10年前の夏
今回の幽霊の名前はレイスケ。生前は警察官、階級は巡査部長。呼び名は部長で、アクセントはアタマにつけるぶちょう、らしい。しかし胡散臭さ満点だな。特に「元警官」ってくだりが。
「おい、部長」
「やっと覚えたか。小僧の脳ミソがスポンジじゃなくてよかったぜ」
「おれのことは変わらず小僧呼ばわりかよ。まぁいいけどさ。で、これからどうする気なんだよ」
「小僧。現場百遍って知ってるか?」
「あのな。小僧のおれが知ってると思うのか?」
「おっと、こりゃ悪いこと訊いたぜ。よし、特別に説明してやろう。現場百遍はな、捜査に必要なことは全て現場にある、だから百回現場に行くことになっても毎回真剣に、適当に手ぇ抜いて捜査するなって戒めだ。ってことで、今から現場に向かうぞ。小僧、理解したか?」
「なるほどね。で、何の現場なんだ?」
何故かドヤ顔の部長に対して、おれは冷たく言ってやる。こういう手合いは調子に乗らせるとよくないのだ。経験から言えることだが、こんな経験論なんてマジで要らないと一瞬だけ自己嫌悪に陥る。部長はそれを知ってか知らずか、セリフを続けた。
「俺は幽霊になってから数えて、もう1万回くらいその現場に行ってんだけどよ。でも生身で現場に行くのはこれが2度目なんだよな」
「2度目? えらく少ないじゃねーか。100回にはあと98回も足りねーぞ」
「仕方ねぇだろ。1度目の現場臨場で死んだからよ。つまり生身で行くのはこれで2度目ってことだ。今から行くとこは、俺が死んだ場所だ」
「死んだ場所?」
「さて、そしたら行くか。このコーヒー代は俺が出しといてやる、って言いてぇとこなんだがよ」
「部長、金持ってないんだろ? おれが出してやるよ、しゃーなしでな」
「悪いな。来世払いってことにしといてくれ。それじゃ、行くぞ」
────────────
おっさん……いや、部長に連れられてきた場所は、特に何かがあると言うわけでもない、普通の路上だった。過去、ここで部長は死んだらしい。
部長は大きく深呼吸をして言う。
「やっぱりよ、身体があると違うな。五官の作用をフルに使えるぜ。幽霊の時はよ、見ると聞くしか出来なかったからな」
「ゴカンノサヨウ? なんだそれ、日本語で言ってくれ」
「面倒くせぇなぁ、そんくらい自分で調べてみろよ。別に警察用語でもねぇからよ」
と言いつつも、部長は言葉を継いで説明をしてくれる。もしかすると、このおっさんは意外と優しいのかも知れない。
「いいか小僧。五官ってのは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、この5つの感覚を司る器官のことだ。それを使って現場を見分する。これが捜査の基本だ」
「へぇ、なるほど。それを使って何を調べるんだ?」
「事案概要を説明してやる。いいか、今から10年前のこと。時間は夕方。ここで事故が起こった」
そこに立っていた電柱に近づく部長。後姿なのでその表情は、こちらからは見えない。
「今でもたまにあるって聞いたぞ。登下校中のまったく罪のない子供たちを、暴走したクルマが跳ねちまうって最悪なヤツだ。俺はその時、別件の捜査でたまたまそこにいてよ、気がついた時にはもう身体が動いてた」
「まさか、庇って死んだのか? その子供を?」
「それがわからねぇんだよ。俺は救えたのか、それとも救えなかったのか。だから知りたい。そして救えていたのなら、そいつらの今の状態が知りたい。元気に暮らしているのかをな。俺の願いは、ただそれだけだ」
振り返る部長。それはニヤリとした、人を食ったような相変わらずの笑い方だったけれど。もしかしたら照れ隠しなんじゃないのか、なんて思える笑顔で。おれの中で少しずつではあるが、このおっさんに対する印象が変わっていく。そんな気がした。
「……ちょっとだけ見直したぞ、部長。あんた、凄いじゃねーか」
「あぁ? 今更かよ。ふん、もっと崇めてもいいんだぜ、この俺様をよ」
