第6話

「こんなもんだろ」


額の汗を拭い一樹は一つの達成感に浸った。

雑巾等の掃除道具は麻衣から借りてきたので問題はなかった。

最後に残った棚の埃を雑巾で吹き上げる。既に陽は沈みかけ赤暗い夕日の光が窓から差し込み部屋を彩った。


段ボール類に入っていた物は幸いにも全て不用品で用紙ばかりだったこともあり、取り立て面倒な事もなかった。

見る分には充分な程になったステンレス製のベッドに腰を掛けると、古めかしい軋んだ音が鳴った。錆びは落としたものの使用するには少し不安が残る。


仕事の後の一服と煙草を取り出して火を付ける。勢いよく吸い込んだ煙が肺に浸透し、疲れた身体に気怠さを付加させる。


「カーテンも買わなきゃいけねぇな。つか、この部屋灰皿ねーわ。だりぃ」


頭をボリボリと掻き、よいしょと年寄りの様に腰を上げて事務所に戻る。

アリスは相変わらず気怠そうに書類と睨みあいを続けていた。時間にして3時間程だろうか。


「仕事熱心だことで」


と一樹は独り言を漏らし、ガラステーブルの上にある灰皿に煙草の灰を落とした。


「なんだ、掃除は終わったのか?」


アリスは一樹に一瞥もくれずに問う。


「あぁ、大体はな。まぁ、必要な物が結構あるから買いにいかにゃならんけど」


「そうか。それは、明日にしておけ。客が来る。まぁ、貴様は特に何をするわけでもないが、我の商売相手ぐらいには挨拶くらいしておくのだな」


「あ、あぁ。そうするよ」


客が来るなど一言も聞いてはいないと内心愚痴を零す。アリスの客がどういった人物かなど想像の外にある話だが、せめて汗ばんだ衣類は着替えたいと思った矢先だった。

扉に備え付けられたベルが来客を告げる音を奏でた。


「ふむ。少々、早い様ですが問題はないですな」


現れたのは四十代前後のふくよかな体格を持つ男だった。高級そうなスーツに身を包み、如何にもといった眩しい輝きを放つ金色の腕時計。左手には、アタッシュケースが握られている。まるで、ひと昔前の大金持ちを絵にかいたような人物の登場に一樹は面を食らったような表情を見せた。


何処かで見た事があるようなと既視感が一樹には在ったが、彼の服装や身に付けている小物を覗けばどこにでもいそうな中年男性だ。


「うむ、久しいな。まぁ座るがよい」


アリスは先ほどの一樹に見せた態度同様に、訪問者に一瞥せず着席を促した。男はそんなアリスの態度を気にも留めずソファに身体を沈めた。大きな体躯を誇る為かソファが一段と大きな窪みをつくった。


「ん?アリスさん、彼は?」


そこで、男は初めて一樹に気づいたかのような反応を見せてからアリスに尋ねた。


「今日から雇った我の助手みたいなものさ。貴様が気にするような事ではない。して、牧田よ弟子はどうした?」


牧田と呼ばれた男は、懐から取り出したハンカチで額の汗を拭いながら答えた。


「あぁ外で待たせております。アイツがいるとまたうるさいですからな」


「そうか。まぁ。我にはどうでもいい話だ。それで、金は持ってきたか?」


「えぇ、もちろん」


牧田は持っていたアタッシュケースをガラステーブルに置くと、パチンという留め具を外す音と共に中に入った大量の紙幣が視界を覆った。今時、大量の現金で売買を行うなど牧田という男は本当に古臭い男だと一樹は溜息をついた。

