フジ
夏の見えてきたある日、夕飯の買い出しにいかなきゃ、とあたしは立ち上がってレジスターを開ける。大したお金は入っていない。ううむ、と考える。
というか夕飯の買い出しにいくにしたって、カメリアさんがずっと台所を使っていて、在庫を確認したら迷惑でなかろうか。何か月か前に来た神経痛魔女――名前は相坂キヨ江というらしい、ぜんぜん魔法の国っぽくない――の薬を調合しているのだ。ハンドクリームや寝ぐせ防止剤と違って、体の内部に問題がある場合、ちょっと薬の作り方が難しくなってしまうらしい。
カメリアさんの魔法は「錬金術」に近い。もっと易しく言えば「料理」だろうか。魔法でなにか特別なことをするのは隠れ宿の魔法を見せてもらったきりだ。
店の裏に回って台所に入ると、カメリアさんは難しい顔で温度計を睨んでいた。なにやら、店の裏から摘んできた野草がグツグツ煮えている。
エクトプラズムみたいの抽出するだけじゃないんだ。っていうかそのでっかい鍋、どこから出してきたのよ。
台所の奥に入ってカメリアさんに遠慮しながら冷蔵庫を開ける。実に寂しい冷蔵庫だ。味噌、牛乳、たまねぎ、納豆、卵。それくらいしか入っていない。
「――よし!」
カメリアさんが気合いの一言とともにコンロの火を停めた。すると鍋から、チョコレートみたいな匂いが立ち昇る。野草でこんな匂いのする薬が作れるんだ……。
「……あ。あじすさん、どうしたんですか?」
「うん、夕飯の買い出しに行こうと思って。見てよこの冷蔵庫のガラガラっぷり。うちの店といい勝負だよ」
「夕飯の買い出しって、もしかして『スーパーマーケット』ってとこにいくんですか?」
カメリアさんは「スーパーマーケット」のところだけちょっと強く言った。
「う、うん……それべつに強調して言うことじゃなくない? 前に行ったことなかったっけ?」
「いえ! 行ったことないですし、魔法の国はいまだに市場で買い物するシステムですし」
カメリアさんは魔法薬を瓶に流し込みながらそう言う。市場で買い物するシステムていつ時代やねん、とエセ関西弁が出そうになるのをこらえる。
「――十字軍が攻めてきたときから、魔法の国は文明の進歩が止まっているんです」
まるで十四歳で止まっているカメリアさんみたいだなあ。そう思うが口には出さない。カメリアさんはうふふと笑って、
「わたしみたいだって思ったでしょう」
と指摘してきた。図星!
あたしは図星の顔をしていたらしく、カメリアさんはふう、とため息を一つついて、
「魔法薬はこれで完成ですし、わたしもスーパーマーケットに行っていいですか?」
と訊ねてきた。もちろんだよ、と答えた。
しかし恥ずかしいことにうちにある車は軽トラ一台だ。それでも買い物にいかないわけにいかないので、「フラワーハハキギ」と書かれた軽トラに乗り込む。カメリアさんは完全なるワクワク顔。端的に言うと修学旅行に行く中学生の顔だ。
「そんなワクワクして行くところじゃないよ? 普通の田舎のスーパーだよ?」
「でも行ったことのないところにいくのは楽しいじゃないですか」
……そうだ。知らないところに行くのは、本当はすごく楽しいことだ。小さいころ初めて花卉市場に連れていってもらったときや、店を休んで隣町の植物園に連れていってもらったとき、すごく楽しかったのを思い出す。
「カメリアさんは、ワクワクしてこの街にきたの?」
「ワクワク半分、不安半分って感じですかねえ」
カメリアさんはそう言って窓から見える田舎町をきょろきょろする。特に面白いものなんてないだろうに。
しばらく軽トラを飛ばして、スーパーに着いた。ローカル展開している「フジノヤ」というスーパー。デザインを変えた時「欧米では紫はゲイの象徴では」ともめたけど老社長が伝統の色だと押し通したという藤色のロゴがきょうも頑張っている。
「フジ……ですか。そろそろ季節ですね」
「え、そこ?」
