第41話 チャコは傷物

 チャコと言うのは久子ひさこと言う女の子の愛称だ。

 幸子さちこちゃんを「さっちゃん」と言うのと同じくらい有名な愛称で、お芝居の役の話だけれど、テレビの人気者のケンちゃんのお姉さんの名前もヒサコで愛称がチャコちゃんだった。


 どうしてヒサコがチャコになるんだろう?

 例えば赤ちゃんに近いちっちゃい子は「駄目っ!」と言う時、後ろの「めっ!」と発音する。

 「ヒサコ」が子供の舌ったらずで「ヒチャコ」と言う発音になり、後ろの音の「チャコ」が、ヒサコちゃんが自分を指す言葉として定着したものらしい。



 泣きそうな顔のチャコちゃんにお兄さんは続ける。


「甘えてくれるのは嬉しいよ。それも久子さんみたいな可愛い女の子だとなおさらだ」


 言われてにんまりとするチャコちゃん。


「でもね。僕のお膝で甘えている子に、いきなりポカポカは酷いじゃないか。

 乱暴すると折角の可愛いお顔も台無しだよ。

 チャコちゃんがお転婆なのは可愛いと思うけれど、乱暴なのは嫌になるね」


 あ、今のが止めになっちゃった。


「うー。うっうっうっ」


 大声で泣くタイプじゃなくて、押し殺したような泣き方だ。


しずさぁ~ん! ちょっと来てぇ~!」


 大声で呼ばわるお兄さん。


「どうしました? 坊ちゃま」


 さっきのお手伝いさんが遣って来た。

 お手伝いさんは交互に、膝に腹這いで抱かれている僕と、その前で声を殺して泣いているチャコちゃんを見比べる。


「どうも、この子に嫉妬しちゃったみたいなんだよね。

 いきなりこの子を叩き始めたから止めたんだけれど。そしたら急に泣き出して……」


「どうしたの?」


「うっううっ……。ママ……くしゃん! そこ……チャコの」


 ははぁ~ん。判った。チャコちゃんおませさんだ。僕解っちゃった。


「おばさん。この子多分、お兄さんの彼女の積りなんだよ。それで僕が甘えてたから、嫉妬しちゃったんだと思うよ」


 そう推理した時。


「違うもん!」


 チャコちゃんが首を振った。



「チャコ、傷物だから……ひっく。お嫁さんにも……ひっく。彼女にも……こほん! 成れないんだもん」


「え?」


 僕より年下の、まだ学校に上がって居ないちっちゃい子の口から、とんでもない言葉が飛び出した。

 そしてさらに。


「でも……ひっく。人犬……ひっく。だったら……くしゅん。

 ずっと……ひっく。一緒に……ひっく。いれるんだもん」


 顔を見合わせるお手伝いさんとお兄さん。

 子供の話だから普通、言葉通りには取らないと思うけれど。聞き流せない言葉が並んでいる。


 お兄さんは困った顔をするお手伝いさんにこう言った。


「あ、この子。安達さんの関係者なんだ。それで一応だけど人犬の話は知ってるから。

 知ってて吹聴しない程度には口が堅いから」


「そうですか……」


 お手伝いさんは、悟ったような顔をしてチャコちゃんをなだめ始めた。


「チョコ。坊ちゃまは今お勉強で忙しいの。決してチャコが嫌いだとか、おちびさんだからじゃないのよ。

 大学に受かるか受からないかの大事な時だから、彼女なんか作って居られないの。

 もちろんチャコが傷物じゃなくても変わりないわ」


 ちっちゃい女の子が、お父さんとかお兄ちゃんとか身近な男の人のお嫁さんになると口にすることは良くある話だ。

 僕だって、ちょっと遊んでやったちっちゃい子に「お兄ちゃんのお嫁さんに成る」とか言われたことがあるんだもん。まして大人なのに遊んでくれるお兄さんだよ。

 僕だって、抱っこしてやおんぶや、高い高いしてくれるお兄さんの為なら。わんちゃんになってあげようかな? って思って居るんだもん。

 同じようにされたチャコちゃんが、お兄さんべったりになっちゃう気持ちは良く判る。


 でも。僕は首を傾げる。


「あのさぁ。好きだからって、一緒に居たいからって。だから人犬になるは無いよね。

 普通はお嫁さんになる、とか。彼女になる、とか。言うもんじゃないの?」


「お嫁さん、成れないよ。彼女なんて無理。だってチャコ、傷物だもの」


 チャコちゃんはもう一度はっきりと、傷物だと言った。

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