後は任せたぜ
「事実は小説より奇なり、って言うけどよ。まさかこんな真相だったとはなぁ」
氷が融けてしまったアイスコーヒーを眺めていると。ヨウコの顔をした部長が、ゆっくりとした足取りでこちらへ向かって歩いてきた。そのままどっかりと大げさな態度でイスに座る部長。
「部長……、なんでそんな平気なんだよ」
「ま、俺はもう死んでるからな。真相がわかったからって生き返る訳でもねぇ。だから焦ったって意味ねぇだろ」
「いやわかんねーよ。おれは死んだ事ないんだぞ」
「小僧も死ねばわかるかもな。この泰然とした気持ちがよ! それよりなんだよそのシケたツラは? この世の絶望は自分が全部背負ってます、ってツラじゃねーか」
あの時の事故の記憶。事故自体の記憶は、結局全く思い出せなかった。かなり複雑な顔をしていると自分でも思う。
「色々悩んでんだ。放っといてくれ」
「けっ、ガラスの少年時代かよ」
「少年でも小僧でもないって言ってんだろ。本当に、なにも思い出せないんだよ……」
でもおれは何故、カイリがおれと同じ小学校だと思ったのだろう。今まで、そんなこと考えたこともなかったのに。
やっぱり心の奥底では憶えているのだろうか。思い出したくないだけで。
「どうしておれは忘れてたんだろう。その事故が起こったなんて、カケラも憶えてない。自分が巻き込まれたことも。ヨウコが意識不明の重体だったってことも。その場にカイリがいたことも。そしてコヨミって女の子が死んでしまったことも。全部忘れてんだ。憶えているのはひとつだけ。ヨウコがおれの幼馴染だった、ってことだけだ」
「ま、俺にはよくわかんねぇけどよ。いつか全部、思い出せるんじゃねぇのか? その時まで、気長に待つがいいさ。俺と違って小僧には時間があんだからよ」
「時間? おい部長、一体なんの話だよ」
「俺はここまでだ。もう納得しちまったからな。あの事故の生存者2名の、その後もわかったことだしよ」
生存者2名。言うまでもなく、ヨウコとおれのことだ。部長はゆっくりと言葉を継ぐ。
「1人、助けられなかったってのは。本当に痛恨の極みで、後悔しかねぇが」
それは仕方ないことだ、とは言えなかった。以前のおれならそう言えたし、実際さっきはそう言っていた。でもおれは当事者だから。もう、なにも言えない。
「でもアレだな。世間は狭いっつうか、なんつうか。助けた2人と、まさなこんな形で出会えるとは思いもしなかったぜ」
「……ヨウコはきっと、部長に感謝してるはずだ。もちろん、亡くなったコヨミって女の子も、きっとな」
「ま、それならいいか。俺の命にも、それなりの価値があったと思えるからな。マジでクソみてぇな人生だったけどよ。終わり良ければ全て良し、ってのはどうやらガチらしいぜ」
「……おれも、部長に感謝してる。命を助けてくれて、ありがとう」
「やめろ小僧。俺は男からの礼は受けとらねぇ。それにクソ適当だとはいえ、これでも警察官だからな。小僧たちを助けたのは職務だ。知ってるか? 警察官に緊急避難は認められないんだぜ。それに服務の宣誓も済ませてあるし、死んだことには後悔はねぇよ」
ニヤリと笑って、部長は言った。
それは今までのような人を食った笑みではなく。晴れやかな、そして何かに満足したような満ち足りたものだった。
「よし、先にあの世ってところを見てくるわ。そんじゃまたな、小僧。100年後くらいに、お互い生まれ変わったらまた会おうぜ」
「その前に部長が生まれ変わって来てくれ。その方が早いだろ」
「はん、そんなのごめんだな! 小僧より年下になるなんて考えられねぇ!」
部長はケラケラと笑う。
つられておれも、少しだけ笑った。
「部長。向こうでコヨミに会えたなら、よろしく言っといてくれよな。いつか必ず思い出すから、って」
「あん? そりゃ無理に決まってんだろ?」
「あぁそうか。部長の行先は地獄だもんな」
「そうそう、嘘つきは警察官の始まり……ってオイ! なにノリツッコミさせてんだ、小僧! こう見えて、俺は自己犠牲が過ぎる男だぞ。天国行きの優先チケット持ちに決まってんだろ!」
確かに、そうだった。自分の命を投げ打って、2人の子供を救った男なのだ。
何となく、気恥ずかしくなって冗談を言ってしまったけれど。部長はこう見えて、素晴らしい警察官だった。
見てわかるとおり、言動に品がないのが致命的だけど。しかしその行動は本物。それだけは間違いない。
「事故で俺が救えなかったコヨミって子には、小僧からのメッセージは伝えられねぇよ。まだ成仏してねぇからな、コヨミは。小僧、お前だってもうわかってんだろ? コヨミはまだ、ここにいるってことがよ」
とんとん。自分の胸を指差す部長。やっぱりか。おれはその言葉に、何も返せない。おおよそ予想はついていたのだけど。
「さっき言ったろ。こっちからヨウコに、コンタクトを取れる方法があるかも知れねぇってよ。小僧とカイリって子が話してる間、ヒマだったからな。ヨウコって子に、心の中で語りかけてみたんだよ。さっき、カイリって子は言ってたな。事故から奇跡的に回復できたヨウコは、別人みたいだったってよ。つまり、そういうことだ」
本当に、そうなのだろうか。つまりヨウコは。おれが今まで一緒に過ごしてきたヨウコという存在は……。
「あの事故で死んだのはコヨミって子と、俺だ。それは間違いねぇ。でもよ、俺はこうして他人の身体を借りて一時的に蘇った。俺はあくまで一時的だがよ、波長やら何やらが合えば、しばらくの間、この身体に入っていられるんじゃねぇのか? それこそ何年も。その事故の後から、ずっと」
部長の言っていることが本当だとすると、それはつまり。ヨウコはすでにヨウコではなかった、ということだ。
「さてと。後は任せたぜ、小僧。俺はよ、どういう形であれ俺が救った2人が、平穏に暮らせてるとわかってよかったぜ。俺はもう、それだけで満足だ」
「待ってくれ、部長」
「もう待てねぇ、時間だ。せっかく助かった命だ。大事にして過ごせよ、小僧。じゃあな」
「部長!」
そう叫んだが、もう遅かった。部長、いやヨウコは目を閉じて笑っている。
言いたい事だけ言って逝くなんて、ずるいじゃねーか。おれは部長に何も返せてない。命を救ってもらったのに。
それを部長は『職務』だと言った。なんて立派な大人なのだろう。悔しいほど、大きな人だった。
部長は最後に、大きな置き土産をくれた。カイリの話と照らし合わせても、多分間違いないだろう。もう、いい加減認めないといけない。
おれがずっと一緒に過ごしてきた、ヨウコという女の子は。いや、ヨウコという女の子の心は。
あの事故で死んでしまった、山根コヨミという女の子に違いない。
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