リザ・ジョコンダ

「ありがとう。強いんだね?」

 サイドポニーの少女が、かしこまった。


「剣術には、心得があるのよ」


 ドイツに近いメッス地方で、アンはとある女性剣士から剣術を習ったのである。

 変わり者で知られる老婆で、

「自分はジャンヌ・ダルクだ」

 と、魔女裁判で焼け死んだ英雄の名を口にしていたのを思い出す。

「練習用の武器なんだね?」

 アンに近づき、少女はアンの持つ両手剣を眺める。


「ええ、傷つけないように、刃が丸くなっているの」


 それでも、ナントから持ってきた、伝統的な武器だ。

 二人には関係ないので、今は黙っておく。


「お礼をさせてちょうだい」


「結構よ。私はアン。アンジェリーヌ・ブランシェ」

 即興で、アンは偽名を名乗った。


「あたしは、リザだよ。周りからはリザ・ジョコンダと言うけど」


 リザ・ジョコンダ。

 ヨーロッパに住んで、その名を知らない女性はいない。


「やっぱり驚くよね。そのとおり、あたしがあの『モナ・リザ』のモデルさ」


「すると、あなたはあの」

 アンは、ひげ面の男性に目を向ける。


「レオナルドです。ヴィンチ村の。レオとお呼びください」

 まさか、伝説のレオナルド・ダ・ヴィンチが目の前に。

 しかも、泥まみれじゃないか。


「まあ、歳はあたしの方が上なんだけどね」

 どう見ても、リザは一〇代後半の女性と思われるが。


「いくつよ?」

「一〇〇歳からは覚えていないわ」


 サイドポニーを跳ねさせて、リザは耳を見せた。

 レオナルドが、ランタンに火を灯す。

 ボウ、と、リザの耳の形が明らかになった。

 長い。まるで伝承に聞くエルフのよう。


「感づいたかもしれないけど、あたしはエルフよ」


 エルフといえど、冒険者ギルドでは珍しくない。

 確かに、昔は魔女裁判というモノがあった。

 が、それは「対象が、宗教に反する悪党かどうかを見定める裁判」である。

「異端は消毒だー」という、世紀末的なつるし上げ行為ではないのだ。


「イタリアのエルフと高名な画家が、どうしてフランスなんかに」


「逃げてきたの。すべてはこれのせいよ」

 リザが、アンに巻物を差し出す。


「あんたを見込んで頼みがある。この巻物を一緒に守って欲しい。フランス王に渡すため」

「重要な書類なのね。でも、せっかくだけど、見ている余裕がないのよ」

「そう、無理強いしてごめん」

「違うの。今は時間がなくて。日を改めて話を聞かせて」


 分かったよ、と、リザは深く聞かなかった。


 まさか、パンが売り切れるから先を急いでいるとは言えない。


「後で、ここに来てちょうだい。あたしたちは、ここにいるから」

 渡されたのは、馬車代と、冒険者ギルドの地図だった。

「これくらいさせてよ。それじゃあ」


 リザはレオの腰を担ぎ、行き止まりの路地をジャンプする。

 軽々と塀の頂上に達し、こちらに手を振った。壁を降り今度こそ視界から消える。


 あんな細腕で成人男性を持ち上げて、塀まで飛び越えるとは。おそらく魔法の力だろう。

 

 リザには、アンの助けなど必要なかったのだ。


「一杯食わされたわね」


 アンが関わろうとしていたと、リザは始めから踏んでいた。

 その可能性が高い。 

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