キョウチクトウ

 列車を降りて、「魔法の国 望むところ」駅を出る。


 駅舎――きれいなタイルでモザイクの描かれた、美しい建物――を出ると、そこはさやさやと風の吹く野原だ。たくさんの花が、儚げに咲いている。儚げなのだけれど、どこかしたたかに、大地に根を張って、その上半身を風に任せている。


 きれいなところだけど、カメリアさんのおうちはどこだろう。――丘がある。そこに登って見てみようと、野原を歩き出す。


 太陽は穏やかに空にあがり、やわらかな光線で魔法の国を照らし出した。太陽に照らされると、カメリアさんが魔法の国を悪しざまに言っていた理由が分かった。

 太陽の光から逃れようと、小さな虫のようなものが悲鳴を上げながら土に潜っていく。よく見ると植わっているはずの木が、根を地上に出してもぞもぞ動いている。向こうから気味の悪い魔物がのしのし歩いてくる。


 これはまずい。早いとこカメリアさんのおうちを探さないと、この「ドラえもんのび太の魔界大冒険」みたいな土地で魔物のおやつにされてしまう。


 目の前に見える小さな丘に登ってみようとしたところで、丘の中腹にガラス窓があることに気付いた。中にはカーテンがかかっている。この出っ張り、家だったんだ!


 ぐるっと回って玄関を探す。控え目な木のドアがあって、ドアには「ROSE」と書かれている。ごくりと息を飲んで、こんこんとノックする。


「はあーい」


 中からカメリアさんそっくりの声がした。それだけでもう、あたしは泣きそうだった。


 がちゃり。ドアが開く。カメリアさんを二十年歳かさにしたらこんな感じ、という、穏やかな、そしてきれいな人が出てきた。


「……あなた、人間の国……のひと? カメリアが下宿している……」


「はい。助けてください!」


 きれいな人――おそらくカメリアさんのお母さん――は、目を白黒させて、

「ま、まあ立ち話もなんだから、入りなさいな」

 とあたしを家に入れてくれた。


 カメリアさんの家の中は、どことなくうちの店に似ていた。ハーバリウムみたいな、花を使った薬品の瓶や、ドライフラワーが飾られている。カメリアさんのお母さんは朝ごはんを食べていたところらしく、シンプルなパンケーキにシロップをかけたものがテーブルに二つあり、奥にはそれを前にして新聞をめくる人。カメリアさんのお父さんだ。


「あなた。カメリアのお友だちよ」


 新聞をめくっていた人は新聞から顔を上げた。ハンサムなおじさまだ。

「……友達? まさか人間の国から?」


 そう言われて頷いて、


「帚木紫陽花といいます! カメリアさんが、いま五体バラバラなんです!」

 と、素直に来た理由を説明した。カメリアさんのお母さんは少し考えて、


「あの子に持たせたキョウチクトウの薬は?」

 と訊ねてきた。やっぱり桃じゃなかった。効かなかったと説明する。


「あの子の病気をねじ伏せるにはキョウチクトウくらい強い毒でないとと思ったのに、それも効かないなんて」


 カメリアさんのお母さんは、大きなため息をついた。


「キョウチクトウ……カメリアさんは桃、魔法の国の桃だって言ってましたけど」


「だってキョウチクトウでできた薬なんて言われたら怖くて飲めないじゃない。真似して自分の生半可な技術で作ろうとして死なれても困るし」


 カメリアさんのお母さんは、朝食を中断して本棚を睨んだ。分厚い魔法の本を開く。いかにも魔法の本、といった風体の、革張りに箔押しの分厚い本だ。


「キョウチクトウより強力な毒……」


 カメリアさんのお母さんは本をめくり、新しい薬の材料を探しているようだった。


「きみ――アジサイちゃんか。アジサイちゃん、朝ごはんは食べたかい?」

 カメリアさんのお父さんがそう話しかけてきた。タイミングよくお腹が返事をした。


「よし分かった。特製のパンケーキをつくろう」


 カメリアさんのお父さんは台所に立ってパンケーキを作り始めた。


 アジサイちゃん、と呼ばれるのは、何年ぶりだろう。母が生きていたころ以来じゃないか。中学の同級生はみんなあだ名で「あじす」って呼ぶし。


 そう思った瞬間、ぽろりと涙が落ちた。色気もそっけもない、ディスカウントストアで買ってきた洋服に、涙がしみをつくる。ボロボロと涙がこぼれてくる。声が出る。ひっく、ひっく、と泣き出してしまう。


