第8話
「失礼、お邪魔しますよ」
事務所を訪れたのは相も変わらずでっぷりとした腹を突き出させたマギー牧田だった。
シンと静まり返った彼の声はベルの余韻をかき消すように事務所内に響く。
「おい、来るなら来ると言ってからにしろ」
アリスは不機嫌そうに呟く。
「すいません、近くを通ったもので」
「……嘘をつくな」
アリスは威嚇でもするかのように牧田を睨みつける。
牧田はアリスの視線に気が付いたのか「すいません」と小さく頭を下げると、一樹の座るソファの対面に腰を下ろす。
「今日は、お願いがあってきたのです」
以前に比べ更に低い姿勢で牧田を申し出た。アリスは、彼の一瞥をくれるだけで無言で続きを促した。
「実は、別の魔術を購入したいのです。炎のイメージは世間的によろしくないようで。ほら、最近騒がしいでしょう?連続焼死体がどうって」
とりつくように牧田は話す。緊張しているのか額から垂れる汗をしきりに拭う仕草をみせていた。
「貴様にくれてやる分は、ついこの間渡してやったばかりだろう?」
「いえ、それもそうなのですが、他の魔術も扱ってみたいのです。こう世間に受けるような」
「そもそも、世間に受けるような魔術自体有り得んがな。何故、人はお前を持て囃すのか不思議でしょうがない」
アリスは不機嫌そうにキセルを咥える。牧田は「どうか、お願いします」と懇願した。
呆けていた一樹はようやく意識を戻した。
正面で牧田とアリスがなにやら口論を繰り広げているのは理解できたが、アリスが何故、牧田へ魔術の売買を拒むのかが理解できなかった。
つい一週間前は、現金の束を前に口元をつり上げ舞い上がっていた輩だ。
売ってくれと頼まれれば、相手の足下をみて高額な請求をするものだと思っていた。
「別に、お前は金を貰えればいいんじゃねえのか?」
決して牧田の様な男を擁護するわけではなかったが、一樹は純粋な疑問を投げかけた。
その言葉を受け牧田も「金ならあります」と便乗する。
「はぁ。この際だから一樹、お前も聞いておけ」
一樹がなにを?という前にアリスは口を開いた。
「そもそも魔術を扱うには魔力が必要だ。まぁ、その魔力ってのは基本的に人間に備わっているんだよ。多かれ少なかれな。で、牧田にやった指輪はな『登録された魔術を行使する必要分』だけ装着した人間から自動で吸い上げる装置だ」
「はい。そう聞いています」
「お前には一日の使用回数を決めておいたはずだ。まぁ守られてはいないようだが。では、魔力がない状態で魔術を行使しようとどうなるか?人間の、まぁ生命力を吸い上げる。本来の魔術師であれば、自分自身の魔力残量くらいは把握できるが、まぁお前らには無理な話だ」
アリスは煙を吐き出し、キセルで二回机を叩く。それを見て一樹は席を立ちキッチンに向かった。これは、コーヒーを入れろの合図らしい。
一樹が麻衣から教わった事だった。面倒なのが直ぐさま入れてやらないとたちまち機嫌が悪くなる。
一樹は「お湯わかしてないからすぐに出ないぞ」と必要以上にでかい声で言う。遅くなる理由も先に言わないとこれも機嫌が悪くなる。
ポットの水をながしに捨て、中の水を新しいものに変えた。生憎、馴れてしまった手つきでポットの電源を入れる。ペットどころか、これではまるで家政婦のようだと内心愚痴を零す。
「で、問題は生命力を失った人間はどうなるか、だ。ちなみに生命力とは何か?の質問は受け付けん。話が長くなる」
「まさか、死ぬとか?」
「あぁ、死ぬ。ただ死ぬだけなら別に構わんのだが」
アリスは指をならすと事務所の本棚から一冊の本が宙を泳ぐように牧田のテーブルの前に移動した。流石に、一樹も牧田もこの程度では驚かなかった。
牧田はその本を手に取ると数ページ捲り怪訝そうな顔をした。
