第35話 もう無いお店

 コッペパンみたいな形の物に、チョコが掛かっている。

 本でしか知らなかったお菓子が目の前にある。これがお爺さんの用意してくれた今日のおやつ。


「これがエクレア?」


「そうだ。細長いシュークリームにチョコを被せたお菓子だ。どうした? 想像と違ったのか?」


「う、うん」


「中のクリームは、生クリームとカスタードクリームとバタークリームが順番に詰まっておるから、味や風味が替わって行くのが楽しめるぞ。ほれ、食ってみろ」


 勧められるままに口に入れると、先ず冷たいチョコ感触と香ばしい匂いが入って来た。

 パリッとした皮はサクっとした歯ごたえを返し、噴き出すクリームに目の前に稲妻が走る。

 多分これが生クリーム。口を動かすごとに、食べなれたカスタードクリームのトロっとした感触に代わって行き、やがてそれはクリスマスやお誕生会でおなじみのバタークリームに代わって行く。

 三色のクリームを全て味わった時。ほんと、稲妻のようにあっと言う間にエクレアは無くなっていた。


 美味しい。それでいて軽いからまだまだ食べられる。

 まだ五つもあるけど、食べたらあっと言う間だな。きっときちんと給食食べて来ても全部お腹に収まったと思う。富樫も一緒に来れば良かったのに。


 あの暴行女の富樫も、今日給食分けてあげたら別人になった。多分、ご飯ちゃんと食べれてなくて、お腹空いてるから狂暴になってるんだと思う。

 だったら僕のおやつとか分けてあげたら、大人しくなるかな? 正直、隣の席の子と険悪なのは疲れるもん。

 試しに今度誘ってみよう。


 それにしても美味しいお菓子だ。


「お爺ちゃん。これどこのお店の?」


 訊ねると、


「もう無い店の商品だ」


 って言う。


「そうか。お店もう無いんだ……。ってあれ? じゃあなんでここにあるの? これ、日持ちなんてしないでしょ」


 するとお爺さんは、


「その店のレシピ、詳しい作り方が残っていてな。その通りに作らせたものだ」


「でも。そんな大事な物。あ、そうか。お店辞めちゃったから売っちゃったんだ」


「ああ。売れる物は全部金にしたからのう。そこのクッキーもそうだ。売られたレシピで作ったものだ」


 ジャムやナッツを乗せて焼いたクッキー。いろどりも楽しいお菓子だ。


「食べていいの」


「良いが、そいつは日持ちする。土産に持って帰れ。こっちは今日明日にでも食べんと腐ってしまうぞ」


 そうだった。クリームのお菓子は痛むのも早いんだ。

 牛乳と一緒にエクレアを全部で六つ食べ終わると、流石にお腹がいっぱいになった。



「じゃあ。アドのお散歩行って来るね」


 少し休んでから、お仕事お仕事。今日もアドは気まぐれに、僕をあちこち引っ張り回す。今日は学校の方に行く道だ。

 僕が通っている道とは違うけれど、中学校とグランドの間を通り、隣の墓地を過ぎ、バスが通るアスファルト舗装の大道おおみちに出る。遥か左手の信号が、朝は緑のおばさんが居る通学路。アドは反対の左の方に見える信号の方に行く。

 辺りは畑や田圃が多く、家はぽつぽつとしかない。うちの学校に来てる子は、こんな場所から通っている子も多いから、冬場吹雪くと集団下校になることもある。先生方が手分けして、一人一人家まで送り届けるんだ。

 何かあったら大変だからね。特に一年生なんか、雪に埋もれてしまうかもしれない。


 道沿いを、アドに引かれて歩いていると。


「こんな所に公園があったんだ」


 学校の体育館くらいの広さの公園。銀色の鉄の輪っかのトンネルや、砂場にコンクリートの汽車がある。

 当然、鉄棒・ブランコ・滑り台も。ここは普通のブランコとベビーブランコの二種類、ブランコがあった。


 知らない子達が遊んでる中。大人の人が一人、ブランコに腰掛けて揺れている。


「ワンワン! ワンワン!」


 その人に向かって、いきなりアドが駆け出した。

 稲妻のように。

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