第2話
龍頭の滝。
滝見台の上に立つ。
わたしの顔といわず髪の毛といわず、からだ全体にまで、ひんやりした細かな水滴があたってくる。
冬の間氷に閉ざされていた滝は、このところの冬に似合わぬ暖かさのせいで、その竜の頭の部分にあたる木かげに、青っぽい巨大なつららをいくつか残しただけだった。
山頂付近から勢いよく流れ落ちてくる水しぶきが、途中で霧となり、狭い谷間をただよっている。
ぞっとするほど冷たい空気が、早い春の日射しに慣れはじめたわたしの素肌に、容赦なく吹きつけてくる。
竜は、ほとんど、その荒々しい姿を、私の面前であらわにしていた。
いつだって大空に飛び立ってみせるぞ。
そんな準備ができているように思われた。
ざざざっ、ざざざざっと轟音がひびいてくる。
水音にかき消され、周囲の人の声が聞き取りにくい。
「足もとに気をつけてね、おとうさん。ぬれっちゃうからね」
わきにいた息子が、目を丸くして言う。
建設当初は、平らだったのだろう。
滝見台の床に張りつけてあるタイルが、ところどころギザギザになっている。
ながい年月のうちに、多くの人々に踏みつけられたり、蹴とばされたりしたことを表していた。
霧が水しぶきとまじりあい、雨となって滝見台に降りそそぎ、あちこち水がたまっていたのである。
「うん、ありがとう。教えてくれて。助かったよ。おかげで」
わたしはできるかぎり簡潔に、眼差しをやわらかくして、しゃべった。
「おとうさん、あのたきね。すごい」
「なにがすごいんだね。お父さんに教えてくれるかい」
「うんとでかい怪物がこっちを向いて、口をあけているみたかった」
「そのとおり。元気のいいリュウだ。そいつが活発に動いて、こっちにまで水をはねあげてきてたよな」
わたしたちは上流に向かおうと、外に出た。
「あれなんだろね。あっちに、ちっちゃいりゅうがいるよ」
「ああ、あれか。あれはね」
神社でしばしば目にする、屋根つきの手洗い場。
その水槽のふちに、銅でつくられた小さな竜が両の前足をかけ、大きく口を開けていた。
その口から水が流れだしている。
わたしは、その竜のまねをした。
両手を空にむけてあげ、があっと声をだした。
息子がおびえて、後ずさりする。
「ごめん、ごめんよ。うそっこの竜さ」
あわてたわたしが真顔でそういうと、ふだんめったに笑ったことのない息子が相好をくずした。
「りゅうってね、とうちゃん。ほんとにいるんかな。いたらぼく、とってもこわいな。あっという間に食べられちゃう」
「まあな、でも心配はいらない。そいつは想像上の生き物でしかないから」
「ふうん。じゃあだいじょうぶだね。でもどっかで聞いたことあるような名だね。ずっとずっと前だけど」
「あるさ、もちろん。とっても力強くて、何ものにも負けない力をもっててさ。ほら、竜虎の闘いってきいたことあるだろ」
「ああ、知ってるよ。野球のタイガースとドラゴンズ」
「すごいぞ。よく覚えてたね。おまえが子どものとき、あったろ。ドラゴンボールって、漫画」
「うん、もちろん。かめはめはあってやつでしょ」
胸のあたりでががっという音が聞こえると同時に、わたしは息苦しさを覚えた。
今さっきまでかすかに聞こえていた滝の音が耳から遠のいていき、あたりの景色がぼんやりし始めた。
「あれっ、あなたってね。さっきね。お墓でお会いしましたよね」
年配の婦人のかんだかい声。
その声が、わたしを現世につなぎとめる役割を果たした。
わたしは、ひざまずいている息子に寄りかかり、うんうんと首を振った。
「ああ、ああ、おはかでね。ごいっしょしまし・・・・・・」
とにかく話しづらい。言葉じりが小さくなってしまう。
「いやだよ。とうちゃん。しっかりしてよ。こんなとこで、とうちゃん倒れたら、ぼく、どうしたらいいんだよ」
息子が不安げなまなざしをわたしに向けて言った。
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