第5話 エピローグ
(今にもとって食われそうに思えたが、こいつ、すぐにはそんな気はないらしい。それにしても、案外、心地いいもんだなあ)
わたしは、ごわごわしてはいるが、弾力性のあるりゅうの腹を、みずからの背に感じながら、空中を飛翔するだいご味を味わっていた。
頭からしっぽまでずいぶんと長い。
百七十センチに満たないわたしの身長を基にして考えると、その数十倍はある。
その長すぎる体でくねくね動きまわられるものだから、わたしはすぐに平衡感覚をなくしてしまった。
まるでぐるぐるまわる遊園地のひこうきに乗っているような気がする。
りゅうはダチョウの卵くらいの大きさの眼で、前方をかっとにらみつけ、思わずふきだしたくなるほど仰々しい獅子っ鼻から、時折、煙のような息を吐き出しながら、ひょうたんの形をしたみずうみの上を飛びまわった。
ときどき、背の高い木にまとわりついては、突起物のおおい頭を上に向け、大きく裂けた口から炎を吐きだすのには、閉口してしまう。
「おい、おまえ、もういい加減わかったろう」
りゅうはぞっとするほど威圧的な声で、直接わたしのこころに語りかけてくる。
「なっ、何がでしょう」
応えないと何をされるかわからない。
わたしはびくびくしながら、そう言った。
「なにって、なんだ、おまえ、まだわからんのか」
「なにがでしょう。わたしにはさっぱり」
「ばかだな。今、おまえがどこにいるかってことだ」
「お、お言葉ですが。ただ飛んでいらっしゃるだけですよね。みずうみの上を。これって中禅寺湖なんでしょ」
「よく見るがいい。はたしてそうかどうか」
わたしは、こわごわ、みずうみを見つめた。
パラグライダーをあやつり、みずうみを見たらこんな具合だろう、と思う。
湖面は、今までわたしが見知っていたとおりの色彩を保っていた。
湖底がすり鉢状になっているために、まん中に行くほど緑が濃い。
りゅうが湖面近くを飛びはじめると、みずうみの中があらわになってきた。
不意に差し込んだ、太くて照度のつよい日の光が水中までとどいたとき、なにやらごたごたしたものが、湖底に見えた。
建物やら橋やら、大小のくるま、それにありんこのような黒いものがうごめいている。
それらがおびただしいかずの人間であることに気づくのに、それほど時間がかからなかった。
「なっ、なんてことだ。まったく信じられん。これってひょっとして」
「ようやくわかったらしいな。おまえが思うとおりだ。今からすぐ、そこに連れ帰ってやる」
「はい、ありがとうございます」
「おまえの伯母に免じてな。もう来るんじゃないぞ、この時期に。日光の早春はまだまだ寒さが厳しいからな」
「よくわかりました」
りゅうは、わたしを腹にかかえたまま、ざぶりと水中に没した。
誰かがほほをたたいている。
かすかに、ごうごうという音が聞こえ、そして闇ばかりだった景色がしだいに白々としてきた。
黒いジャンパーを身につけ、薄青いフレームのめがねをかけた中年の紳士が、やわらかな眼差しで、わたしの左手をにぎっている。
その紳士のわきにいるのは、どうやら、わたしの息子らしい。
わたしが右手を彼のほうにのばすと、
「おとう、とうちゃん」
彼はつぶやくように言い、白いほっそりした両の手でわたしの右手をにぎった。
わたしは、あちらこちらとゆっくり首をまわし、ようやく、自分が滝見台にあるみやげもの店の中の畳の上に寝かされているのに気づいた。
「よかったですね。わたしが居合わせて。でなきゃ今ごろは」
礼を言おうにも、口がよく利けない。
代わりにわたしは、二三度、頭をふった。
「おとうさん、よかったよかった。お医者さまだったんだよ、このおじさん」
落ちつきをとりもどした息子が、涙声で言った。
彼岸へ。 菜美史郎 @kmxyzco
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