第7話

「それにしても、退屈だ……」


一樹が事務所に来て一週間が経過しようとしていた。

特に、依頼が舞い込んでくるわけでもない。ただ、一日を何もせず過ごしているだけだ。

それは、今までの生活と何も変わりはない怠惰なモノだった。

彼の想像では、犬の捜索だとか浮気調査だとかそういった類のモノでも来るかと思っていたがそれすらもない。この一週間で、この事務所を訪れたのは麻衣くらいなものだろう。


そもそもここが、探偵事務所の看板を未だに掲げている事にすら疑問が残る。その意味はとうの昔に消失しているだろうに。それも、当然の話ではある。

ここが、探偵事務所として成り立っていたのは既に数十年前の話だ。


今も、その看板を掲げているといえ、この事務所がその業務を全うしているなどと思っている近隣住民はいないことだろう。

その原因の一旦であろうこの事務所に巣くう魔女様に一樹は文句の一つでも言ってやろうかと意気込んではみたものの、この一週間で彼が、彼女に対して口で適うはずがないのは既に何度も実証済みである。


「あぁークソ、退屈だ」


自室で悪態をつきながら彼はベッドに腰を掛ける。

事務所内に設けられた自室にある程度残っていた貯金を切り崩し、必要なものは買い込んだ。

窓際に設置された古めかしいステンレス製のベッド以外の物は揃えている。

流石に、辛うじてまだ使えるということでベッドの購入は後に回した。

無造作に積まれた衣類の収納ケース。「半袖」「長袖」「下着」等々の文字が乱雑にチラシの裏に書かれ、それぞれの箱に張り付けられている。


部屋の中央には、小さめの円形テーブル。その上には、灰皿とリモコンが一つ。

テーブルを挟むようにして、18インチと小さいTVが鎮座していた。

安物をディスカウントストアで購入したのだ。

元々、TVを見るほうではない彼ではあるが、ニュース等で流れる事件、事故などは、機会がなければ自ら情報を得ようとしない限り入手することはない。


ましてや、今までと変わりがない生活をしていたならば、その必要はないだろう。

だが、今の彼はその限りではない。


「やれる事が見つかったはずなんだ」


そう独り言を零す。

彼が、会得してしまったその魔術は、必ず使い道があるはずなのだと彼自身が信じて疑わない。


ダークハウンド。彼は、唯一まともにハンガーにかけたコートをチラリとみやる。

そのコートのポケットから伸びた禍々しい黒色をした管が彼の右腕へと続く。

彼にしか〈いや、魔女もだが〉見えないその管は彼の魔力を吸い上げる血管の様なものだ。

そんな浮世離れしたモノこそ彼が、待ち望んでいたものかもしれない。

そうでもしなければ今、テレビに映し出されているワイドショーなど真面目に見ることなどしないだろう。


テレビの話題は専ら、連続焼死体遺棄事件の話題で持ちきりだ。

この一週間は新たな犠牲者の報道はされていないが、ネット上のSNS等では様々の物議や途方もない憶測が入り乱れていた。


『犯人は魔術を使ったんだ』


『最近、人気のマジシャンいたじゃん。火を操るとかなんとか』


『なんだっけ?マギーなんとか?めっちゃ怪しい』


『非現実的だろ!そんなの!有り得ないね』


『生きたまま燃やされたんだろ?怖すぎ』


『犯人は複数いるだろうね。一人でこんな事出来るはずがない』


SNSで盛り上がりを見せる無責任の議論を眺めながら一樹はため息をついた。


「その可能性はある……」


実際に魔術という存在をしった一樹にはこの事件がそれを用いて行われた様にしか思えない。

しかし、もしだとするならばいくつか疑問はある。

アリスの様な魔術師が犯人だとするか?

