第23話 タイツの仔犬
「チコ!」
名前を呼ばれると、一呼吸間を置いてお尻が振られ左右にパタパタと尻尾が揺れる。
「わん」
子供の声が聞えた。
この子わんちゃんの声が下手。吠える犬の鳴き声じゃなくて、ただ「わん」と言っているだけだ。
「全然わんちゃんに聞こえないねー」
素直に感想を言うと、土屋さんは苦笑いして、
「坊やもそう思うかい。これじゃ餌は食わせれんな」
と意地悪なことを言う。
「えー。この仔、ご飯食べさせて貰えないの?」
僕の声に被せるように、
「わんわん! わんわん! わんわん! わんわん!」
必死に上手く吠えようとするチコちゃん。
「許してやれ。まだまだ躾の途中じゃないか」
お爺さんの助け舟に土屋さんは、
「そうだな。腹が空いていた方が身を入れて犬の芸や仕草を学んだり、素直に言う事を聞くもんだが、そろそろ食わせてやった方が良いか」
と口にした。
「ねー。いつからご飯食べさせてないの?」
「昨日の朝に食わせたのが最後だ」
「うへー。駄目だよおじさん。確かにお腹一杯でも頭が回らなくなるけれど、お腹空き過ぎると頭が回らなくて物覚えが悪く成っちゃうよ」
「かと言ってな。反抗的でもないのに
はっきりと思い当たる悪い事をしていない仔を無暗に
同じ事を本物の犬で聞いた事がある。チコちゃん本当に犬扱いだ。
不満そうな僕に土屋さんは説明する。
「それに坊や。今は民主主義の世の中だ。大人には子供を学校に通わせねばならない義務がある。それはお金で買われた人犬の仔だって変わらない。
就学年齢……と言って判るかな? 小学校や中学校へ通う年齢の仔犬だったら昔みたいにずっと檻や土蔵に閉じ込めておく訳にはいかんのだよ。
チコは学校に通わせているんだ。見える所に痣を作るのは考えものだし、だからと言って尻だけを
「それでもだめだよ。お昼に晩に朝って、もう三度も抜いちゃってるじゃない。いくらなんでも食べさせてやらなきゃ」
僕もお爺さんの犬をしているから他人事じゃない。こうしてチコちゃんが辛い目に遭っている以上、僕も何かの間違えで同じになっちゃわないかもしれないんだし。
「まぁ坊やがそう言うんなら、許してやるか」
土屋さんは残りのチャックを全部開けた。
チコちゃんの腰から上も下と同じ黒いタイツ。黒い革のベルトで繋がっている。
上のタイツはお股の所に穴がありそこから首を出していて、首には青い皮の首輪。顔には皮で出来た黒い覆面レスラーみたいな物を被っている。
犬のタレ耳みたいな物が付いた覆面には、プロレスと違って鼻と口元だけに穴があり、目を出す場所が開いてなかった。
上に着て居るタイツは、本来足を入れる場所に手が入っている。下同様にパツパツのタイツだから、網目から肌色がはっきりと判る。
上も下も身体にピッタリすぎるから、影はすっぽんぽんと変わらない。
そんなチコちゃんの姿を、見ていて僕はドキッとした。
「チコ。出ておいで」
土屋さんが命令すると、
「へっへっへっ」
舌を垂らし、ボストンバッグから這い出て来たチコちゃんは、ゆっくりとその場で土屋さんの方に身体を回した。
そんなチコちゃんを抱き締めて土屋さんはお尻を撫でる。丁度尻尾の付いている付け根を、わしゃわしゃとする。
「良かったなチコ。坊ちゃんが口を利いてくれたおかげで餌にありつけるのだぞ」
「へっへっへっ、わん!」
やっぱり「わん」が吠え声じゃなくて、地声で言っているだけだけど。お尻を振って喜んでいる。
土屋さんの手はチコちゃんのお尻に添えられたままだから、自分でお尻を手に擦り付けている感じだ。
「ほら。坊ちゃんにお礼を言いなさい」
土屋さんはチコちゃんを持ち上げて、僕の真ん前に置いた。
「くん。くぅ~ん」
やっぱり下手くそな啼き声で近づいて来て、頭が僕に触れると身体を擦り付けて来た。
「坊や。顎の下を撫でておあげ」
「うん!」
僕が手を顎に伸ばすと
「うわっ! くすぐったいよチコちゃん」
ペロペロと掌を舐めて来る。
「可愛いなぁ」
つい口に出た。見た目異様な姿だけれど、振舞いはちゃんと犬になっているよ。
「おじさん。この仔ちゃんと犬してるよ。どこが駄目なの?」
「振舞いはなんとか人前に出せるようになった。
だがなぁ。坊やも気付いたかも知れないが、吠え方が下手すぎる。
それにトイレの躾が成って居ないんだ」
土屋さんは頭を掻いた。
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