「なにがのってんだ?その本?」
一樹はマグカップにインスタントのコーヒーパックを付けてお湯を注ぐ。一応、牧田の分も入れてみた。自分の分はちゃっかりミルクを入れ、砂糖を多めに入れておく。
「ほらよ」
「ご苦労」
一樹はマグカップをアリスと牧田のテーブルに置くと、自分の分は手に持ったまま、牧田の背後に回り、彼の持つ本をのぞき込んだ。
「なんだこれ?」
「見ての通りだよ」
一樹も牧田同様、その本を見て訝しむ。
本にはよくわからない言語の羅列と水墨画である様な絵が描かれている。
「河童かこれ?」
「あぁ、よくわかったな。それはまだかわいいほうだて」
アリスは、ケラケラと笑いながら言った。
「古くから伝わる妖怪等というものはな、実在する。そして、それらは人間だった者。それの成れの果てだよ」
「あぁ、生命力ってのを消費し続けるって事は」
合点がいった一樹が相づちをうった。牧田は、まだ話の流れがわかっていないようだった。
「そうだ。生命力が尽きた人間は死ぬ。もしくは、妖怪まぁ化け物に成り下がるわけだ。いや、成り下がるは少し語弊があるかもな」
「どういう意味だよ?」
「全ての例に当てはまるわけではないが。人間を構築する理性がまず吹っ飛ぶ。脳のリミッターが外れるんじゃよ。元々、人間ってのは力を出しすぎないようになってるからな。それが外れてしまえば人間は己の魔力を暴走させる。魔力が多ければ多いほど力は増幅し溢れすぎてしまう。人の形を保てない程にな」
「じゃ、鬼とか天狗とかも元々人間なのか?」
「いや、そいつらはちょっと違うな。まぁそこはお前らに関係ない事だ。ま、つまりはだな牧田。新しい魔術を貴様に売ってやってもいいが、このままでは死ぬぞ。確実にな。どうせ貴様の事だ。調子に乗って必要以上に魔力を消費するだろ。自殺願望があるなら別だが」
牧田は「そんな事は」と否定しようとしたが、その後の言葉に詰まった。
事実アリスの言葉通り、牧田は一日の使用回数を守れてはいなかったからだ。
「もういい、帰れ」
冷たくアリスは言い放つ。
牧田もそれ以上は何も言わず肩を落としたまま事務所を出て行ってしまった。
一樹は無言でそれを見送る。扉が閉まってからアリスの方へと視線を戻した。
「なぁ、さっきの話本当か?」
「嘘はいってないぞ」
なんとも嫌らしい返答に一樹は苦笑した。
「でも、以外だな。なんだかんで言ってお前は売ると思ったよ。おっさんの命が危ないなんて警告するなんてよ」
一樹は思ったままの事を言った。彼の中ではアリスは冷酷な奴だという評価を改めるべきだと考えた。自分が売りつけたモノで人が死ぬとなれば、流石の魔女様も目覚めが悪いことだろう。
「あぁ、死なれたら困るからな」
「へぇー、お前にそんな良心があったなんてな」
一樹はマグカップに注がれたコーヒーを一気に飲み干そうと口に含んだ。
「そんなわけないだろう、アホか。死なれたら折角の金づるがいなくなってしまうからな」
アリスの呆れた口調に、一樹はコーヒーを吹き出しそうになるのを堪えた。
やはり、魔女様の評価を改めるのは早いようだ。彼女は、きっと冷酷な奴に違いない。
*
翌日、一樹は事務所の入ったビルの一階で経営しているカフェにいた。
時刻は、昼下がり。客入りは混雑までとはいかないものの中々に盛況だ。なぜ、ここにいるのかというと、牧田の弟子である潮崎に呼ばれた為だ。
一週間前、携帯の番号は交換していたが、「急きょ話がある」と彼から朝方に電話があった。
「で、話ってなんだ?」
窓際の席に陣取った一樹は、注文したアイスカフェラテを飲みながら聞いた。
対面に座る潮崎はホットコーヒーを頼んでいた。
「いえ、昨日は牧田さんの様子がおかしくって。事務所に行くと言っていたのですが何かありました?」
