ワスレナグサ

「あじすさんは、恋ってしたことあります?」


 完全なる不意打ち。あたしは最近入荷したワスレナグサに水をやりながら、

「なんでそんなこと訊くの?」と尋ね返した。カメリアさんは小鼻をふくらませて、


「質問に質問で返すのは反則です」と子供っぽい口調で言った。


「そう言われてもねえ……質問の意図がよくわかんないなあ。こうやって行き遅れライフを堪能してるってことはさ、ろくな恋なんてしてないってわかるでしょ」


「そうなんですか? 誰かを好きになったことはないんですか?」


 カメリアさんの難しい質問。じょうろの水がなくなったので水道からだばーっと水を汲み、いまだに売れ残っている三色スミレに水をやる。ほぼほぼ花は終わってしまっているが、それでも捨てるのがもったいなくてせっせと水やら肥料やらを与えている。来年また咲くかなんか、分からないのに。


「うーん……情けないことにほんのちょっと片思いをしたことがあるだけだなあ。それだけだよ、恋らしい恋なんてしたことない」


「わたしはあじすさんが好きですけどね」

 ぶふぉ。盛大に噎せる。カメリアさんの爆弾発言をとりあえず、


「あたしもカメリアさんが好きだよ」

 と言って終了させる。カメリアさんの顔がちょっと明るくなる。


「片思いって、どんな感じなんですか? やっぱりきゅーんとしたりドキドキしたりするんですか?」


「どうなんだろうね、中二の夏だ……部活がバレーボール部で、隣でやってる男子バスケ部の、背の高くて顔の綺麗な同級生がなーんか気になって、ずっとちらちら見てて先生にこっぴどく怒られたっけ」


「わあ素敵。どんな人なんです?」


「うーんと、あたし人の名前覚えんの苦手でさ……名前なんだっけな? 忘れちった。ちょっと待ってて」


 とりあえずいったん家に戻って卒業アルバムを持ってくる。たぶん、三年生になってクラスが変わって部活を引退して、それですっきりさっぱり諦めたはず。えーと、ああこいつだ。


「好きな人でも、名前を忘れてしまうことがあるんですか?」


「だってもう十五年も前だよ、覚えてないよ。こいつだってテキトーに誰かと結婚してテキトーに子供こさえてテキトーに暮らしてんでしょうよ」


「十五年前……ですか。わたしがまだ元気だったころですね」


「そうだね、カメリアさんは中学とか行ってた?」


「魔法の国には教育ってものがあんまりなくて」

 カメリアさんはちょっと思い出しながら話しだした。


「とりあえず読み書き計算は親から学びますし、そこから先は魔術師ならアカデミアに行って勉強しますし、魔女なら悪魔と契って世の中のことを強制的に覚えますし、魔法使いなら十四で家を出て新しい土地で修業を積みます」


「まじゅつし? まぁた新しい名詞が出てきたぞ」


「悪魔を使役することで魔法を使う人たちです。数字の組み合わせで悪魔を従わせるんです」


「はー。難しいもんだね……」


 自分の顔がくちゃくちゃなのを自覚しつつ、そう答える。


「魔法使いは悪魔と共存して、それで魔法を使うので、魔女や魔術師ほど強力な魔法は使えないんです」

 よく分からないがなんとなく分かった。


カメリアさんはアルフォートをぽりぽりして、

「そういう環境なので、魔法使いは修業を終えて戻ってくる二十二くらいで結婚するのが普通なんですよね」


 と、意外なことを言った。


「え、魔法使いの修行の期間って決まってるんだ。たった八年?」


「そうです。わたしの場合だと、……三十六になりますね。うひゃー、もうすぐ四十になっちゃう」


「てっきり魔法使いも魔女宅みたいに旅に出た先の土地に居つくものだとばかり」


「まさかぁ! 人間世界で生きていくのは危険なんですよ! 十字軍より昔はそうだったらしいですけど。あと魔女や魔術師は人間相手に戦うくらいの力があるので、人間世界に住み着いてる場合もあります。キヨ江さんみたいに」


 魔法使いというのが迫害されやすいものだとなんとか理解して、目線をアルフォートに落とす。


 アルフォートをかじりつつ、ペットボトル――安売りされている二リットルのやつ――からカップに紅茶を注ぐ。


「で、さっきの話の続きですけど。やっぱり好きな人って視界に入るとずっと見ちゃうんですか?」


「どうなんだろ、ずっと見るっちゃ見るな、目が合わない程度に。あたし中学のころからガリガリで貧相だったからさ、あんまり自分に自信なかったんだわ。いまもそうだけど」


「自信を持ってください。あじすさんはすごく素敵な人です。魔法の国に連れて帰りたいくらい」


 いきなり独占欲を示されてドキリとした。カメリアさんは、あたしの顔をじっと見てから、アルフォートを口に入れてぱりぱり食べた。食べるときのオノマトペまでかわいいなんて、反則だよ……。


「で、でもあたしはフラワーハハキギがあるし……」


「わかってますよ。大好きなおじいさまのお店なんですものね」


「大好き……って言っても、あたしが三歳のころまでしか生きてなかったから、あんまり記憶はないんだけどね。祖父さんの残したものはこの潰れかけの花屋だけだし」


 カメリアさんは、ぱちぱち瞬きをした。まつげまできれいな金色。


「家族愛も愛情に入るんでしょうか?」


「入るんじゃない? っていうか入るよ。あたしあんまり愛された記憶ないけど」


「じゃあ、わたしは母や父に、すごく愛されていたんですね――十二年間意識もない、返事もしない、動きもしない娘にせっせと薬を与えて元に戻そうとするなんて。意識を取り戻してからも、心を失ってしまって喋りもしない日々が続いたっていうのに」


 カメリアさんは、自分の手のひらをじっと見た。


 悪魔に蝕まれる日々が、どれだけつらい日々だったのか、健康だけが取り柄のあたしにはよく分からない。いたたまれなくなって声を上げる。


「カメリアさん、夕飯なに食べたい? 買い物いかなきゃ」


「夕飯……ですか。んーと、酢の物がいいです。きゅうりとかわかめとか」


「もっと栄養あるもの食べなきゃだめだよ……まあいいや。きゅうりとわかめの酢の物に決定! そいじゃあ行ってくるから……」


 そう言ってレジを開けてみる。やっぱりお金はあまり入っていない。


ううむ、とうなって思い出す。そういやテープ起こしのアルバイト代そろそろ振り込まれてるかな。フジノヤの隣にあるATMで記帳しなきゃ。


「……」


 カメリアさんは、何故か今にも泣きだしそうな顔であたしを見ていた。まるで、中学生の女の子が、好きな人にアタックして玉砕したみたいな顔。その顔を見て無視するなんて無理だ。ずるい。ずるすぎる。


「おいていかないでください」


「お、おう……じゃあ一緒にくる? きょうもフジノヤに行ってATMで記帳して、あればお金下ろして買い物するだけだよ?」


「それだけでも、わたしにはすごく楽しいんです。またアイス食べましょうよ」


「アイスかあ……もしアルバイト代振り込まれてたら、ハーゲンダッツ食べてみる?」


「はーげん……だっつ?」


「すっごくおいしい高級アイス。普段は大晦日くらいしか食べないけど、たまにはいいよね」


 カメリアさんは少し考えてから、

「高いやつより、二人で半分こできるのがいいです」


 と答えた。あたしも、そのほうがいいな、と思った。

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