「いやそれはない。高尚な魂は女子高生の乳なんか揉まねーだろ」
あれは許さない。絶対にだ。神様が許してもおれが許さない。
子供を庇うのは確かに、それは素晴らしい行いかも知れないけど。トータルでの人間性はマイナスだ。それもぶっちぎりでな。
「ふん、言うじゃねぇか小僧。だが、それでこそ俺の部下見習いだぜ」
「だから部下じゃねーつってんだろ」
部長は相変わらずの悪い顔で笑う。本当に警察官なのかよ。警察に知り合いはいないけど、こんなイメージはないぞ。
「それで部長。何から始めればいいんだ?」
「まず例の10年前の事故を調べてくれ。この場所で警察官が死んだ、交通事故だ」
「そんなの自分でやれよな。グーグル先生に聞けば一発だろ。それにヨウコのスマホもあるじゃねーか」
何の気なしに部長を見てみると。あれ、なんだその微妙な表情は。苦虫を噛み潰すというか、苦渋の決断をするというか。それはなんとも表現しづらい表情である。
「おい部長。聞いてんのか?」
「……自分で見るのはな、ちょっと怖ぇんだよ」
「は? 怖い?」
「うるせぇな! もし誰も助けられてなかったら? そんなのただの犬死にじゃねぇか!」
「でも結局おれが見て言ったとしても、部長が自分で見たとしても、結果は一緒だろ? 何をそんなにビビる必要があんだ」
「ビビってねぇよ、微妙に違ぇんだよ。この場合のワンクッションは、かなりでかい」
よくわからん理論だが、仕方ない。面倒だが、ここは部長に恩を売っておくか。まぁ、人を人とも思わないこの部長には、あんまり効かない気もするのだけど。
そう思いつつ、おれはポケットからスマホを抜く。そしてブラウザを立ち上げてグーグル先生に問い合わせる。
目的のページは、拍子抜けするほどすぐに見つかった。
その記事の見出しにはこうある。
『夕刻の悲劇。暴走トラック、下校中の児童の列に突っ込む。身を呈して児童を庇った警察官、殉職』
それは10年前の夏の話だった。
下校途中の小学校1年生、3人の児童。その児童らに対して、ガードレールに車体を擦り付けながら暴走する、2トントラックが迫った。
その様を目撃した、別件捜査中でたまたまその現場にいた警察官がいた。
警察官は身を呈して子供達を庇うがその後、全身を強く打って意識不明の重体。
児童3人のうち1人は軽症で助かった。しかし残る2人の児童は重傷を負ったようだ。
警察官を含む3人は意識不明となり、そのうち1人の女の子が、一番最初に息を引き取った。
ほどなくして警察官も死亡。しかし、重傷を負ったもう1人の児童は奇跡的に回復したようだ。
と言うことは。記事の『警察官』が本当に、この部長のことだったのなら。部長は、1人で児童2人の命を守ったことになる。
……そのうち1人は、残念ながら守りきれなかったようだが。
「小僧、あったか? なんて書いてある?」
「あったにはあったけど、」
「そこにはなんて書いてある。俺は、誰かを救えたのか?」
「トラックに跳ねられそうになった3人の児童を、部長が身を呈して守ったと書いてある。その内2人は助かった。でももう1人は、ダメだったらしい」
「……そうか」
「1人は残念だっかも知れないが、でも2人の幼い命を救ったんだぞ。凄いじゃないか」
「いや、褒められたもんじゃねぇよ。その1人は、救えなかった訳だからよ」
「でも部長がそうしなかったら、3人とも死んでたかも知れないだろ。助けられた2人は感謝してんじゃないのか。もしかすると、亡くなったその子や部長の分まで、生きようとしてるかも知れないだろ。それを確かめに行こう。それが部長の目的なんだろ?」
「……俺の分まで、てのは余計だけどな」
部長はいつものように笑うのだが。やっぱりそれは、少しだけ力無いように見える笑顔だった。
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