ヒナゲシ

 夕方、植物園から帰ってきた。軽トラで長距離移動するのはしんどい。いわば「おいどが痛うおます」状態である。だいたい女二人で軽トラで遊びに出かけるってアリなのか。


 家に帰ってくる道すがら、有名なお総菜屋さんで馬肉とタケノコの煮つけを買ってきた。きょうの夕飯はこれだ。ザ・手抜き。よしレンチン術して食べよう……と思ったら、食器が溜まってしまっている。


 カメリアさんはくたびれた顔で、ぼーっとテレビを見ている。実にくだらないバラエティだ。なにが面白くて見ているやら、目の焦点が若干合っていない。


「か、カメリアさん?」

「……あぁ。ごめんなさい、すごく眠たくて」

「あ、あのさ、食器洗うから拭いてくれない?」


 そう切り出すと、カメリアさんは目をぐりぐりしてから、


「わかりました。これじゃお夕飯どころじゃないですもんね」カメリアさんはすでに水切りかごにならべてある食器を拭き始めた。あたしもざかざかと食器を洗う。


「植物園楽しかったね」

「ニシキヘビに触れなかったのが残念でしたけど」


 うぅ、恨まれている。だって本当に爬虫類は生理的に無理なんだもん。写真に撮るったってニシキヘビの画像がスマホにずっと入っていると思うと落ち着かないし、だいいちカメリアさんはスマホを持っていないので送信することすらできない。


「だって爬虫類ホントに無理でさ……にょろにょろしたもの基本的に無理だし……」


 あたしがそう言うのを聞いているのかいないのか、カメリアさんは眠たいがゆえの無表情で黙々と食器を拭いては棚に納めている。我が家にはショボい花屋には分不相応な立派な食器がいっぱいあるのだが、祖父が料亭に活花用の花を毎日配達していて、その料亭が閉めたときに、「帚木さんにはお世話になったので」と、大量の高級食器を持ってきてよこしたのだった。


 そんなこたぁどうだっていい。半端に食器がたくさんあるせいで、洗うのが面倒ならば出して使い、それをそのまま流しに放置する……という状況なのである。まさに負のスパイラル。


 とにかく食器を全部洗った。すごい量だった。さっそく馬肉とタケノコの煮つけをレンチンし、適当な食器に盛って、白いご飯と一緒に食べる。


 テレビではどこかのヒナゲシ畑の様子を映している。観光客に人気急上昇のレジャースポットだとか。いまはもう真夏でヒナゲシの季節じゃないよな……と思ったら、画面の隅に、「この番組は六月に関東地方で放送されたものです」のテロップ。もうヒナゲシ畑の無料開放も終わっているようだ。


 ここは民放が三局しかないので、放送されていない局の人気番組は、休日の夕方とかこういう半端な時間に何か月か遅れで放送される。だからときどき季節感がまるでなかったりするのだがそれは仕方がない。田舎だからだ。


「この番組は……六月に……関東地方?」

 よくわかっていないカメリアさんに説明する。カメリアさんは疲れた顔ながら真面目にふむふむと聞き、


「つまりここは、すごく田舎なんですね……都会ってどんなところなんだろう……」

 とつぶやいた。


「やっぱり都会行きたかった?」


「都会……っていうか、魔法の国がまずはすごい田舎なので、ちょっと一回『高層ビル』とか『電波塔』とかを見てみたかった感じはあります。さっきのヒナゲシ畑も、東京? とかいうところから近かったみたいですし」


