第32話 食いしん坊
富樫が戻って来たのは四時間目が終わって間もなくだった。
ちょっと青い顔をしている。
「富樫さん、もう大丈夫?」
「うん。ありがとう」
気遣う安倍さんにお礼を言う富樫。
「あ! 私、今日お当番……」
焦る富樫。
「そんなんじゃ無理しない方がいいね。今日の当番代わってやるよ。重たい物運ぶのきついだろ?」
元々富樫に恨みなんて無かったんだ。暴力振るって来る時には怒鳴り散らせても、怪我した富樫に優しくしてやるくらいの気持ちはある。
「……あり、がと」
僕の申し出に富樫は、富樫らしくも無くお礼を言う。
「今日だけだからな」
流石に恩を売り付けて置けば、暫くはこの暴力女も暴力は振るわないだろう。そんな打算も少しはあった。
因みに当番と言うのは給食当番の事で、一年と二年は掃除当番は無い。代わりに順送りで五年生が二年生、六年生が一年生の教室の掃除をする事に為っている。
机に入れてあるガーゼマスクをして、水飲み場で石鹸付けて手を洗う。
準備を整えて富樫の代わりに給食室の前に行くと、
「ち。持って行かれたかぁ」
中味もケースも軽いアルミケースに入ったパン。重いけど途中で床に置いて休むことが出来るおかずのバケツ。早く来た奴は、そう言う物を選んでさっさと持って行く。食器もアルマイトだから嵩の割に軽い。
で、残っていたのは牛乳だけ。ビン入りでがっちりした木の箱に入っているから、これがまた無茶苦茶重たいんだ。
「いくらなんでも、今の富樫に持たせるのは可哀想だよね」
そう自分に言い聞かせて、僕は両手で木箱を抱えて腰に乗せた。
給食当番には特権がある。おかずや汁物を入れる量をある程度加減出来るんだ。
仲の良い子や自分には、多めに入れたり嫌いな物をなるべく少なくしたりする。
空の食器を持って並ぶ子に、僕は汁物を入れて行く。
「頼む。ニンジン少なめに」
「OK」
石川の小鉢になるべくニンジンを外して入れて行く。
「ジャガイモ多め」
「了解」
「食欲無いから少なめにね」
「いいよ」
そんな中、当番を代わった富樫の番。
僕はお玉をおかずバケツの内側に押し付けて汁を抜く。それを二杯小鉢に盛って、三回目でやっと普通に入れる。自分にやったら非難轟々確実な、無茶苦茶具沢山の汁物だ。
「富樫の食いしん坊。これだけあれば足りるか?」
「……あり……がと」
また、たどたどしくお礼が返る。
日直の「頂きます」の号令で一斉に食べ始める皆。
相変らず富樫の食べる勢いが凄い。
そう言えば、僕の生まれた頃にはご飯も満足に食べられない子が居たんだよね。
いや、今でも人犬に売られちゃったチコちゃんなんて、碌な物を食べさせて貰って居ないんだ。
富樫のがっつく様子を見ながら、僕はそんなことを考えていた。
僕がまだおかずに手をつけて居ないのに、もう小鉢の汁物が空に近い。
特に好きな物と言う訳でもないし、今日はお腹を空かせておいたほうが良いことが待って居る。
僕は富樫に聞いてみた。
「なぁ富樫。まだ手ぇ付けてないけど、半分食べるか?」
じろりと睨む富樫の目。
「いいの?」
「今日は四時間目までだから、給食食べたら学校は終り。
えへへ。今日はね。お爺ちゃんのお
えーと。エクなんとかって、稲妻みたいに早く食べちゃわないといけないケーキ」
「それ、エクレアってお菓子だよ。おしゃれにエクレールって呼ぶこともある奴でしょ?
学級文庫のチョコレート戦争に出てる奴だよね」
「あー、うん。それ。
いっぱい用意しとくって言ってたからね。お腹を空かせておかないと食べられないんだよ。
お腹一杯になって、さっちゃんの歌みたいに半分しか食べれないなんてごめんだし」
「ケーキかぁ。良いなぁ」
ぼそりと言う富樫。
「じゃあ、僕に付いてお爺ちゃん
僕に用意して置いた奴を分けてあげるんなら、安達のお爺さんも多分駄目だって言わないだろう。
でも富樫は、
「寄り道しないで直ぐ帰らなきゃいけないんだ」
とまた暗い顔になる。
「ランドセル置いてからくればいいでしょ? なんなら僕、お
と誘ってみたけれど。
「ごめんなさい。うちは厳しいの」
残念そうにそう言った。
「で、要るの要らないの?」
僕は給食に話を戻した。
「要る、いる要る、全部でも要る」
僕はくすりと笑いながら、汁物もおかずもパンも。牛乳を除いた全部を半分、富樫に渡した。
それでも食いしん坊の富樫は、まだまだ物足りないのか、
「牛乳は?」
と聞いて来た。
「牛乳は駄目だよ。
ちゃんと飲まないと、背が伸びないし身体の骨や歯が丈夫に為らないし。
風邪を引き易くなったり夜になると目が見えなくなる病気に罹ったりするし。
頭も良くならないんだよ。お母さんもお父さんも、お爺ちゃんもそう言ってたし」
すると富樫はくすくす笑った。こいつの笑顔って、今初めて見たかも。
富樫はもう、親の仇と言わんばかりの恐ろしい勢いで給食を食べて行く。
そして、お代わりをする子が出始めた頃。
「え? まだ食べるの?」
さらにお代わりを求めて席を立った。
お尻の痛みで顔を顰めて立ち上がってまでも、まだ食べたいなんて……。
富樫って相当な食いしん坊さんだね。
なんだかとても可愛く思えちゃって。僕はつい、富樫の頭を撫でていた。
次の瞬間。
「ぎゃあ!」
富樫に思いっきり足を踏まれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます