忘れないでよね


「で、あたしの自販機ちゃんはどこ?」


 鼻歌でも歌いそうなノリで街を闊歩するミレイ。傍から見れば、コイツの中身が幽霊だなんて誰も思わないだろう。加えて、コイツの未練が紙パックジュースを飲みたいことだなんて、そんなの誰が予想できるのか。


「もうすぐ? あたしの自販機ちゃん」


 いやお前のじゃねーよ。とは口に出さないことにした。面倒なことは避けるに限る。本能がそう告げている気がする。


 ややあってから、ついに辿り着いた。思ったとおり、そこには紙パックジュースの自販機が鎮座している。まだあってよかった。かなり朧げな記憶だったのだけど。


「ここだ。でも最初に言っとくぞ。どろり濃厚ナントカ味は無いかも知れないからな」


「濃厚どろりんネクタリン味だってば。キミさぁ、悪いのは顔が頭かどっちかだけにしてよね」


 こいつ、言わせておけば……!

 いや我慢だ我慢、ここはぐっと我慢。全てはヨウコのためである。というか、早く終わらせて自分の時間を確保したい。それだけだ。

 ミレイはそれ以上おれにケンカを売って来ず、すたすたと自販機に足を進める。


「……あ!」


 自販機を目の前にしたミレイが、大きな声を上げた。おれも隣で見てみる。いや普通にあるじゃねーか。

 濃厚どろりんネクタリン味。なんとホットピンク色のパッケージ。おおよそ飲み物のパッケージじゃねーな、この色。アメリカで見られるというウワサのエナジードリンクみたいな色味である。


「あったー! これだよ、ずっと探してたやつ!」


「普通にラインナップされてんじゃねーか。売り切れてねーみたいだし、これで望みは叶ったな。ていうかコレ、売れてんのか?」


「キミ、早く買ってよ! 売り切れになる前に!」


「いや客はおれらしかいねーだろ。売り切れる訳ねーから」


 と言いつつ、小銭を投入。ひとつ100円とは、まだ良心的な価格設定だぜ。よし2つ買おう。ひとつはおれの分だ。


 ボタンを押すと、ゴトゴトンと紙パックジュースが2つ落ちてくる。なんかやたらと重量感のある音だな。


「はぁぁぁぁ! これが、夢にまで見た濃厚どろりんネクタリン味……!」


 これはまたお手軽な夢である。そんなんでここまで感動できるとは、ミレイの生前の暮らしをいろいろ考えてしまうぜ。


 手にした内のひとつを、ミレイはおれに放って寄越した。

 ……キャッチした手に、バチンとしたかなりの衝撃。重いッ! なんて重さだこれ!


 恐る恐る、付属のストローを刺してみる。ぶるりとした不思議な手応え。完全におかしい。絶対、液体じゃねーぞこれ。


 じるじるじる……。隣でミレイのジュースを吸う音が聞こえた。どう考えてもジュース飲む音じゃない件。


「はぁーっ! マズイなこれ!」


「マズイのかよ!」


「あはは、激マズ!」


 マズイといいつつミレイは楽しそうだ。おれも倣って飲んでみる。

 ……確かにマズイな、これ。完全に飲み物じゃねぇ。飲んでるそばからすげー喉乾くし。どちらかというと食べ物寄り、ゼリーみたいなテイストだ。

 しかめっ面でそれを飲んでいるおれとは対照的に、マズイマズイと言いながらも楽しそうなミレイ。余程これが飲みたかったのか。生前、コイツに一体なにが? そう思わずにはいられない。


「あー、可笑しかった! こんなにマズイのに濃厚どろりんシリーズは、ほんとに息が長いねー」


「ネクタリン味、ってところから気にはなってたんだよ。まさか他の味もあるのか、このテイストで」


「あたしはこれでフルコンプ! キミ、ありがとね。これであたしの目的は達成されたよ」


 じるじるとまだそれを飲んでいるミレイ。マズイと言い切ってはいたが、飲み切るつもりなのだろう。おれは全く進んでないのだが。


「なぁ、ミレイ。どうしてこんなの飲みたかったんだ?」


「こんなの、ってキミほんとに失礼だね。これにもプライド持って作ってる開発者がいるんだよ? まぁ、マズイのは確かだけどさ」


 ストローを咥えたまま。唇だけで笑ってみせるミレイ。


「これね、あたしの彼氏が作ったヤツなのよ。ネクタリン味、初めて通った企画なんだって。細々とした会社だけど、頑張ってたよアイツ。これがまだ売ってるってことは、あの会社も潰れてないってことね」


「へぇ。ミレイの彼氏が開発したのか、コレ」


「マズイけどね! あたし病気で死んじゃったんだけど、最後にコレ持ってきてくれたのよ。試作品のネクタリン味。でももう飲めなくてね。だから飲んでみたいなって思ってたの」


 なるほど。彼氏からの最後のプレゼント、だったのか。飲めずに終わってしまったのなら、やはり飲んでみたい気持ちってのもわからんでもない。


「なるほどな。なぁ、その彼氏に会わなくていいのか。今なら会えるかも知れねーぞ」


「会って何するってのよ。それにもう10年前くらいの話だし。時の流れがわかんないけど、多分あたしが死んでからそれくらいは経ってる気がするな」


「その彼氏って、今いくつなんだ?」


「あたしが死んで10年経ってたとしたら、今35歳くらいかな。同い年だったから」


「え? ミレイって死んだ時、25だったのか?」


 うっかり突っ込んでしまった。なんて言うか、その言動からもっと幼いのかと思ってしまってたのだ。それこそ、おれより歳下くらいかと。


「……ほう? 今キミ、あたしのこと歳下だと思ってなかった?」


「いやぜんぜんそんなことないぞ」


「セリフが棒読み過ぎるね」


 目を細めるミレイ。これは怒ってるヤツか。ていうかなんで女心ってこんな難しいんだよ。歳上に見たら怒るヤツもいるし、歳下に見たら怒るヤツもいる。難しい。きっとおれには一生わからないだろう。

 ここは話題を変えるしかないようだ。


「と、とにかく! 本当にその彼氏に会わなくていいのかよ? なんなら、探すの手伝ってもいいぞ」


「さっきも言ったけど。今更よ、今更」


「そういうもんか?」


「そういうもんよ。彼氏が幸せならそれでいい」


「もし幸せじゃなかったら?」


「幸せに決まってんじゃん。あんたは幸せになってね、って死ぬ前にあたしと約束したんだし。彼氏は約束を守る男だからね、だから幸せに決まってるよ」


 ミレイは笑った。それは爽やかすぎる笑顔で。見惚れたおれは、二の句が継げなかった。



「さてと。これでもう、心置きはひとつもないよ。このジュースも飲み終わったからね」


「もう行くのか? 本当にいいのか?」


「愛にはね、色んなカタチがあるのよ。キミももう少し大人になったら、きっとわかるから」


 それじゃ、あたし行くね。そう言った後に、ミレイは続けた。


「あぁそうだ、何かお礼しないと」


「別に良い。ミレイが成仏してくれたら、それで」


「ふうん? キミ、なかなか見どころあるじゃんか。あ、そうだ。まだキミの名前聞いてないや。ねぇ、名前なんて言うの?」


「コウ。守神コウ」


「ふうん、そっかそっか。ありがとね、コウ。あたしコウのこと、わりと好きだよ」


「な、なんだよ急に?」


「だから、お礼だよ。キミはそんな性格でそんな顔でそんな頭だから、きっと一度も女の子から好きって言われたことないと思って」


「余計なお世話だよ!」


「そう? でも初めてでしょ?」


「いや、いくらなんでも初めてってことは……」


 回想、瞬時に回答。

 うん、一度も言われたことねーな! 深く考えても、言われたことねーわ!


「ほーらやっぱり。あたしがキミの、初めての人ってことだ」


「いや、変な言い方すんなよな。だいたい、ミレイには彼氏がいたんじゃなかったのかよ」


「わりと、って言ったじゃん。彼氏の次くらいだけど、まぁ将来性有望、ってことで」


「なんだよそれ」


 その問いにミレイは答えない。クスクスと小馬鹿にするように笑うだけだ。


「さてと。今度こそ最後。コウ、忘れないでよね。初めてのあたしのこと! それじゃ、来世で会おう!」


 言いながらミレイは、満足気に目を閉じた。満ち足りたようなその笑顔。


「……なーにが初めての人だよ。彼氏にベタ惚れのくせに」


 ミレイの右手には、例の紙パックジュースが握られていた。なんとなく、おれはそれを両手で握らせてやる。

 せめてミレイが、完全に成仏するまで。それを大事に持っていて欲しかったから。


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