びっくりした。フジノヤの藤色のロゴを見て花のフジを連想する人がいるなんて。とにかく店内に入ると、カメリアさんは顔をぱああと明るくして、
「わぁすごい……いろんなもの売ってる!」
と子供みたいな反応をした。黒っぽい洋服の背中を掴んで、
「駄目だよそんなふうにきゃあきゃあしちゃ。どこの田舎者だべって思われちゃう」
と注意すると、
「だって本当に田舎者ですもん」と、中学生の屁理屈みたいな返事をされた。
そうか、カメリアさんは一四で心が止まっているんだ。そりゃ中学生の屁理屈みたいなことだって言うわなあ。納得してとりあえずきょうの夕飯と明日の朝ごはんの材料を調達する。カメリアさんはスイーツのコーナーにあるプリンアラモードをじっと見ている。
「買わないよ、高いもん」
そう声をかけるとカメリアさんはちょっと不満げな顔をした。分かりやすい。
でもなにかお菓子食べたいなあ。いつも通り安売りのアルフォートやら明治のベストスリーだのをかごに放り込みつつ考える。
店員さんが西日の入る店内にカーテンを降ろし始めた。きょうもあっついもんなあ。そうだアイスにしよう。二人でシェアできるやつ。パピコとか。
「カメリアさん、これ食べない?」
「え? なんですか、それは」
「アイスクリーム。二つ入ってて一人だと多いから買えなかったんだ」
「アイスクリームって、あの牛乳を凍らせたやつですか?」
「うん。そう言えば新聞に公園のフジが咲き始めたって書いてあったから、そこで食べよう」
というわけで、雑多な食べ物と一緒にパピコのカフェオレのやつをレジに通し、軽トラを飛ばして公園に向かった。公園には小さな子供を連れた若いお母さんや、孫の相手をするお年寄りや、……とにかく見ていてなんとなくうらやましくなるような人たちがうろついていた。
「結婚……かあ。子供……かあ。二十九のおばさんじゃいまさらなあ……」
パピコをぱきっとやりながらそんな呪いの言葉が駄々洩れになる。
「魔法の国だともっとシビアですよ、二十五までに結婚しないと行き遅れです」
「そうかあ……って二十五で行き遅れってエジプトかよ!」
「ま、行き遅れ同士仲よくアイス食べましょうか」
というわけで、咲き始めた藤棚の下でパピコをしばし食べた。三歳のころ、祖父と食べたのと同じ味がした。
「わたしは結婚なんかしなくても幸せですけどね。目が覚めて体が動くようになったとたん、親戚が心配して次々縁談を持ってきたらしいんですけど、すべて母が断ったらしいです。この子はまだ完全に回復していないから、って」
「へえ……あたしは縁談なんて持ち込まれたことないなあ。親戚らしい親戚が大叔父ひとりだし、きょうび見合い婚なんて流行らんし」パピコをちゅうちゅうしながらそんな話をする。
向こうのほうにポケモンGOをやっているらしい若い男の人が見えた。いくつくらいなんだろう。そう思った数秒後、カメリアさんのポシェットから電子音がした。
「わ、お腹空かせてる」
OH……マジでた●ごっちかい……。
「どう育ててもくち●っちかにょ●っちにしかなんないんですよねー」
「あはは……懐かしいなあ、あたしが小学生のときに流行ったやつだ……」
「古いものを分析して未来に生かすことこそ学問だ、と小さいころ母に聞かされました」
「古いもの……かあ。このフジの木も、相当昔からこのサイズだけど、古いのかな」
「分かりませんけど、きれいですよね。きれいってことには価値があります」
「そうだね、カメリアさんがそうだ」
あたしがそう言ってフジの木を見上げると、カメリアさんは、
「あじすさんだってそうじゃないですか」と堂々と言うのだった。顔がぼっと火がついたみたいに赤くなる。それを見ていたカメリアさんも火を噴きそうな顔。
二人で顔を合わせて、アハハハハと笑った。
パピコはすっかり溶けていた。
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