ヤマブキ

 起きる。台所は朝日に照らされているだけで、灯りはついていない。

 なんだろう、すごく嫌な予感がする。カメリアさんの部屋は静まりかえっている。


 ふてて起きてこない? それも違う気がする。階段を登ってドアをノックする。

「カメリアさん? 昨日のこと、まだ怒ってる? ごめんね」

 返事がない。ちょっと前に薬を飲ませたときだって口が動いていた。まさか死んでる? ……いやいや。病気っていったって普段は元気だしまだ二十八だし。


「カメリアさん? 開けていい? っていうか開けるよ?」

 そう言ってドアを開けて、あたしはびっくりして尻もちをついた。


 手だ。


 カメリアさんの右手が、床に落ちている。時々ぴくぴくしている。恐る恐る近づき、その右手をとる。透明な糸みたいなものが、カメリアさんの腕と縫い合わせたみたいにつながっている。発作だ。


 カメリアさんのカバンを開けて、この間の魔法薬をとる。……この花、桃じゃないな。スプーンにひと匙薬を注いでカメリアさんに飲ませるけれど、瞼が一瞬ぴくっと動いただけだ。


 慎重に布団をはがしてみて驚いた。カメリアさんの体は、関節のところで全身バラバラになっている。友達の持っていた球体関節人形みたいに。


 ヤバい。カメリアさんのお母さんの薬が効かないなんて。とりあえず布団をかけて、カメリアさんの頬に触れる。体温自体は至って普通。


 これが悪魔と共存して生きるものの現状。

 魔法って倫理的にヤバいのだと気付いた。これどうすればいいのかな。神経痛魔女ことキヨ江さんに訊いてみればいいのか? でもキヨ江さんち知らないしな。


 あたふたして、ピクリとも動かないカメリアさんをじっと見る。生きてはいる。だから打てる手はあるはず。とりあえずカメリアさんの部屋を出て、店のドアに

「本日休業」

 の貼り紙をしようとコピー用紙を探してマジックで書く。あ、マジックって「魔法」って意味だ。


 とにかく貼り紙を終えてなにか策はないか考える。そうだ、魔法の国の毒がある桃の花じゃないけど、確か桃の花の漢方薬があったはず。さっそくそのツムラの漢方薬をお湯に溶かして、またカメリアさんに飲ませてみる。反応なし。


 ――やっぱ人間の薬じゃ悪魔には太刀打ちできないんだ。


 きっとカメリアさんはいますごく苦しんでいる。悪魔に体をバラバラにされて、十四年間、いわば人生の半分を失ったときと同じ状況になっている。なんとか助けなきゃ。でもどうやって? 魔法の国には電車で行けるらしいけど、この街の一路線しか通っていない駅から、魔法の国に行けるんだろうか。


 そうやって考えながら店に戻る。――キヨ江さんが来ていた。帰ろうとするのでドアを開けて、


「あ、あのっ。助けてください」

 と声をかける。キヨ江さんはめんどくさそうに振り返ると、


「なんだい。私にできることは呪いと占いだよ」と、そう答えた。


 占いは嫌いだが頼らないわけにいかない。かくかくしかじか、と説明すると、キヨ江さんはポケットから紫の布にくるまれた水晶玉を取り出し、手をかざした。水晶玉に、カメリアさんの顔が浮かぶ。


