まるで別れの前みたい


 エチュードの準備をするヨウコを見ながら。おれはあの日のことを思い返していた。



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「……目ぇ覚ましたか、ヨウコ」


 ゆっくりと目を開けたヨウコにおれは問う。だが、ヨウコは何も答えない。悲しそうな顔をしたままで。


「おい、ヨウコ?」


「……ごめんね、コウ。ほんとに、ごめん」


 ヨウコには珍しく、それはキレの悪いセリフだった。いつもとは少しだけ、でも決定的に何かが違う気がする。


「どうしたんだよ。いつものヨウコじゃねーぞ」


「また私、迷惑かけたよね。本当に、いつもごめん……」


「今に始まった事じゃねーだろ、ヨウコのこれは。嫌ならとっくに見放してる。安心しろ、まだおれは続けるつもりだからな」


「……ねぇ、コウ。何か気づいたんじゃないの?」


「気づいたって、何にだよ。別になんでもないぞ。いつものように、ヨウコは取り憑かれてただけだ。今回はおっさんだったからな、正直、ちょっと手を焼いたけど。でも綺麗に成仏させてやったぞ」


「……そっか。いつも、ごめんね」


「いや、別に何も問題はない。そんな謝るな、こっちが困るだろ?」


 おれはそう、全力で嘘をついた。本当はもう気がついている。

 ヨウコが、いや今のヨウコの心が。実はヨウコのものではないと言うことに。

 それでもヨウコには知らないままでいてほしい。おれが気づいているということに。知られたら、もう会えなくなる。そんな気がするから。


「私さ、コウには感謝してるんだよ。本当に、本当に感謝してるんだ」


「なんだよ、そのセリフ。やめろよ、まるで別れの前みたいじゃねーか」


「……いつか突然、別れが来るかも知れないから。


「おい、事故ってヨウコ、」


「その先は言わなくていいよ。たぶん、コウが想像している通りだと思うから。次は突然の別れにならないようにさ。私も、いろいろ考えてるからね」


 力なく笑うヨウコに。おれはついに、何も言えなかった。席を立つヨウコを、黙って見送ることしかできない。

 ヨウコはくるりと振り返って言った。それは晴れやかな笑顔で。


「また部室でね、コウ。いろいろ、楽しみにしといて!」



 ────────────




 いろいろ考えてるから、と言ったヨウコ。それがきっと、この劇のシナリオなのだろう。初めてヨウコが手掛けたいと言って作っているこのシナリオ。その中でヨウコはきっと、カイリとコマに感謝を伝えようとしているのだ。そんな風に思う。

 きっと、ヨウコは……いやは。もう決めてしまったのだろう。もう、成仏しようと。


 コヨミが望みを叶えて成仏すれば。今までの例からすると、きっとオリジナルのヨウコが出てくるはずだ。しかし。オリジナルのヨウコは、今どうなっているのか。そもそも、オリジナルのヨウコは意識を保っているのか、存在しているのか。あの事故からはもう、10年の時が流れているのだ。



「……コウ? 聞いてる?」


 気がつけば、カイリが目の前にいた。深く考え事をしてたから、全く気が付かなかった。


「あぁすまん、ちょっと考え事してた。あれ、エチュードは終わったのか?」


「まだ練り切れてないんだって、ヨウコが。だから今は休憩中」


「そうか、なるほど」


「……考え事って、ヨウコのことでしょ。ねぇ、話せるようになった? ヨウコが今、どんな状態なのか」


 どんな状態って言われてもな。完全に、このエチュードのとおりなのだが。だけどそんなこと、カイリにはどうしたって言えるはずがない。ヨウコとカイリは親友なのに。


「ねぇコウ。実はわたし、おおよその予想ができている。当てて見せようか」


 教室の隅で、ぶつぶつ独りでセリフを回しているヨウコに視線を合わせるカイリ。そしてぽつりと漏らすように言う。


「あのヨウコは、ヨウコじゃない。中身はコヨミ。あの事故で亡くなってしまった、わたしたちのクラスメイトだった、コヨミだと思う。そのコヨミが、事故以来ずっとヨウコに取り憑いている。そうでしょ?」


 カイリのセリフは驚くほど的確で。おれには、反論するすべがない。何を言えばいいと言うのだろう。押し黙るおれに、カイリは続けた。


「コヨミは10年間、ヨウコとして生きてきた。でも、何かしらの限界が来たんだと、わたしはそう思う」


「……限界って、どういうことだ」


「それはわからない。予めタイムリミットが決まっていたのか。あるいは、コヨミ自身がもう納得してしまったのか。それは、コヨミにしかわからないと思う」


「本当にそんなこと、あり得ると思うか?」


「それはコウの方が詳しいんじゃないの。今までヨウコに取り憑いてきた幽霊を、全て成仏させて来たんでしょ。すでにコヨミが取り憑いているのに、さらに別の幽霊に取り憑かれるなんて。可哀想としか思えないけど」


「……なぜそれを、」


「そんなの、見てればわかる。わたしはずっと見てきたんだから。コウを、ずっとね」


 カイリは小さく、クスリと笑った。その笑顔を見て、おれは何となく思った。ひょっとしたら昔もカイリは。こんな風に笑っていたんじゃないかって。いつものカイリの笑顔なのに、不思議と懐かしく感じる。それはそんな笑顔だった。


「さてと。準備できたみたいだし、ヨウコとエチュードしてこようかな」


「……なぁ、カイリ」


「なに?」


「ありがとな」


「なんのことかわからないけど。でも、こう返しておこうかな」


 言葉を一旦止めて、カイリは言った。さっきの懐かしい笑顔のままで。


「……どういたしまして」


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