ほな、さいなら


 ゆっくりとアイスラテを味わった後。ゆっくりと、おもむろな口調でキレイは言う。


「不思議やねん。ほんま不思議。身体はこんなに入りやすいのに、心ではほんまに拒否されてる。相反する意識ってヤツやな。まるでこの子に意識が2つあるみたいや。この子やっぱり多重人格やろ?」


「いやそんなわけねーだろ」


「なんか、納得いかへんなぁ。不思議やわ、ほんまに」


 ずずず、とストローでラテを飲むキレイ。いやだから、不思議なのはこっちなのだが。ヨウコが多重人格だって? そんな話あるわけない。ただでさえ憑かれやすいってハンデがあるのに、そんなオプションあってたまるか。


「まぁ、あんたは信じへんかも知れんけどな。さっきも言うたけど、ウチの力は本物やねん。ガチってヤツや。そのウチが言うんやから間違いない。この子には確実に、意識が少なくとも2つある思うわ」


「いやだからねーって。小学校からずっと一緒だったんだぞ。そんな兆候は今まで見たことない」


「えー、おかしいなぁ。ていうかこの子、昔からこう言う体質なん?」


「中学の時くらいだな。初めておれが見たのは。それからこういうことがあるごとに、おれが取り憑いた幽霊を成仏させてんだ」


「なら、成仏漏れは?」


「なんだそれ?」


 怪訝な顔で訊いてみた。成仏漏れってどういうことなのか。憑いた幽霊が成仏せずにずっと、ヨウコの中にいるってことなのか。

 キレイは得意げな顔をして説明を始める。


「例えばウチがさ、このままずっと成仏せずにこの子の中におるとするやん? そしたらいつか限界が来るやんか。つまり、ウチの意識の強さよりもこの子本来の意識の強さが上回るってことや」


「上回るとどうなる。まさか、取り憑いた幽霊の意識はヨウコに取り込まれるのか?」


「そういうことや。ウチみたいに強い意識やったら逆転してウチの意識が眠るかもやけど、弱い存在ならそのまま消えてまうやろ」


 嘘から出たまこと、とはことのとか。適当に言ってたおれの嘘は、どうやら本当であるらしい。いや、この自称凄腕占い師の言葉を信じるなら、であるが。


「でもな、結局取り憑いてた幽霊の残滓は残るやろ? その幽霊のカケラみたいなもんが、どんな形であれ少しはこの子の中に残るはずやん。今までそう言うことない? つまり、この子に取り込まれた幽霊がおるんちゃう? って訊きたいわけよ、ウチは」


 なるほど。キレイの言うことはなんとなくわかる。取り憑いた幽霊が成仏せずに消えたのなら、その残滓が残ると言いたいらしい。でもおれは今まで全ての幽霊を成仏させて来たはずだ。おれの知る限り、成仏漏れはありえない。


「いや、考えられないな。おれは全部成仏させて来たはずだ。少なくともおれの前で取り憑いた奴は。だからその残滓ってのが何なのかしらねーが、そんなものはないぞ」


「あんたの前だけなん? この子が幽霊に取り憑かれるんは」


 言われてみれば不思議ではある。確かに幼い頃からヨウコとは一緒だが、もちろん四六時中一緒にいる訳じゃない。でもおれの知る限り、ヨウコが幽霊に取り憑かれるのはおれの前だけだ。


「おれの前だけだ、って思ってた。さっきまでは」


「そしたら、1人の時に取り憑かれてることはあるかも知れへんワケか。でもそうやったら、それはそれでおかしいな。そうやとしたら、成仏漏れが1人だけなんてありえへんわ」


 うむむ。大げさに悩むキレイ。おれも初めての意見に戸惑いを隠せない。

 今まで考えもしなかったのだ。ヨウコが1人の時に、幽霊に取り憑かれる可能性があるということを。ヨウコの様子がおかしくなるのは、今までずっと、おれと一緒の時だけだったから。


「まぁ、考えてもわからへんか。もしかしたらこの子には昔っから、取り憑いてるヤツがおるんかも知れへんしな。それこそ、あんたと出会う前から憑いてるヤツが。だから多重人格に見えたんかも知れんわ」


「……そんなのあり得るのか?」


「さぁな。可能性としてのハナシや。ま、とにかく。この子には確実にもうひとつの意識を感じる。それだけは確かや。でもウチが思うんはな、その幽霊は残滓だけが残ってて、実はほとんど意識がないんかも知れへんってとこ」