「こりゃあ重篤な病気だね……悪魔憑きとも呪いとも違う。そういうことをする高尚な悪魔じゃない。寄生虫みたいな、すごく下等な悪魔だ。だからタチが悪い」


 寄生虫。アニサキスとかエキノコックスとかそんな感じなのかな。とにかくどうすればいいか、キヨ江さんに訊ねると、


「これを治療できるのは本職の薬作りの魔法使いだけだよ。悪魔に従うのでも、悪魔を使うのでもなく、悪魔と共存して魔法を使う『魔法使い』の魔法薬だけだ」


 と言われた。

 うわっ、詰んでる。だが詰ますわけにいかない。あたしはさらに、


「なんとかして、魔法の国に行く方法はありませんか」

 と、キヨ江さんに訊ねた。キヨ江さんは考え込んで、


「そうだね、列車でいけるよ。ちょっと条件が複雑だけどね――駅の前に、ヤマブキの茂みがあるだろ?」

 ヤマブキの茂み。まだあるんだ。駅は高校のころよく友達と県都のファッションビルに行くのに使っていたので覚えている。その友達とも喧嘩別れになったけれども。


「あの茂みに、深夜二時ちょうどに突っ込むんだ。すると「望むところ行き」のホームに出る。切符は列車の中で買える。人間の国のコインは流通していないけど、五円玉を渡すと穴の開いたコインは珍しい、って言われてそれで買える」


 OK理解した。それで、列車はどこに着くのか。


「『望むところ』さ。望むならどこにだって着くんだ」


 キヨ江さんはそう答えた。望むところ……なんだか怖いな。でも行かなきゃ。

 行って、カメリアさんのお母さんに会って、魔法薬をもらわないことには、カメリアさんは助からない。


 覚悟を決めて、出発までの間、カメリアさんに時々薬を飲ませて様子を見た。どうにもならなかった。


 魔法の国に自分が行くなんて、この春まで考えもしなかったことだ。

 カメリアさんはあたしを、魔法の国に連れていきたいと何度か言った。

 あたしも、魔法の国に行ってみたいと、何度か思った。

 まさかこんな理由で行くなんて。


 時計が一時半を指した。カメリアさんの頬を撫でて、


「行ってくるね」とつぶやく。カメリアさんはぴくりとも動かないけれど、きっと待っていてくれる。


「フラワーハハキギ」の軽トラで駅まで来た。田舎なので駅まで結構ある。カメリアさんは、歩いて、自販機の下を探しながら、うちの店まで来たのか。花屋を探して。


 軽トラを駐車場に止めて、久々につけた腕時計を睨む。二時まであと三分。ヤマブキの茂みは、何の変哲もないヤマブキの茂みで、ちんと静まっている。


 心臓が口から出そうだった。ドキドキする。本当に行けるのかな。あの魔女嘘ついてないだろうな。あと時計、合ってるだろうな。


 ――秒針はもう上半分。分針ももう五十九を指している。覚悟を決めてごくりと息を飲む。

 かちり。

 その瞬間あたしは全力ダッシュでヤマブキの茂みに突進した。ばふっ……と、なにかやわらかい膜を通過するような感触とともに、あたしは「魔法の国 望むところ行き」のホームにいた。


 ほかに人はだれもおらず、ホームには列車は止まっていない。駅員さんの声で、

「まもなくホームに『魔法の国 望むところ行き』の列車が入ります」と聞こえた。向こうから、きれいな列車が一両入ってくる。きらきら光っていて、どこか古風で、でも電車だ。パンタグラフがある。


 列車が止まったので乗り込む。中は駅員さん以外だれもいない。まあ夜遅いし、人間の国から魔法の国にいこうなんて人は少ないのだろう。


「発車します」


 列車がゆっくり動き出した。がたたん……がたたん……と、音などはいたって普通の列車だ。窓からは、きれいな星空が見えている。地上には、ヤマブキがたくさん花をつけている。ヤマブキだけじゃない、もっといっぱい、いろんな花が咲いている。図鑑で見ただけみたいな花も。


 だんだんと、暗い魔法の国の夜空は、淡い橙ににじみ始めた。朝焼けだ……。

 窓の外は、まばゆい輝きに満ちていた。空は青いのに星が輝き、線路は開けた平地を走っていく。きれいだ……。


 語彙を失うような美しい風景に見惚れて、でもはっとカメリアさんのことを思い出す。カメリアさんは、こんな美しいところから来たんだ。そりゃあ、あんなに美しくなるよな。


 列車は、ゆっくりと駅のホームに入っていった。駅にはこれから旅に出るのだろう、本物の十四歳の子供たちがたくさんいる。

「魔法の国、望むところです。降り口は左側です……」

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