 カメリアさんはそう言うと、馬肉をニシニシ噛んだ。あたしもそうする。やわらかく煮えているのにハードな歯ごたえだ。おいしい。


「でもここが『行くべきところ』だったんだよね?」


「そういうことになるんでしょうね――分かりませんけど。どうなんでしょう……十四歳の旅立ちをする子供は、大事にしてくれる人のところに行く、って言いますけど」


 カメリアさんはそうつぶやいて、テレビから目線を外した。

 あたしすら見ていない。

 なんだかうそ寒い印象の声で、カメリアさんはつぶやく。


「どうなんでしょうね」

「どうなんでしょうね、って、なにが?」


 思わず語気を強めてそう訊ねる。カメリアさんはやっぱり、魂が抜けたような、静かな口調で、

「わたし、結局迷惑かけてるだけだし……」


 とつぶやいた。あたしは首を振って、

「とんでもない! カメリアさんのおかげで手荒れしなくなったし寝ぐせつかないし、喋る相手がいてすごく」と、早口で言おうとしたのを、カメリアさんはじろっとにらんで、


「でも薬を調合してるときに、台所に入ってくるの、ちょっと気にしてたんですよ?」

 と、冷たい声で言った。


「え、ちょ……嫌なら嫌だって言ってくれればいいのに……」

「だって。いやだ、っていったらあじすさんが絶対傷つくと思って察してもらえないかって」


「察したってどのみち傷つくじゃん!」

 思わず怒鳴ってしまった。


 カメリアさんは完全に気圧された顔をして、それから顔がみるみる赤くなった。

「なんで怒鳴るんですか! 怖いです! あじすさんは友達じゃないんですか!」

 カメリアさんはそう大きな声で言った。みると涙目になっていた。


「友達だって結局は喧嘩して、なかったことになるんだっ!」

 あたしも売り言葉に買い言葉でそう返す。カメリアさんは大きなブルーグレイの瞳に、大粒の涙を溜めながら、


「友達は! 喧嘩なんか! しないです!」

 と叫んだ。あたしは、ここにきてようやく、カメリアさんの中身が十四歳で、恐らく友達と喧嘩別れになったとか、進学や、就職による引っ越しで疎遠になったとか、そういうことを体験してこなかったことを思い出した。


「あ、か、カメリアさん……その。ごめんね、カメリアさんが十四歳なの忘れてた」

「二十八です! 大人です!」


 ムキになってそう答えるカメリアさんは、どう見ても十四歳だった。


「あのねカメリアさん、友達でも喧嘩することってあるんだよ。あたしもそうだよ、何人も、喧嘩してそれっきりになってる友達がいる。それで」

「でもわたしとあじすさんはそれっきりになっちゃいけない関係じゃないですか。わたしはあじすさんのおうちの二階に下宿してるんですから、喧嘩になったら困るじゃないですか」


 カメリアさんは洟をずっとすすった。


「わたしはあじすさんを嫌いになりたくない」

「あたしだってカメリアさんと仲良くしたいよ」


「……お夕飯、ごちそうさまでした。きょう見た花を日記帳に書きたいので、部屋に戻りますね」


 カメリアさんはどこかよそよそしい口調でそう言うと、階段を登って二階に向かった。絵日記なんかつけてるんだ……。中学の、毎朝提出する日記帳を思い出した。先生が一言、赤ペンでコメントをくれるやつ。


 カメリアさんがひっくひっく泣いているのが聞こえた。……明日の朝、起きてきたら謝らなきゃ。そうだ、明日はハイビスカスを仕入れるんだった。――あればヒナゲシも仕入れようかな。ヒナゲシはあたしが小さい時から大好きな花だからだ。


 適当なメモ帳にきったない字で「ハイビスカス ヒナゲシ」と殴り書きする。


 売れない花はカメリアさんが買い取って魔法薬にしてくれる。神経痛魔女の友達も何人かくるようになったし、通帳に「魔法銀行」というところから月三万円振り込まれているし、テープ起こしもそれなりに仕事になっている。大丈夫。


 きょうはちょっと疲れて感情的になっただけ。一晩寝て、明日謝ろう。


 そう決めて、テープ起こしをサボって自分の寝室に向かい、寝間着に着替えて布団を敷く。


 明日もカメリアさん、朝ごはん作ってくれるかな。

 あたしが作って謝ればいいのかな。

 なんだか、心の中が、ぐちゃぐちゃしていた。

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