ツバキ
魔法の国で、あたしはちょっと、悲しんでいた。
カメリアさんが、あたしに対して、大人ぶっていたことや、無理していたのではないか、というようなことを、カメリアさんの両親から聞いたからだ。
カメリアさんは無理していた。あたしに迷惑をかけまいとしていた。
喜んじゃいけない。悲しむことだ。カメリアさんに謝りたい。あたしがカメリアさんに無理をさせたんだ。
お昼過ぎくらいに、カメリアさんのお母さんが、小さな瓶をあたしに手渡した。
「これはね、ツバキの花の蜜と、アジサイの葉の煎じ薬を調合したもの。知っていると思うけどアジサイの葉は毒だから、カメリア以外の人に飲ませちゃだめ」
「はい」小さく頷く。カメリアさんのお母さんは、
「これをカメリアに飲ませられるのは、アジサイちゃん、おそらくあなただけ。カメリアを愛し、カメリアに愛されている人が飲ませないと、効果がないの」
「え、あ、あたしなんかが飲ませていいんですっ?」
「だって、人間の国に、アジサイちゃん以外のカメリアの友達っている?」
「い、いや、いないですけど……」
「私や私の夫が人間の国に行ければいちばんいいのだけど、魔法の国を魔法使いが出るには煩雑な手続きがいるの。アジサイちゃんは帰るだけだから帰れるけれど。事態は一刻を争うのだし」
「そう、そうですね……どうやって帰ればいいんですか? 駅はさっきの場所に?」
「もう元の場所に戻ってしまっているでしょうね。送るわ」
というわけでカメリアさんの実家を出た。送るってなにでだろう。そう思っていると、カメリアさんのお母さんは頑丈そうな箒を出してきた。え、これで飛んでくの。
箒で駅まで移動する様子は、あまりにも修学旅行で乗ったネズミーシーのセンターオブジアースだったので割愛する。ひぃええええええ~ってずっと叫んでた気がする。カメリアさんが乗りたがらない理由がよくわかった。
駅に着く。みどりの窓口で、カメリアさんのお母さんが金貨を出して切符を買ってくれた。「人間の国 行くべきところ行き」の列車はまだしばらく出ないようだ。
「カメリアはね、十四歳の子供となんにも変わらないの」
「そ、それはカメリアさん本人から聞いてます」
「でも、できることも十四歳の子供……とは、あの子は言わなかったでしょう?」
「……どういうことです?」
「カメリアは、本当は人の分も朝ごはんを用意したり、お風呂を沸かしたりできる子じゃないのよ。本当は、親にひっついてずっとぶーぶー言っていなきゃいけない歳なの」
「えっ」
「あの子は、人生の半分を悪魔に奪われた。それは魔法の国で魔法を使う暮らしをしていたから。魔法ってね、日本人が思うようないいものじゃないのよ。悪魔と手を結んで、悪いことをするのが本当の魔法なの。人間と悪魔があまりにもそばにいるから、ああいう……ひどい病気が起きるの。二十八の誕生日に、回復しきっていないうちから追い出したのは、この国の空気を吸わせたくなかったから――ああ、列車が来たわね」
駅舎に、金色ベースの美しい電車が入ってきた。
「一番線ホームに、人間の国行くべきところ行きの列車が入ります」
「――ありがとうございました。帰ります」
「たぶんその薬をティースプーン一杯で効くと思うわ。では」
あたしはその列車に乗り込んだ。魔法の国はゆっくり日暮れていき、空はオレンジ色を帯びている。空を無数のドラゴンの群れが飛んでいき――気が付くと、あたしは「フラワーハハキギ」と書かれた軽トラに乗っていた。
ポケットを確認する。薬の瓶は間違いなく入っている。
家まで車を飛ばす――車内の時計を見ると夜中の三時。時計のカレンダーを見るとおととい出発した日とおなじだ。あの大冒険がたった一時間、だなんて。
フラワーハハキギの横に軽トラを停め、カメリアさんの寝ている二階にダッシュで向かう。
「カメリアさんっ?」
返事はない。カメリアさんは五体バラバラになって、静かに横たわっている。
ポケットから取り出した薬を、枕元のスプーンにひと匙とって、カメリアさんの口に、そっと流し込む。しばらくなんの反応もなくて、「遅かったんだ……」とか、「あたしじゃカメリアさんに薬を飲ませられる資格はないんだ……」なんてことを考える。
「カメリアさん。お願い、起きて。また植物園いこ、ニシキヘビも触っていいから。またパピコ食べようよ。お願い起きて……愛してるから。大好きだから。ねえカメリアさん!」
涙がびっくりするほどぼろぼろ出た。カメリアさんはなんの返事もない。息を確認する。息はしている。
床に落ちていたカメリアさんの手首が、びくり、と動いた。
「カメリア……さん?」
「ギギギギ……コノカラダ、モウ、スメナイ」
ごうっ。
カメリアさんの横たわっている布団から、巨大な蛇のような、しかしよく見ると目玉も口もない、真っ白な――いわば寄生虫のようなものが、ずるりと這い出した。
「ひっ」
思わず悲鳴を上げる。その巨大な蛇のような寄生虫――おそらくカメリアさんに寄生していた悪魔――は、窓からずるずると出ていった。
空が明るくなってきた。カメリアさんの手首は、カメリアさんの腕のほうに、自分で歩いていった。カメリアさんの体は、次第にくっついて、元に戻っていく。
「んん……」
カメリアさんが苦しげにうめく。
「カメリアさんっ? 生きてるんだね?」
「……あじすさん……? わたしは、いったい……」
「ばかっ。もっとあたしに頼っていいのに。もっとダメな子でいいのに。今日から朝ごはんはあたしが作るからね。お風呂だってあたしが沸かすからね。カメリアさんは、もっとあたしに甘えていいんだからねっ!」
「……?」
カメリアさんはよくわかっていない顔をした。そんなカメリアさんが愛おしくて、あたしはカメリアさんに抱き着いてわんわん泣いた。カメリアさんも次第に状況を理解してきたらしく、困った顔をして、あたしに、
「――わたしのために、魔法の国まで行ったんですね」
と訊ねてきた。
「そうだよっ。カメリアさんのお母さんに聞いたよ、カメリアさんは十四歳の子供と変わらないって。ホントは親にひっついて悪口ぶーぶー言ってなきゃいけない歳だって」
「……ふふ。あじすさんに好かれたくて、無理してたのがバレちゃいました」
「無理なんかしなくたってあたしはカメリアさんが好きなんだから無理しなくていいのっ!」
カメリアさんは、ぽろ、と涙をおとした。
「あじすさん、どうしてそこまでして、わたしなんかを助けてくれたんですか?」
「好きだから、だよっ!」
怒鳴り加減でそう言うと、カメリアさんはうふふと笑って、
「わたしも、あじすさんが好きです」
と、そう答えた。もう、なにも言いたくなかったし、カメリアさんもそうだろう。
「……朝ごはんにしよっか。もう太陽もすっかり上がってる」
「そうですね、……手伝うだけならいいですか?」
「うん、うん。おいしいもの食べよう。なに食べたい? 酢の物?」
「豚バラ肉が食べたいです」
「朝からがっつりいくねえ……豚バラ肉はないからベーコンでいいかな。ベーコンエッグ」
「えーっ。ベーコンエッグですかぁ。それよりならカリカリベーコンがいいです」
カメリアさんがワガママを言うのが、たまらなく嬉しくて、涙が止まらなかった。あたしは、カリカリベーコンと玉子焼きとトーストを作った。
平穏な一日が、また始まった。
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