幕間2

クロスレンジ


 よく晴れた日の放課後。風が穏やかで気持ちが良い。おれはいつものとおり、部室がわりの空教室に入った。

 何だかんだで真面目に部活に行っている気がする。まぁ、演劇部でもおれは裏方なので、演技力を磨く必要はないので楽なのだけど。


 教室のドアを開けると、そこには部員で唯一の後輩、コマが独りで佇んでいた。おれの姿を見て、ひらひらと手を振ってくれる。


「あ、コウ先輩。早いですねー」


「なんだ、コマだけか」


「はい、あたしだけですよ。あれ、もしかして不満? こんなに可愛い後輩とふたりっきりなのに」


「ふん、なにが可愛いだよ。それは自分で言うセリフじゃねーぞ」


「それがですね。聞いてください、先輩! あたし告白されたんですよ、同じクラスの男子から!」


 控えめ過ぎる胸を張って言うコマ。ていうかマジか。蓼食う虫も好き好きというが、なんとまぁ。きっとそいつはコマの外面だけで好きになったに違いない。確かにコマは、外見だけならレベルが高い方なのかも知れないが。


「あれ、何ですかその微妙な顔。もしかしてアレですか? おれのコマが取られてしまう! 的な?」


「的な? じゃねぇ。どこの誰だか知らねーが、とんだボランティアが居たもんだ、って感心してる顔だ」


「なぁんだ、残念。ちょっとは嫉妬してくれるかなー、って思ったのに」


 頬を膨らませて言うコマ。なんだかハムスターみたいである。ヒマワリのタネでも握らせたい気持ちに駆られるのは言うまでもなかった。


「で? なんて答えたんだよ。その告白してきた相手には」


「お、もしかして興味あります?」


「まぁ、興味がないこともない。気になるだろ、お前みたいにうるさいヤツを好きだなんて言うヤツにはよ」


「うわ、ひっどいなぁ。あたし、そんなにうるさいですか?」


 ずずい、と距離を詰めてくるコマ。こういうところがうるさいのだ。物理的な音量じゃなくて、なんていうかこいつの行動ひとつひとつが。


「まぁとにかく。聞かせろよ、結論を。ていうか誰なんだ、お前に好きだなんて言った猛者は」


「コウ先輩に言ってもわかんないでしょ。ただでさえ知り合い少ないのに」


「痛いところ突いてくんなよ。まぁいい、そんでお前はなんて答えたんだ?」


「そりゃあもちろん、お断りしましたよ」


「断ったのか? そりゃ勿体無いことしたな。もうきっと二度とねーぞ」


「そうですかねー。あたしもちょっとは悩んだんですよ。その人、まぁまぁカッコ良かったし。でもあんまり喋ったことなかったし、それにあたし他に好きな人がいるから断ったんですよねー」


 他に好きな人? それは初耳である。まぁ確かにコマも年頃の女の子だ。恋のひとつやふたつ、していたって何ら不思議はない。不思議はないのだが。こいつが恋愛……? それが正直なところである。


「お? もしかして気になります?」


「お前が恋愛とはな。まぁ、上手く行くといいな」


「なんですかそれー。まったく興味なさそうじゃん、コウ先輩」


「いや、ないこともないぞ」


「え、ほんとに?」


 ずずい。さらに距離を縮めてくるコマ。近い。マジに近い。手を出せば届きそうな、クロスレンジ。


「ほんとに? ほんとに気になります? あたしが誰を好きなのか」


「……まぁ、な。なんなら手伝ってやってもいいぞ。お前の恋が上手く行くように」


「ほんとに? 絶対ですよ、コウ先輩! それじゃあ早速、手伝ってくれます?」


「あぁ、おれは何をすりゃいいんだ?」


 ふふん。コマは何故か楽しそうに笑った。ニコリと微笑むその顔は、何故かいつものコマとは違って見える。

 いつもより可愛いく見える? いや断じて違う! クロスレンジだからだと自分に言い聞かせる。

 だいたい何を後輩にドキドキしてんだ、おれ。おれには心に決めた──、


「ね、先輩。今からあたしが何を言っても、『良いよ』って言ってくれます?」


「なんだ、それ?」


「あたしの恋が上手く行くように手伝ってくれるんでしょ?」


「いや、そうは言ったけど、」


「はい、ぶー。言ったじゃん、返事は『良いよ』だけだって」


 と、上目遣いでおれを見るコマ。なんて甘え上手なのだろう。時折混じるタメ口が憎い。こいつ、こんなポテンシャルを持ってたのか……。そりゃまあ、うっかり好きになるヤツもいるだろう。