もしくは、自分や牧田の様にアリスに力を与えられたものによる犯行。

一樹は思い立ち自室を出る。


問うことは決まっていた。

目の前に疑問を解決できる存在がいるのならば聞いた方が手っ取り早い。

一週間何故何もしなかったのか、と自分の行いを悔いたいくらいだ。


「アリス、いいか?」


一樹の声に事務所の窓際の特等席にふんぞり返っているアリスは「なんだ?」と鬱陶しそうに聞き返す。


「聞きたいことがある?俺やマギー以外で、お前の魔術を扱えるようにする術を授けたやつはいるのか?」


単刀直入に聞いた。


「はぁ?そんな事きいてどうする?」


「いいから答えろよ」


キセルから吸い出した煙を吐き出しながらアリスは一樹の目をみる。


「答えはイエスだよ。だが、数年前の話だ。直近で言えば貴様と牧田だけだ」


「そうか、なら魔術師ってのはお前以外にもいるのか?数は?」


「それもイエスだ。数については知らん。なんでそんな物を我が把握していなければならんのだ」


「じゃあ、最後の質問だ。お前以外に、魔術を扱えるようにするトンデモを作れる奴はいるのか?」


「ん?……それは、ノーだ。だが、限りなくイエスに近いノーだよ」


言葉を一瞬詰まらせたアリスは曖昧な答えを出した。

アリスの吐き出す煙が事務所を揺蕩う。


「どういう意味だ?」


「言葉道理の意味に決まっている。その可能性があるという話だ」


「じゃあ、そいつがお前みたいに魔術を簡単に人に扱えるようにして、犯行が行われていたらどうする?」


「どうもせんよ。我には関係ない」


「お前に関係なくてもいい、教えろよソイツを」


一樹は語気を強めた。

それは、彼の正義感がそうさせたのだ。

力のあるものが弱いものを助けないでどうする?

かつて、自身の父親に言われた言葉を脳内で反復する。

彼の一種のアイデンティティーが、行動を訴える。


「はぁ……聞いて後悔するなよ?お前が言う可能性のある人物は赤羽一哉。お前の父親だよ」


「―――な?」


息が詰まるということはこういう事をいうのだろうと彼は実感した。

思考が定まらない。ぐにゃりと歪んだ視界は現実を映しているのだろうか?

それとも、彼の心情を現したものか?

眩暈か、一瞬、足元をふらつかせた一樹はソファに倒れ込むようにして腰を落とす。


「馬鹿をいうな」


心の叫びは声にならず、思考の中でただ響く。

まるで、エコーが掛ったように一樹の頭をひた走る。

そんな中、来客を告げた事務所の扉に備え付けられたベルの音。

それはきっと、彼の耳には届いていなかった。



万人がみれば、この部屋を形容する言葉に大金持ちという言葉を用いるだろう。

敷かれた絨毯、ウール素材でできたそれは人が足蹴にするには躊躇われるほどの質感を備えている。


一種の芸術品ともいえるだろう。足の長い台座の上には、骨董品の壺が鎮座する。床には敷かれた絨毯とは些か趣がことなる趣向だ。

その背面の壁には絵画が飾られてはいる、海外の著名な画家が描いた画だ。

一般人がその絵の意味を見出すことは難しいだろう。

勿論、それはこの部屋の主ですら同等だ。


彼は、物の価値を金額でしか図れない様な男だから。

何が良くて高い絨毯なのか、骨董品の価値観も知らなければ、絵画に込められた風刺の意味も彼にはわからない。

ただ、高いからこれはきっと良いものに違いない。

その程度の認識でしかない。


そんな、彼はこれも高級な革張りのソファに腰を掛け、大げさにため息をついた。

右手で頬杖をついて、反対の左手の指でひじ掛けを一定間のリズムで叩く。

他人が聞けば大抵不快感を覚える音だ。


「ううむ、このままでは仕事がなくなってしまう」


捻りだす様に零した独り言は広い部屋に大して響くこともなく掻き消える。

マギー牧田、本名を牧田健一郎。手のひらから出した炎を自由自在に操る奇術師としてテレビ界に進出し持て囃された彼ではあるが、そのブームは早くも終わりを迎えようとしていた。


世間を賑わしているのは何も彼だけではないという事だ。

連続焼死体遺棄事件。火の気のない屋外で被害者だけが炎上し、死亡する怪奇な事件は、時を同じくしてテレビで炎を操る奇術師の彼を容易に連想させる事となった。

イメージを第一とするテレビ局というよりはスポンサーは、牧田の出演を拒むようになってきたのが実情だった。

更に、SNS上では牧田が犯人だとする根拠のない噂が蔓延している始末。


動画投稿サイトに動画を投稿し、広告収入を得ようと画策するも投稿した動画はいわれのない誹謗中傷で文字通り炎上してしまった。

こうなれば炎以外の魔術を「購入」しなければならないと、牧田は考えていた。

あの魔女の所へ行けば自身の転機はまた来るはずだと牧田は信じて疑わない。


いつから目的と手段が入れ替わっていたかなど、彼が気に留めることはない。

明日、あの事務所を訪ねれば何も問題はない。仕事も恙なく続けられるはずだ。

牧田はそんな幻想を抱きながら、グラスに注がれた味もよくわからない高級のワインを飲み干して眠りにつくことにした。

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