3章 

第33話 エロ本の湧く井戸

 学校の帰り道。


 天然パーマの石川は、二年生になってから同じクラスになった子だ。

 席も近く帰る道も途中まで同じ。

 鉄工場の横を過ぎ、行きは緑のおばさんがいるバス通りの交差点。そこを道沿いに真っ直ぐ来て、お寺の前までは同じ道だ。


「知ってるか柿崎」


 訳知り顔の石川が聞いて来た。


「上級生が話してるのを聞いたんだけどさ。そこの広島ストアの横に入った空き地に、べニアの乗っかった井戸があるだろ?」


「うん。危ないから行っちゃ駄目って言われてるけど。あそこ?」


「本当に危ないとこなら、べニアじゃなくてもっとちゃんとした物で塞いでるよ」


「それもそうだね」


「あそことっくに井戸は埋められちゃってて、僕等でも顔が出る深さしか無いんだってさ」


「へー」


「でね。あの中には一月に一回くらいの割合で、エッチな本が湧いて出るんだって」


「エッチって?」


「女の裸」


 そう言われても、今年の四月まで女湯に入ってた僕には、だからどうした? って話だけれど。

 あんなの何が面白いんだろう。エロいと言うならすっぽんぽんより、チコちゃんのタイツ姿の方がよっぽどエロいよ。


 そんな僕の考えはさておき。こんだけ石川が誘うんだもん。帰り道にちょっとくらい付き合うのが友達だよね。


 広島ストアは舗装道路を挟んだどぶ川の向こう。元々の酒屋さんの所に色んなお店の入っている。


「ついでにお菓子買って行こう」


 お店に入って直ぐ左側には雑貨屋さん。ノートや鉛筆や消しゴム。僕が毎月買ってる小学二年生とかの雑誌なんかも置いているお店だ。


「あれ? 千葉さん。お買い物?」


 ランドセルを背負った千葉さんが熱心に見ているのは、青いプラスチックのケースに入った香水入りのプラスチック消しゴム。


「五十円かぁ……」


 値段を見て溜め息を吐く。


「高っ」


 石川が言った。だって普通の消しゴムは十円とか二十円で買えるんだもん。


 小学生のお小遣いが一日十円で、菓子パンや牛乳が二十五円。アトムのシールが入っていたマーブルチョコが三十円。

 五十円と言えば五日分だ。大きい事は良い事だってコマーシャルしていたでっかいチョコレートと同じ値段で、食パンだったら一斤買える。


「あ! 入ったの?」


 お店に一つだけ、勝手に触れないように置いてあるスパイメモを物欲しそうに見る石川。

 多分僕も同じ目をしていると思うよ。だってさ。水に溶ける紙なんて、本物のスパイが使ってておかしくない物が入ってるんだもん。

 これより七十円高い雑誌の小学二年生は買って貰えても、スパイセットはお小遣いを貯めて買いなさいってお母さんたちは言う。


 入って右の酒屋さんはお酒だけじゃなく、たばこやお塩や量り売りのお菓子なんかも置いてある店だ。

 青のスモッグに梅の名札。黄色いカバンの男の子がお使いで、丁度のお金を握り締めてタバコを買いに来ていた。


「タバコ一個下さい」


 するとお店のお姉さんが、


「一個じゃなくて一箱でしょ?」


 と教えている。

 幼稚園の子なんだから、別に一個って言ってても構やしないと思うんだけれど、いちいち言い直させている。


 僕はまだスパイセットに見とれているけれど、石川は半月もお金を貯めなきゃいけないスパイセットに見切りをつけ、


「おばさん。カリントウ十円分」


 ガラスケースに入ったお菓子を買いに行く。一応売るのは百グラム単位だけれど、子供に限って買いたい金額分だけ売ってくれるんだ。


 お店の中で、新聞紙の袋に入れてくれたカリントウを抓む石川。


「おばさ~ん。いつものジャムパンね」


 入って来た下澤さんが十円玉と五円玉を突き出す。

 普通のジャムパンは二十五円だけど、ここのジャムパンは十五円。

 何故って?


「もっとジャム塗ってよ」


 このジャムパンは、食パンにビンのいちごジャムを塗った物だから。


「おば……。いけない!」


 僕もつい買おうとしたけれど、ここで食べたら給食半分富樫にくれてやった値が無い。

 だってあとちょっと我慢すれば、お爺さんでエクレアが食べられるんだもん。


 お金を出し掛けて慌てて止めた僕に、奥の方から、


「ひろちゃ~ん」


 お惣菜屋の百田ももたのおばさんが声を掛けた。


「お小遣い使い過ぎたのかい? それともスパイセット買うために貯金してるのかい?」


 いや。そのどっちでも無いけどね。でもそっから見てて、そんなに欲しそうに見えたんだ。


「お昼過ぎたからそろそろ、朝一で揚げたコロッケを下げるんだけれど。

 良かったら一つ食べないかい」


 顔見知りなので親切で言ってくれる。

 ここのコロッケは、他のお店よりお肉が沢山入ってて美味しいんだ。


「ありがとう。でも、今日は遠慮しとく」


「こんな時、子供は遠慮するもんじゃないさ」


 勧めてくれるのは嬉しいけれど、今日は特別。


「今日ね。わざわざお爺ちゃんがおやつ用意して待っててくれてるの。だから、他に欲しい子に上げて」


「そうかい。じゃあ他の子にあげるね」


 我慢我慢。本当にここは誘惑が多過ぎる。


「石川。そろそろ行こう」


「ん、ああ」


 僕達は広島ストアを出て古井戸に急いだ。



 子供が潜れるバラ線の向こう。

 空地にはこんもりとした高さ一メートル位の築山が二つ。

 アリの巣がある土の山。スギナの生えてる草の山。そしてそれらの向こうに蓋をされた古井戸があった。


 井戸の蓋は僕一人でも動かせるベニア板。石川と二人でずらしてみると、


「うわ~。沢山ある」


 周りと同じ高さまで土で埋められている井戸の中には、沢山の雑誌が入っていた。


「柿崎柿崎」


 石川が一つを開いて僕に見せる。

 カラーの女の人の裸だ。パンツも穿いておらず、寝そべって肌色のお尻の曲線を見せている。


「ほんとにあったんだ」


 言いながら、表紙の取れた学校のご本と同じ位の大きさの本を開く。


「え?」


 僕はその場で固まった。

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