第03話 犬鑑札

 勢いで言っちゃったけれど。いっそ犬に成りたいと言った僕。


 お爺さんは間近で僕の顔を見つめながら、


「さっきアドと違う声がしたが、坊主あれお前か?」


 と聞いて来た。


「うん」


「遣って見ろ」


「うん」


 僕は甲高い声で吠えてみる。


「わんわん! わんわん!」


 普通の吠え声。


「うー!」


 低く唸る威嚇と警戒の声。


「くん、くぅ~ん」


 鼻に掛った甘える声。


「きゃん! きゃいん!」


 悲鳴や痛がる声。


 本に載って居たのを一通り披露した。


 するとお爺さんは幼稚園の園長先生のようににこにことわらって、


「啼き声が犬そっくりじゃないか」


 おもいっきり誉めてくれた。


「ほんと!」


「ああ。大したもんだ。本物の犬と間違えてしまったぞ」


 お爺さんは僕を上下に揺すって背中をぽんぽんと叩いてくれた。そして、冗談めかしてこう言った。


「坊主。そんなにアドが羨ましいんなら。いっそうちの犬に成るか?」


「うん!」


 すかさず僕は答えてた。


「その代わり、ここ使っていいよね。

 お爺さんのわんちゃんなら使っていいんでしょ?」


「はっはっはっはっは。それが目的か」


「うん」


 と僕が答えると、お爺さん。急に真面目な顔になっちゃって、


「本気で犬に成る気なら、首輪を着けて飼われてみるか?

 そこの古い食器棚の下に、わしが昔買ってた犬の形見がある」


 と言った。


「うん。いいよ。着けたらここ使ってい良いんでしょ?」


 お爺さんは僕を降ろし、古い食器棚の下の引き戸を開けた。


「これだ」


 渡された首輪は薄茶色の本革制。内側はランドセルの肩掛けの、下の部分の裏側と同じ。

 真鍮の今は見ない形の古い鑑札が着いていた。


 ――――――――

 (他其)札鑑犬

 ――――――――


「なんとかなかとか犬?」


「昔の畜犬票だ。字は右から左に読むんだぞ。犬鑑札と書いておる。裏の犬の名前も同じだ」


 ――――――――――

  二三三八ワガツ

  ルサマチダア主飼


   トヤハ

 ――――――――――


「ハヤト? 強そうな名前だね」


「ああ。軍犬にしようと、わしが勇ましいのを付けたんだ。

 危うくこれすら取られる所だったが。何とかこれだけは誤魔化した」


 なんだか深く聞いてはいけないような気がして。けれども何か言わなくちゃと思って。

 僕はただ、


「よっぽど大好きなわんちゃんだんだね」


 と声に出した。


「まあな。初代のハヤトはわしの子供みたいなものだったな。

 肺病で丙種にも引っ掛かからぬ、役立たずの戊種だったわしは。代わりにお国の為に働いて貰おうとハヤトを育てたのだが……」


 お爺さんは何処か遠くを見ているような目をしていた。

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