第30話 嵐の後

 ボーン! ボーン! ボーン! 柱時計が三つ鳴ると。

 来た時と同じボストンバッグにチコちゃんを詰めて、


「安達。これからは時々遊びに来る」


 と言って、帰って行った土屋さん。


「坊主。おやつの時間だが」


「……要らない。なんか疲れた」


 今日はハラハラし通しだったよ。


「珍しい事もあるんだのう」


 そうお爺さんは言うけれど。


「アドには悪いけど、お散歩も無理」


 ほんとに疲れちゃったんだ。


「そうか……。少し坊主にはきつかったか」


 無言で僕は頷く。そしてまだ心がもやもやするので、僕は尋ねた。


「ねぇお爺ちゃん。人犬って、あれが普通なの?」


「飼い主それぞれだからのう。だがな、チコはある意味甘やかされてもおる」


「え? あれで……」


「例えば、普通の格好でちゃんと学校に通わせて貰っておる」


「うん」


「例えば、犬の時も裸は絶対嫌だと言う我儘を通して貰っておるだろう? ちゃんと上も下も着せて貰っているではないか」


 確かに、チコちゃんの身体を撫でた時、確りと服の感触はあった。でもパツパツのタイツだから、影絵にしたら裸に見える。


「でもあの服。下手したら裸よりもエッチだよ」


「それでも、着ておるのとすっぽんぽんでは大きな違いだ。

 秋口から冬場。そして春先に掛けては、タイツ一枚だけでも随分と温かいぞ」


「うん。でも目隠しされる覆面って言うの、意地悪じゃない?」


「あれも半分は、チコが望んだことだそうだ。坊主、お前が来るかもしれないと伝えてあったからのう。

 同じ年頃の男の子に、犬の姿で素顔を見られたくないだろう」


「でもそれなら、チコちゃんは見えててもいいじゃない」


「相手が見えると、恥ずかしさが増すのだとよ」


「う~ん」


 納得できないけど一応納得する。



「お爺ちゃん、それで後の半分は?」


「目隠しをすると耳や鼻や肌の感覚が良く働く。だから犬の躾には都合が良いのだ。

 片付いた部屋の中なら本物の犬と同様に、音と匂いで大体を掴み、手で触る代わりに舌で舐めて細かい所を把握する。土屋はそう言う犬を求めておるのだ」


「それ、お爺ちゃんも?」


「いいや。わしは仕草と声が本物そっくりで、甘えん坊で可愛らしく甘えて来る犬を求めておる。

 性格は従順過ぎるより少しやんちゃな奴が好みだ。そう言う意味では坊主、お前は今のままでもなんとか及第点とは言えるな」


 そこでお喋りは途切れ、何とも言えない口の中が苦くなる時間が過ぎる。

 暫くそうしていたけれど、遂に僕は堪らなくなって、


「お爺ちゃん」


 と聞いた。


「なんだ?」


「僕わんちゃんの時は、ちゃんと一番下でいるからね。だからお尻たないでね。

 甘噛みでもアドに噛まれるのも嫌だよ」


 顔を顰めて床の絵の無い羽子板を見た。

 そうしたらお爺さんはテレビの黄門様みたいに、


「はははは」


 と大笑い。


「わざわざ躾せずとも。毎回アドに引っ張られて草だらけ泥だらけで帰って来る坊主は、とっくにアドから子分扱いされておるわ」


「はぁ~。良かったぁ」


 聞いて心が軽くなった。


「それに坊主は金で買った人犬では無いだろう。それなのに、買い取った人犬にもせん無意味な躾をして、わんこを辞められたら困るぞ」


 冷静に為ってお爺さんの言葉を聞くと、

 うん。確かにそうだよね。チコちゃんと違って僕は、嫌ならいつでも犬を辞めちゃう事が出来るんだもの。

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