移香斎の妻
ナント直前になって、妙な気配をとらえる。
目の前にいる小さな馬車が、野盗に襲われていた。御者は放り出され、今にも扉が破壊されそうだ。
騎士の一人が「いかがなさいましょう?」と、アホみたいな問いかけをしてくる。
助けるに決まっているではないか!
馬車の中から、アンは飛び出す。
「待った!」
リザが、アンを遮る。
ここで暴れたら、アンの素性がバレてしまうかもと案じてくれているのだ。
「大丈夫。手荒なまねはしないわ」
アンは騎士の制止を振り切って、剣を構える。
「なんだ、この着飾った女は?」
「そんなもんどうでもいい。早く中にいる女と子どもを捕まえろい!」
盗賊の頭が、部下に指示を送った。
王妃を無視するとはいい度胸だ。
アンは数名の盗賊を、ビンタで殴り飛ばす。
ビンタしただけで、二、三名の盗賊が失神した。
所詮、同族では相手にならない。
「テメエ、何しやがる!」
殺気立っていた盗賊たちの気性が更に荒くなる。
「控えい! これ以上狼藉を働けば、このアン大公が見過ごさぬぞ!」
盗賊たちにアンが手をあげたことで、騎士たちも動かざるを得なくなった。
それが狙いなのだが。
指示待ち人間はダメだと思う。
「引き上げだ!」
アンと騎士の気迫に押され、盗賊たちがり散りになる。
「待て!」
「ほうっておきなさい! 今はご婦人の安全確保が先です!」
後を追おうとした騎士を、アンが止める。御者を起こし、泥を払ってやった。
「何よ?」
騎士たちが唖然としていたので、アンはムスッとした顔になる。
彼らは、アンがケンカ百番なのは知っていた。
なにせ、彼らを鍛えたのは他ならぬアン自身である。
しかし、アンに出遅れた。
騎士らは、自らを恥じているのだ。
事情を話すと、リザも騎士たちの同行に納得した。
馬車から、婦人が降りてくる。
「助けてくださり、ありがとうございました」
婦人が、アンにひざまずいた。彼女の名は、マチルドと言うらしい。
「さきほど、大公とお伺いしましたが?」
「いかにも、私はアン・ド・ブルターニュ。ナントの大公です」
「ああ」と、マチルドが声を挙げる。「わたくしなどにお声など、もったいのうございます」
「お気になさらず。それよりケガは」
マチルドは「いえ」と短く答えた。
「ナントには何用で?」
「シードルを買いに」
ナント地方で採れたリンゴを使った酒は、フランスでも一、二を争うほど評判である。
「それにしても、安全なルートを通っていたはずなのに。ナントはのどかな都市ですのに」
いつから、ナントは物騒な街になったのか。
「ナントからの刺客じゃないね、あれは」
リザの言葉通りだとすると、やはり盗賊団は、他の街から流れてきた者たちらしい。
「それと、マチルドを知っていたような雰囲気だったね?」
「でしたら、うちの主人が関係しているのかも」
マチルドの夫は、日本人の剣豪なのだという。
「イコ・アイス。本名を、愛洲移香斎と申します」
「アイス・イコウサイ?」
イコは修行の末に「霊剣」、つまり、実態を持たない霊体すら斬れるようになったらしい。後に、「移香斎」を名乗っているという。
「その、イコってダンナは、何をしたんだ?」
「わたくしには、何も話してくれなくて。けれども、主人が悪いことをしたわけではないみたいで」
これは、盗賊を一人捕まえて聞き出すしかなさそうだ。
先に、マチルドの用件を済ませた。帰りに、マチルドの馬車に騎士を同行させる。
ようやく、アンたちはブルターニュ大公の城へ。
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