「昨日なら確かに牧田さんはうちに来たぜ。ただ、アリスに追い返されたけどな」
一樹は昨日の出来事をありのままに話した。潮崎もその話に疑いの目を向けることはなかった。彼も魔術の実在は認めているのでそれも当たり前だろうと思った。
「むしろ、牧田さんの方がおかしいと思うぜ。ま、最近は噂も大分大きくなってきたしな」
「そうなんですよ、流石にテレビでは牧田さんが犯人だなんて話はありませんけど、ネットの噂は大分広がってるみたいで……」
潮崎は、コーヒーを口に含む。
落ち着かない様子でしきりに窓の外を眺めたりと、視線が忙しない。
「どうした?」
「いえ、おかげで牧田さんの仕事は大分減ってしまって。それなのに、今度テレビの出演依頼がきて」
「いいことじゃないか」
なにを躊躇うことがあるのだろうと一樹は考えた。
確かに、世間のイメージはよくないが無実ならば問題はないし、胸を張っていればいい。一樹は、今回の事件に関しては牧田が犯人ではないと考えていた。
特に、根拠があるわけではないが彼が人を殺す様には見えなかった。
ただ、一連の事件は魔術が使われていると、これも根拠はなく抱いていた。
「いえ、それがですね。その番組のプロデューサーってのが西口っていう人なんですけど、牧田さんの事を好ましく思っていない人なんです。一応、元々キャスティングしていた方の代わりなんですけど、なんというか炎上目的なんじゃないかって」
「それは、考えすぎじゃないか。炎上目的って下手したら自分の番組も炎上するだろ」
「でも、西口さんは牧田さんの事嫌いなんですよ?」
「なんで、そんな事わかるんだ?」
「牧田さんの陰口をいつも言っていたって関係者に聞いたんです。それに」
「それに?」
一樹は足を組み直して、少し前のめりになった。
「連続焼死体遺棄の最初の被害者は、西口の愛人でした。不倫関係にあった女性ですよ。怪しいと思いません?」
それとこれとは話が全く違うと言いたかったが、また機嫌を損ねてカップでも割られてしまったら面倒なので、一樹は無言で肯定した。
「とにかく西口が怪しいと思うんです。調べて貰えませんか?探偵なんですよね?」
「え?いや、まぁ。でもなぁ」
正直に今の一樹には情報が少なすぎた。
仮に、犯人が魔術を扱えるとしてそれと同等の力は彼も有している。
だが、一樹にできることと言えばそれだけだった。
犯人に繋がる一切の情報を持っていない。わかることと言えば被害者女性三名の名前くらいだ。彼女らが全員接点がないということは報道で知っている。
犯行時刻も場所もバラバラ。
完全に無差別殺人だった。
「お願いします。今度その収録の観覧者枠で入れるようにしておくので大丈夫です」
一体何が大丈夫なのだろうか?と問い詰めたい所だがこれも一樹は黙って聞き流した。
だいたい番組観覧者など只の一般人だ。プロデューサーの西口となんてどう考えても話ができるとは思えない。それ以前に、一樹には西口と話せた所で話術の巧みさもないのでどうにもする事ができないのだが。
「わかった、わかったよ」
だが、潮崎の必死な姿をみて、つい安請け合いをしてしまう。
こうも目の前で懇願されては、断るにも気が引ける。目の前で助けを求める人間を無下に扱う事もできはしない。
何より情報がない今、少しでも自分で情報を集め、やれる事はやるしかないと言い聞かせる事にした。
「ところで、俺じゃなくてもその関係者に聞いてもらうことはできないのか?そっちのが確実性はあるんじゃない?」
「それができたら僕だって聞いてますよ」
潮崎は相変わらず視線の定まらない目でいうので、一樹はこれ以上聞かない様にした。
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