん、親戚なんだー」って言っていたクラスメイトみたいだ。ちなみにそのクラスメイトがその後嘘つきと呼ばれたのはご想像の通りである。


「そんなにできがいいなら結婚しなさいっつうの」と、カメリアさんが毒づく。


「カメリアに言われたかないね~! それにローズ家は代々晩婚じゃないか! そしてぼかぁ見ればわかるけどこのかっこうでいたほうが楽なんだ!」


 今度はそのクラスメイトが嘘つき呼ばわりに対抗するときみたいな顔でタチバナさんはイーっとする。説得力がまるでない。


 とりあえずここまでのやり取りで、タチバナさんは頭でっかちで変人である、ただしあさっての方向に優しさがあることが分かった。あとチョコレートが大好きなことも。


「……チョコレートの食べ過ぎで口んなか甘いし、作っといた水出しコーヒーでも飲む?」


「ぼかぁコーヒーがあんまり得意じゃないんだ。カルピスがいい」


「ないよそんなの……それにチョコレートからのカルピスってすっぱいでしょうよ……」


 そうやって話しているとカメリアさんのポケットでなにやら音がした。カメリアさんはポケットから何か取り出す。……OH、たま●っち2……。


 あたしは買い物メモに「カルピス」と書いておいた。その外にはカレーライスの材料が書いてある。あたしは辛いカレーが好きなので断固ジャワカレーだし、カメリアさんも辛いものが好きだという。あたしはタチバナさんに、


「きょうの夕飯カレーだけど、辛さどうする?」と訊ねた。


「バーモントの甘口」OH……それぜんぜん辛くない……。


 果たしてこの同居生活、破綻しないんだろうか。今から不安になってきたぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る