第4話

 「Kちゃん、なにやってんだよ。そんなとこで。休むんなら、さっさとうちに入ればいいんだ。わかったろ、怖いのが、このあたりが。だけど、よく無事でいられたもんだ。あんなでかいやつに出くわして」

 不意に、女の声がした。

 聞きおぼえがある。

 どうやら義理の伯母がわたしの、まじかにいるらしい。

 まだまだ正常じゃない、まどろむような意識の中で、返事だけは早くしようと、

 「うん、そうだったよね。でも、あのね、何かが変なんだ」

 と、わたしは応じた。

 「ばかだね、ほんと。しっかりおし。高台にいたから今でも命があるようなもんだよ。そんでなきゃ今ごろはね」

 彼女がたたみかけてくる。

 昔のしゃべり方にほぼそっくりで、わたしはなぜかほっとした気持ちになり、

 「ごめんね。おばさん」

 それだけ言うと、口をつぐんだ。

 自然と涙がほほをつたう。

 首をゆっくり横に振り、いっしょに来たはずの息子の姿をさがすが、どこにも見えない。

 今ごろ彼は、おろおろしながら、わたしをさがしまわってることだろう。

 会社にいたころ、彼はひどいパワハラにあった。

 労組もないのに、上司にいいたいことをずけずけ言うものだから、彼らににらまれた。それ以来、なんにつけ、いやがらせを受け、そのうち気を病み、ある日突然倒れた。

 「とにかく、Kちゃん、お茶いれたから」

 ひとつひとつの音に、気合いをいれ、伯母がいった。

 実家の犠牲者だ、好きでもない人といっしょいなったんだ、と彼女は常々話していた。そんな話は、昔は、それほどめずらしくもなかった

 わたしは、うんうんと相槌をうつことしかできない。

 わたしの態度にいらついたのか、彼女は大きく舌うちした。

 それが彼女独特のクセであることを思い出し、わたしはなつかしかった。

 しかし、伯母は、もうこの世の人ではない。二十年ほど前に鬼籍に入った。

 (だから彼女に頼ることはできない。どうしたらいいんだろう。もとの世界にもどるには・・・・・・)

 とにかく、まずは、今の状態を受け入れるしかない、と、わたしは気合いを入れようと、上下の歯をかみ合わせようとした。

 だが、まったくかみ合わない。

 わたしは、やっぱり、自分は幽霊かなにかになったにちがいない。実際、薄目をあけているにもかかわらず、周囲がおぼろげだった。

 伯母の家はといえば、まるで小屋のようだが、ちゃんと生活ができた。

 新しく普請した伯母の家の中で、自分がふんごみに足をつっこんでいるらしいことが、ようやくわかった。

 急に、わたしは生ごみの匂いを嗅いでしまい、戸惑った。

 電気ごたつのまわりに、大量のごみ袋が置かれているのである。ようやく、それらがはっきり見て取れた。

 晩年、彼女は膝の痛みに苦しんだから、玄関先までそれらを持ち出すことができなかったのだ。

 「だいぶ、落ちついてきたな。よし、待ってろ。今、なにか腹にたまるもの、作ってやっからな」

 立ち上がる時、伯母は顔をゆがめた。ふらつきながら、台所へ向かう。

 「とうちゃあん、とうちゃあん」

 息子の悲痛な声が、どこからか、聞こえた。

 不意に、わたしは意識をなくした。

 またもや、なにものかが、わたしのわきばらをひっつかみ、いとも簡単に、伯母の家の窓ガラスを、その起伏の多い頭で押しやると、長い胴体をくねらせながら、一気に、中空まで、かけあがった。

 


 

 

 


 

 

 

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