第15話 今でも居るんだ

「えー。酷いやお爺さん」


「そう無体なことでも無いぞ。色街に売られれば、必ずお嫁に行けぬ身体にされる。

 わしに売られて犬として飼われたからこそ。学校にも行けたし清い体で嫁にも行けた」


「でも良く買い取れたね」


「当時、色街で客を取らせるには決まりがあってな。ちゃんと大人の身体になっていない娘に客を取らせるのは、法律で禁じられていた。だから、客を取らせるまで何年も掛かるような年端も行かぬ子供は、大した金で売れぬのだ。そんな子供をわしがイロを付けて買い求めたからな」


 自慢気に言うお爺さん。


「わしには犬と致す趣味など無い。だから嫁に行く時は生娘のままだ。

 だいたい犬として飼われるなど、余りにも浮世離れし過ぎておるだろう?

 口性くちさが無い奴らがわしのお手付きなどと申すから、嫁にやる前に産科の女医に診せて、膜の写真付きで未通女おぼこの証明書まで付けたのだ。

 別して当人が口を噤んでおれば、誰にもバレる訳がない」


 難しい言葉ばかりだけど、言いたいことは良く判った。

 要はお嫁に行けない事は何もされていないって事を、お医者さんに証明して貰ったんだ。


「何にせよ、女衒ぜげんは高く売れて得をした。わしは人犬を飼うことが出来て得をした。娘は上の学校にまで通えて、生娘のまま嫁に行けるから得をした。誰も損などしていないのだ。

 まあ買われた身で、花柳病に怯える事も無く。一応はお嬢様扱いで人並み以上の教育を受けれるのだ。

 学校から帰れば裸に剥かれ、鎖に繋がれ犬のように飼われる程度は何ほどの事も無いだろう」


 だからお爺さんは人犬を飼う事が出来たのか。


「あれから何年経ったろう。貧乏人は麦を食えと言った男が総理大臣になって、貧乏退治に乗り出した。その試みが成功して、日本は随分と豊かになった」


 どこか遠くを見ているお爺さんの目。


「大いに結構なことだ。だが、以前のように売られる子供がいなくなった為、わしは本物の犬で我慢せねばならなくなったと言う訳だ」


 お爺さんは笑いながら僕を地面から抱き上げた。


「ほんに現代っ子と言う奴は昔の子と違うのう。何がいいのか知らないが、わしの為に好き好んで人犬をやってくれている。

 今の所、犬の振舞いは拙いものだ。だが、いやいや遣る者など比べ物にもならんほど愛おしい。

 坊主。お前がハヤトになってくれたおかげで、わしも随分と若やいで来た」


 にっこりと笑ったお爺さんは、


「くたびれただろう。帰りは抱っこしてやる」


 と僕に言った。


「いいの? 僕、今わんちゃんだよ」


「ああ。ちゃんと犬をやっておったからの。犬めも小さく可愛げがあれば、飼い主に抱っこされたりもする。

 それにきちんと犬をしているお前を、無駄に厳しくして反抗的に為られても困る。

 第一な。昔飼っておった人犬の仔犬。ナナや先代のハヤト達と違って、お前はあがのうた仔では無い。嫌なら今直ぐ辞めれるのだぞ。甘くもなるわい」


 お爺さんはひょいと僕を持ち上げた。


「坊主、これはお前次第だが。今度の日曜日、わしの古い友人が来る。珍しく売り出された子供を手に入れたから、わしに自慢したいそうだ」


「売りに出された子」


 今もそんな子供が居るんだ。僕は背筋がぞくっとなった。


「ああ。今でもたまにある。その子の場合は父親が無保険で交通事故を起こしてな。

 多額の損害賠償を迫られて一家離散になったのだ。

 博奕ばくちでこさえた借金のカタよりはまともな理由だが、運転していた父親は事故で死亡した。

 母親は手に職も無いただの主婦。家財一切を売り払い金を作ったが全然足りない。

 七歳と四歳の女の子を抱えて二進にっち三進さっちも行かなくなった。


 ただでさえ女手一つで子供を育てるのは大変なことだ。しかも下が四歳では働きに行くどころの話では無い。

 いくら被害者の遺族が求める賠償が、世間様の基準で真っ当なものでも。子供に五円の駄菓子も買ってやれぬ家計から捻り出すのは無茶と言うもの。


 それまであったテレビも無くなって、訳も判らぬ下の子はテレビが見たいと泣く毎日。

 上の子もショックで学校に行く所では無くなった。


 幼い子供二人を抱え思い余った母親が無理心中しかけた所を、その筋の者が入ってな。

 子の無い金持ちが求める里子と言う名目で、母親は子供を手放した。

 子供と一切の縁を切る約束で、籍に入れぬが中学よりも上の学校まで通わせる。勤めに出る時は保証人になる。そう念書を渡されてな。


 そうして被害者の遺族に、肩代わりして貰った賠償金を一括で支払って貰った。

 とどの詰まりは二人の娘を金に換えた。どう言い繕っても子供を売り払ったことに違い無い。


 姉妹は別々の所に売られてな。うちに来るのは姉の方だ。

 丁度人犬の調教を始めた所でな。多分うちでも大泣きすることだろう」


「調教?」


「ああ、動物の訓練のことだ。犬らしい振舞いが出来るように仕込んでおるのだ。

 お前みたいに、好んで犬をする訳では無いからな。嫌がったり逆らったりすれば、打たれる事も多いだろう」


 僕が黙り込むと、


「興味があるならいつも通りの時間に来い。無いならその日は家に来るな」


 お爺さんは厳しい声でそう言った。

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