「どうしたんだいアジサイちゃん。パンケーキができたよ」

 目の前にパンケーキがどんと置かれた。フォークとナイフを握ってそれを食べる。シンプルな、花とベリーをつかったジャムがかけられていて、独特の風味がある。


「おいひーです」

 あたしがそう言うと、カメリアさんのお父さんはにか、と笑った。笑顔がカメリアさんにそっくりだった。


「カメリアが五体バラバラって、どうしたんだい」


「えっと。きのう……じゃないや。おとといちょっと喧嘩して、それから寝て、朝起きてきたら謝ろうと思ったら起きてこなくて、部屋に入ってみたら手首が転がり落ちてて……びっくりしてお布団をはがしたら、体が壊れた人形みたいにバラバラで」


「……精神に寄生する悪魔だな」


「それで、店に来る魔女のお客様に、どうにかして魔法の国に行く方法はないかって尋ねて」


「OKOK。つらかったろう。疲れたろう……あの電車って乗り物は、『おいどが痛うおます』ってなるからね」


 カメリアさんのお父さんは穏やかにそう言った。


「朝ドラってここでも観られるんですか」


「観られるよ? 『あさが来た』は大人気でね、みんなが観てたな」


 OH……魔法の国でちょんまげとか日本髪とかってどう思われてたんだろ……。

 部屋の隅には、小さな昔のブラウン管テレビが置かれていた。しかもリモコンでなくダイヤルで操作するやつ。あたしが小さいころ祖父の部屋にあったやつにそっくり。


 テレビの上には木彫りの熊。やっぱり鮭をくわえている。魔法の国にも北海道ってあるのかな……そういやテレビで「ブラウン管テレビが使われなくなって、木彫りの熊が売れなくなった」ってやってたっけ。


「ここはね、いろいろな古いものが流れ着く世界なんだ。ブラウン管の魔鏡テレビとか、木彫りの熊とか、懐かしいだろう?」


「あ、は、はい……どっちももう人間の国ではあんまり見ないものですね」


「そうか。早く4Kテレビが廃れてほしいと思うけどね、そのころはもう私も生きていないだろうなあ」


 カメリアさんのお父さんは陽気にそう笑った。

 目線を上げると、カメリアさんのお母さんが困った顔をしていた。


「どうしたんだいマリー。いつものキョウチクトウの薬は」


「それが効かないってアジサイちゃんが言ったじゃない。――スズランとかタバコとか、いろいろ考えたけれど――悪魔を黙らせておく、って発想に無理があったのかも」


 カメリアさんのお母さんは、すっと立ち上がってあたしのほうに来た。


「アジサイちゃん、カメリアの面倒を見てくれてありがとう。どうにか、きょうの列車で帰ってカメリアに薬を飲ませられるようにするわね」


「は、はい。っていうか面倒見られてたのはあたしなんですけどね、朝ごはん作ってもらったりお風呂沸かしてもらったり」


「えぇ?」カメリアさんのお母さんはマスオさんみたいな驚き方をした。見るとお父さんも完全なるぽかん顔だ。


「……あなた。原因は根深そうよ」


「そのようだな……カメリアには無理するなって、人にはどんどん甘えろって、そう言ったのに」


 カメリアさんは、甘えるのを我慢していた?

 窓から見える、太陽の登った魔法の国は、とてもきれいなところだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る