 一呼吸置いてから、キレイはぽつりと漏らすように言う。


「ウチが感じる2つ目の意識ってのは、ほんまに弱い存在やし。ウチレベルじゃないと気ぃ付かへんくらいの弱さやわ」


 グラスに残ったアイスラテ。キレイはストローを外し、一気に呷って飲み干した。


「ま、ええわ。ウチは他人に取り憑くいう目的を達成した。やっぱりウチの力は本物やった訳やな!」


 にしし。楽しそうに笑うキレイ。死んだことに対する後悔とか、そんなのはないのだろうか。

 あまり深く突っ込むと長くなりそうだし、こいつが「本物」だってのは、なんとなくわかる気がする。相手するには、おれでは力不足だろう。

 



「なぁ、最後にこれだけやりたいんやけどええ?」


「なんだよ、改まって。ダメだっつってもやるんだろ、どうせ」


「ウチな。趣味で小説書いててん、小説投稿サイトで。それの最後のエピソードをアップする前に死んだからさ、それを更新したいねん。未完で終わってたけど、これで完結できるってヤツや!」


「まぁいいけど。今から書くのか?」


「いいや、もう書き終わってる。下書き状態やから、それを公開するだけや。まぁウチのアカウントが、残っとったらやけどな」


 言いつつ、勝手にヨウコのスマホを取り出すキレイ。身体はヨウコなので、指紋認証は一発である。そしてそのまま、なにかの作業を始めた。

 おー、残っとった残っとった、とか言いながら作業を続けるキレイ。5分もしないうちに、それは完了したらしい。


「終わったのか?」


「終わったで。最後の感想を見られへんのは、ちょっと寂しいけどしゃーないな。死んでからは当然更新できんかったし、よう感想くれてた人ももうおらんかも知れんけど、誰か気づいてくれたらええなぁ」


「どんな小説なんだ、それ」


「そんなん、言うわけないやん!」


「いや気になるだろ。教えろよ」


「乙女の秘密ってヤツや!」


 恥ずかしそうにしているキレイ。そんな風にされたら、どんな小説なのか気になるに決まってる。


「あのな、おれはこう見えて演劇部員だぞ。シナリオを作るヤツも身近にいるし、だから作品を作ることが恥ずかしいなんて思ってない。それにせっかくの機会だぞ。もっと大々的に宣伝しなくていいのかよ。更新してなかったのは実は死んでたからで、今は一時的に蘇ってこれを書いてます、とかってよ」


「そう言うんは、なんかちゃうねん。ひっそりと更新するのがええんやんか。そっちのがオモロイやろ?」


 さらりと笑うキレイ。それは、とても晴れやかな笑顔だった。


「そやからさ。あんたもウチの作品を教えられて見るんじゃなくて、いつか偶然、その作品に出会ってよ。その方がなんか、運命的やんか」


「ヒントをくれよ。さすがにノーヒントは無理だぞ」


「凄腕占い師が出て来るweb小説や。ヒントはそれで充分やろ?」


 充分なわけがない。星の数ほど無数にあるweb小説で、キレイが書いた作品に出会える確率なんてひと握り以下だろう。

 でも、それでいいのかも知れない。運命ってのは、そこらに落ちてないのだから。


「さてと。なんかこれで心残りがなくなった気がするなぁ。もしかしたら、この最後のエピソードを公開したいだけやったんかもな、ウチは」


「そりゃ……よかったのか?」


「そらぁな。こうして成仏できるんやし? それになんとなくわかるわ。これできっと、自分が成仏するってことは。あ、ほんまにこれが最後。もうひとつだけええかな?」


「まぁ、この際だから聞いてやるよ」


「さっきのハナシの続き。もしウチの言うことが正しくて、この子に2つ目の意識があったとしたら。言い方変えたら、もしも成仏出来てない誰かがこの子に取り憑ついたまんまやとしたら。その幽霊を、あんたが綺麗に成仏させたってな」


「……言われなくてもするに決まってんだろ。もしそれが本当だったならな」


「そっか、そら安心やな! ほな、さいなら!」


 最後のセリフを言ってから。ゆっくりと目を閉じるキレイ。その表情は晴れやかだ。もう成仏してしまったのだろう、きっと。

 しかし関西人って、本当に『ほな、さいなら』なんて言うんだな。本当に変なヤツだった。自称凄腕占い師で、かつ関西弁の物書きとは。

 キレイが書いたという小説も気になるけど、それよりも気になるのはあいつの最後の言葉だ。


 もしも成仏出来てない誰かが、取り憑いていたとしたら。


 本当にそんなこと、ありえるのだろうか。

 喉に引っかかった魚の小骨のように。それはひとつの懸念事項となったのだった。


 ヨウコには、いつか訊かないといけないだろう。訊いたところで答えが返ってくるとは思えないけどな。

 でもそれを訊くのは、ヨウコが自然と目を覚ましてからでも遅くはない気がした。

 だってヨウコは、こんなにも安らかな笑顔で、ゆっくりと眠っているのだから。


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