ペパーミント

 カメリアさんは熱心だ。毎朝早起きしてあたしのぶんの朝ごはんを用意してくれる。だいたいあたしは花屋を始める前はひどい寝坊癖のある人間で、今でも花卉市場に行く仕事がなかったらずっと寝ていたいくらいだ。


 だからカメリアさんの朝ごはんはとても嬉しい。西洋人の魔法使いみたいな見た目なのに、作るのはスタンダードな日本の朝ごはんだ。お味噌汁、玉子焼き、ご飯。


「うっま……」


 玉子焼きをぱくつきながらしみじみと言う。カメリアさんはにこにこであたしを見ている。なんとなく気恥ずかしい。


「あじすさん。すっごい寝ぐせついてますよ」


「ほぇ!」慌てて頭をがしがしする。カメリアさんはうふふと笑う。


「ねーカメリアさん、寝ぐせのつかなくなる魔法薬とかってないの? あたしくせっ毛だし雨降りにはぶわーってなるし、なんとかしたい」


「うーんと。寝ぐせ……ですか。対処法がない……わけじゃないけれど、普通の人も似たような方法を持ってるから」


「どんな?」


「えっと、ペパーミントから作れる魔法薬で、髪の毛をきれいに保つ方法があります。でも、ドラッグストアとかにいけば、ふつうに寝ぐせ直しって売ってるんじゃないですか?」


「……言われてみれば確かに」


 カメリアさんはうふふふと笑った。


「カメリアさんは寝癖とかあんまりついてないよね」


「なんででしょうね。自分でも分かりません」


 そんな話をしてから、車体に「フラワーハハキギ」と書かれた軽トラで、あたしは花卉市場に向かった。えっと、なにを仕入れようかな? と、予算を確認する。菊ばっかり仕入れるのはなんとなく癪なので、ペパーミントを仕入れてみることにした。それから、個人的に好き、という理由で三色スミレも買ってみる。売れるかな。売れたらいいな。


 それらを軽トラの荷台にどっこいしょと積み込み、あたしは花卉市場を出て、フラワーハハキギに戻る。戻ると、カメリアさんが店の窓ガラスを拭いていた。


「あ、ありがと」


「いえいえ。なにかお役に立てれば幸せです」


 カメリアさんは笑顔でそう答えた。


 店先にペパーミントと三色スミレを並べる。カメリアさんは三色スミレに顔を近づけて、


「――わあ、きれい」


 と、小さくつぶやいた。


「好きなんだよね、三色スミレ」


「そうなんですか。三色スミレの花言葉は『わたしを想って』でしたっけ」


「花言葉かー……祖父さんはそういうのめちゃんこ強かったんだけどねー。若死にしちゃったから」


「あ、ご、ごめんなさい……」


 カメリアさんは急に恐縮した。あたしはいいのいいの、と笑って、

「いずれ話さなきゃいけないことだし。あのね、」

 と、この店の状況を説明した。


 フラワーハハキギは、あたしの祖父である帚木竹蔵の開いた店だ。祖父は正真正銘の花好きで、祖母があきれるレベルで花を育てていたという。花言葉にも通じ、マニアックな万年青だの君子蘭だのをせっせと育てていたらしい。あたしが三つのときに、祖父は病死した。


 その竹蔵の息子があたしの父、帚木菊介である。父はそれほど花の好きなひとではなく、仕方なくフラワーハハキギを継いで、もっぱら菊と胡蝶蘭、それから注文された花だけで店を回していた。あたしの母が病気で亡くなってすぐ、父は交通事故で亡くなった。


「そういうわけで天涯孤独ってわけ」


 あたしがアハハハーとそう説明して、カメリアさんの顔を見ると、カメリアさんは大きなブルーグレイの目に、涙をためていた。涙はぽつり、と、カメリアさんの黒っぽい衣服に落ちた。


「か、カメリアさん? そんな泣くようなことじゃないよ」


 あたしはポケットをがさがさやる。ハンカチなかったっけ。ない。どんだけずぼらなのよ。


 しょうがないので消費者金融のティッシュ配りでもらった実にそっけないティッシュペーパーを差し出す。カメリアさんは涙をぬぐうと、


「だって。あじすさん、わたしと一つしか違わないのに、可哀想だと思って」


「ぜーんぜん? 可哀想なんて思う必要ないよ?」


「でも……」そこまで話して、はっとカメリアさんは気付いた顔をした。


「……わたし、二十八歳なんでした。ずっと自分を十四だと認識していたので」


 あたしは思わず、飲んでいたペットボトルのお茶を噴いた。


「なにそれ、人生半分じゃん。十四で拾った病気って、そんなにやばいの?」


 カメリアさんは少し難しい顔をして、


「病気のせいで心が十四で停まってるんです」


 と答えた。どういう病気なんだろう。なんか怖い。カメリアさんは店の窓から空を見上げて小さな声で、


「十四で家を出るしきたりがあるから、心が十四のまま出てきたけど……」とつぶやいた。


「箒で飛んできたの? 魔女の箒ってエニシダでできてるんだよね」


「わたしは魔女でなく魔法使いです。あと、箒は高いところが怖いので乗れません。電車できました」


 魔女と魔法使いは違う人種らしいことがわかった。あと、カメリアさんが高所恐怖症なのもわかった。カメリアさんは窓からハーバリウムに視線をうつして、それからあたしのほうを向いた。


「あじすさん、わたしはあじすさんの力になりたい。あじすさんの味方になりたい」


「……ついこの間知り合ったばっかの他人なのに?」


 カメリアさんは小さく頷いて、


「どんな間柄だって最初は他人です。チェスの名人だって最初は初心者。どんな文豪だって、子供のころはひらがなしか読み書きできないんですから」


 と答えた。よく分からないが確かにその通りだ。カメリアさんはすっと立って、ペパーミントの葉を一枚もいでいいか、と訊いてきた。


「一枚なら」と答えると、カメリアさんはペパーミントの葉をぷちりともいで、なにか魔法を使った。ポケットから出した小さな瓶に、ペパーミントから出たエクトプラズムみたいなやつがするする入っていく。


「これを頭に振りかければ、しばらく寝ぐせとは無縁になるはず」


 そう言ってカメリアさんは魔法薬をあたしに渡した。


「これくらいのことでしか、わたしはあじすさんの味方でいられない。どうか、役に立たせてください」


「お、おう……カメリアさん、いいんだよ、ただの下宿人で……」


 あたしは、カメリアさんをどう思っているんだろう。自分でもよく分からない。尻切れトンボになってしまった言葉をごくりと飲み込んで、それから、


「あたしは、カメリアさんが、好きだからっ」


 と、チャン・ドンゴンだったかイ・ビョンホンだったかの出ていた昔のCMみたいな言葉が口をついて出た。カメリアさんは目を真ん丸にして、それから表情をくしゃ、とくずして、


「わたしも、あじすさんが好きです」


 と答えた。あたしの気恥ずかしいセリフをリセットしてくれた、カメリアさんの優しさに、ただただ救われた。あたしはえへへと笑って、


「よーし。販促ポップ描こう。育て方が分かんないと売れる花も売れないもんね」


 と、そう言って適当にごまかし、レジカウンターの下からポップ用紙を出し、マジックでキュキュキュと三色スミレの育て方を書いた。


 きょうもきっと平和な一日なのだろうな。そう思い、カメリアさんをちらと見る。穏やかな顔で、あたしがやっぱりレジカウンターの下から出してきた花の育て方事典を興味深げに見ている。


 カメリアさんを幸せにしたいと思った。病気に奪われた十代を取り戻してほしいと、そう思った。

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