「はい、もう一回ね? コウ先輩。あたしの恋を手伝ってくれる、ってことで良いんですよね?」


「い……良いよ」


「嬉しいなぁ。ね、確認ですけどほんとに良いんですか?」


「良いよ」


「……それじゃあ、あたしと付き合ってくれますか?」


「良い……? ってはぁ!? な、なに言ってんだお前!」


 ずずずい。さらに距離が縮まる。クロスレンジよりも内側。もうほぼゼロ距離だ。

 たらりと汗が、額を伝う。教室の窓からは気持ちの良い風が吹いているのに。


「ね、ちゃんと答えて? あたし、先輩が好き。大好きなんです。だから──」


 とん。それは軽い衝撃だった。コマの頭が、おれの胸板に当たっている。完全なるゼロ距離。これはマズイ。とにかくマズイ! そこはかとなくマズイ! 

 おれの焦りを知るはずもないコマは、上目遣いで次のセリフを紡ぐ。


「だから。あたしと付き合って? 先輩」


 待て。待て待て待て! これはマズイ、非常にマズイ!

 こんなところ誰かに見られたら──、




「……はい、カットカットー」


 不意に聞こえた誰かの声。声のした方を見ると、そこにはカイリとヨウコがいた。というか、教室の隅の掃除用具ロッカーから出てきてた。いやなんだこれ。


「コマ、それは反則。身体接触はレギュレーション違反。減点対象」


「えー、減点ですかぁ? でもこのシチュなら絶対このフィニッシュですよね? 少女マンガで見た必殺の一撃、額こつーん。どうでした? コウ先輩」


「どうでした? じゃねーよ! ドッキリかよ!」


「ドッキリじゃないですよ。これはね、第1回演劇部で1番告白上手は誰か選手権ですよ!」


「おれ相手に勝手な選手権してんじゃねーよ!」


「コウ先輩のせいですよ!」


 何故かコマが声を上げる。何故おれが怒られるのか。謎でしかないぞ。


「この前言ってたじゃないですか! コマに告白されても1ミリも心は動かねーだろうよ、って! あたしショックだったんですよ。それでこの企画を立ち上げたんです。今日の日のために、どれだけ少女マンガを読み込んで来たことか! 責任取って下さい!」


「知らねーよ! いたいけな男子の心を弄んでんじゃねー!」


 そう叫ぶのだが。確かにこの前、コマに対してそんなことを言った気がしないでもない。ということは、悪いのはおれか……。


「と言うわけで。どうでした、カイリ先輩、ヨウコ先輩! あたしの告白、何点ですか?」


「でけでけでけでけ……」


 いやその口でのドラムロールいらねーぞカイリ。


「ででん。92点。減点がなかったら97点」


「わぁ、ほぼ満点! ね、ヨウコ先輩は?」


「うーん、95点!」


「やったぁ!」


 本当に嬉しそうに喜ぶコマ。悔しいが因果応報である。あんなこと、言わなきゃよかった……。


「これはもう、あたしの勝ち確ってヤツですね!」


「あのな、もう騙されねーからな。次はカイリかヨウコか知らねーが、おれはもう信じないぞ。だからコマが1位に輝くことはない。だから第1回戦で終了だよチクショウ!」


「それは大丈夫。どうせ3日もしたら忘れるから、コウは。忘れた頃に第2回戦をする。わたしかヨウコか、どちらかが」


「楽しみだね、コウ。私も頑張るからさ、覚悟しといてよ? ほんとに好きになっちゃうかもね!」


 クスリと不敵に笑うカイリと、楽しそうに言うヨウコ。

 おれは学んだ。女性に対して、軽い言葉を使ってはいけないのだと。

 楽しそうに笑い合う3人組を見て、また思う。きっとこいつらには一生敵わないんだろうな、と。

 でもそれで良いのかも知れない。こいつらが楽しそうに笑っていてくれれば、それで。


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