第28話 おあずけ
じゅうじゅうと脂が融けて撥ねる音。ゆらゆらとと立ち昇る牛肉の匂い。パラパラ撒かれる白砂糖。カルメ焼きの様な甘い香りが辺りを包む。それに醤油が足ささって、美味しい香りが立ち込める。
前から来る日が判っていたので、お爺さんが用意していたのはすき焼きだ。
「ひろ坊」
お爺さんが僕を呼ぶ。
お客様の土屋さんの前では僕を孫ってことにしているから、犬の名前のハヤトでも無く、坊主でも無く名前を小さい子のように呼ぶ。
「箸が止まってるぞ。すき焼きだぞすき焼き。進駐軍も絶賛したすき焼きだぞ」
「で、でも~」
ちらりと横を見る。
僕がすき焼きを食べて居る横で、チコちゃんのお皿にはさっき見せて貰た人犬の餌が盛ってある。
その上僕がお昼を食べて居るのを見せびらかす形で、餌を前にチコちゃんは「おあずけ」。
いや、黒い革の覆面で目隠しはされてるよ。でもね、音や話で分かるんだ。
同じ七歳の子供なのに、僕はすき焼きでチコちゃんは小鳥の餌。
食べて栄養になるようポン菓子にしてあるけれど、味も付いてないしおまけに直ぐお腹の空く量だ。
しかもおあずけで食べれない。
そう言う躾なんだろう。チコちゃんは口を開けて舌を垂らし、はぁはぁしてる。
トイレに跨っておしっこする格好から、さらにさらに脚を開いた格好で胸元に手を引き付けて。タイツに覆われた指をだらんとさせ、開いた口から涎を垂らし……。そう、犬のちんちんの格好をして、チコちゃんは「よし」と言われるのを待て居る。
「啼き声と恥かしがる様は頂けないが、随分と犬らしくなっておるではないか。
ほんに貴様もお値打ち物を見つけて来たな」
「いやいや。犬コロの癖に
たとえ人間だと見ても。まだ尻の青い子供の癖に、何を色気付いていることやら」
お尻が青いで思い出した。
「お爺ちゃん。あれ、
するとテレビの黄門様のように大笑いして、
「あれはな。蒙古斑と言って、日本人やモンゴル人の赤ちゃんに出る物でな。大人になるまでには消えてしまうものだ。
いわば赤ちゃんの印と言っても構わない」
ちょっと安心した。生まれ付きの物だし一生残るものじゃないんだ。
「全く。俺にとっては犬コロだし、七つなら誰が見ても赤ん坊の毛の生えた子供だ。
いったい何を恥ずかしがっているのか判らん」
と土屋さんは言う。
暫くして、
「ねー。そろそろ食べさせてあげてよ」
いい加減堪らなくなった僕はお願いした。
「犬が食えるのは、主人の食事が終わった後だ」
とお爺ちゃんは言うけれど。
「僕、お腹を空かせたチコちゃんを見ながら食べるのは嫌だよ。いくらすき焼きでも美味しくないよ」
さっきから味が判らないんだ。
「ははは。坊やが困るんなら仕方ないな。チコ、良し!」
土屋さんが許可すると、チコちゃんは餌皿に顔を突っ込んで食べ始めた。
息をも吐かず、あの味のないポン菓子を。小鳥の餌のポン菓子を夢中で食べて居る。
あっと言う間に食べ尽くし、舌で餌皿を舐め回している。
「チコ。回りに零れて居るぞ。ちゃんと全部喰わんと餌を抜くぞ」
土屋さんが静かに言うと、
「わん!」
返事をしたチコは、板の間の床に零れた粒を探して辺りの床を舐め取って行く。
目かくしをしているから、畳半畳くらいを虱潰しに舐めている。
「チコは
お爺ちゃんは目を細める。だけど土屋さんは首を振り、
「まだまだ不出来な犬だがね。それより坊やの目、チコが気になってしょうがないようなんだが……」
土屋さんの言葉にお爺さんは、
「ひろ坊も色気づいたのか?」
「そんなんじゃないよ!」
「タイツを穿かせる時の降参のことか? あれなら坊やは全然気にしなくていい。
チコは犬なんだ。人間様の女の子じゃあるまいし、単に見てしまったからと言って責任取ってお嫁に貰う必要は無いんだぞ」
「あ。いや……」
思い出して顔が熱い。そんな僕を見て土屋さんは言う。
「もしもチコが可愛くて、手元で飼いたいわんちゃんだって言うのなら、大人になるまでおあずけだ。
坊やが勤めに出てちゃんと稼げるように成った時、まだチコが欲しかったら売ってあげよう。
だけどもし、坊やのお嫁さんにしたいんだったら
いいかい。犬に限らず動物は、メスの方にオスを選ぶ権利があるんだぞ。当然チコの気持ちが一番だ」
「そんなんじゃないよぉ~」
むきになって僕は叫んだ。
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