一方で、アリスはその紙幣の山を見るや口元をつり上げた。


「ほう、随分と持ってきたな。我からすればこんなものでそれ程稼げるとは思えんが」


「いえいえ。パフォーマンスとしては最適です。大がかりなモノよりは単純で分かりやすいものの方がテレビ関係者にも好評でして。私も最近忙しくてたまりませんよ」


牧田が豪快な笑いを飛ばした。アリスは、机の引き出しから指輪を取り出すとそれを牧田に放り投げる。

牧田は「おぉ」と小さく恍惚な声をあげてそれを指に填めた。


「それは?」


「貴様にくれてやった物と同じよ。見せた方が早いな。どれ牧田、ちと試してみろ」


一樹の問いにアリスが答えた。牧田に顎で指示を出す。

牧田は立ち上がり指輪を填めた右手を翳すと掌から炎が現れそれを巧みに操って見せた。

「なるほど」と一樹は一人納得した。牧田の正体に合点がいったのだ。

昨日、家電量販店のテレビで見た男に間違いない。マジシャン。テレビでは現代に甦った奇術師とも言われていた事を思い出す。


「確か、マギー牧田」


「むう。私を知っているのかね?私も有名になったものだ。それも当然か、はっはははは」


高笑いをする牧田に一樹は呆れた様子で尋ねた。


「でもこれって正確に言えば手品じゃねーよな。マジシャン名乗るよりは路上パフォーマーにいそうな感じだよ」


「き、君!アイツと同じような事を口にする」


瞬間、牧田は額に青筋を立てて激昂した。流石に、地雷を踏んだ自覚があるのか一樹が少し後退りをする。


「すまんな牧田。こいつは頭の悪いヤツでな。ほれ一樹、席を外せ。麻衣の店にでも行ってくるがいいわ。幸い、扉の前で待機している暇人もおるようだしな」


アリスはやれやれといった面持ちで虫でも払う仕草を一樹に向ける。


「はいはい。わかったよ」


両手をあげ降参と言ったポーズで一樹は事務所の外に出る。

アリスの言った通り扉の前にはスーツ姿のやせ細った男が一人立っていた。


「えーと。牧田さんのお弟子さんかな?」


「え、ええ。そうですが」


一樹は胸を撫で下ろした。流石に間違いだったら恥ずかしかったと安堵したのだ。


「よかったら一緒にしたの店で時間潰しませんか?お互い退屈でしょう?」


「あ、あの貴方は?」


「ああ、俺はここの事務所の人間だよ。今日からだけどね。まぁいきましょう」


やせ細った男は、一瞬戸惑いつつも一樹の後を追う様に階段を下っていった。

夜という時間帯もあってか一階にあるカフェの客入りは疎らだった。

店内のインテリアは西洋の物を思わせ、如何にも小洒落た雰囲気は実に心地よく感じるものだった。


入り口の扉を開け中に入るとカウンターの奥から「いらっしゃいませ」という女性の声が聞こえてきた。直ぐにウェイトレスのバイトの女の子がやってきて、一樹たちは店内のテーブル席へと案内された。麻衣は休憩中かなと一人ぼんやりと考えていると、対面の男は口を開いた。


「あの、なんとお呼びすれば?」


「あぁ、そう言えば名乗ってなかったな。お互いにさ」


一樹は当たり前の事を思い出して自己紹介を軽くした。対面のやせ細った男は潮崎と名乗った。

牧田同様、潮崎も高そうなスーツを着ていた。だが、牧田と違い体はやせ細り頬もこけていた。

心労によるものかどうかは一樹には分からなかったが、疲れているのかなと感じた。


他にも牧田との違いは装飾品にも表れていた。牧田の様な高級な腕時計はしていなかった。

ただ、気味の悪いブレスレットを身に付けていた。それは、赤黒く発色し禍々しい。


「変わってますね、それ」


一樹はそのブレスレットについて聞いてみた。


「あぁ、これですか。一ヵ月前、路地裏の露店で購入したんです。そこの露店の人が変わった人で」


案外、素直に話してくれるのかと一樹は思ったが黙って頷き、続きを促した。


「何気なくです。いつもと違う道を通って帰ったんですよ。薄暗い路地裏でした。時間は十二時頃だったかな、深夜のです。狭い路地裏ですれ違うと肩がぶつかりそうな位の。そんな所で地面に敷物を引いてその人はいたんです。向こうから声を掛けられました」


「場所は覚えてますか?」


ついつい問いただす様な口調になってしまった。だが、一樹はそれを続けた。気づけば手帳とペンを持っていた。これでは、まるで刑事みたいだが探偵っぽくもあると自嘲した。


「いえ、あまり覚えていません。最上駅付近だったと思います。曖昧です。ふらっと入った路地でしたから」


「なるほど」


「それで、その人が言ったんです。君は魔力を持っているって。気味が悪いと思って足来た道を引き返そうとしました」


「でも、足を止めた」


「そうなんです。その人は、僕の名前を知っていました。それに、僕の状況という

か最近の出来事なんかを知っていました」


「それは、確かに気味が悪いな」


「ええ、そうでしょう?」


潮崎は身を乗り出していた。一樹が続きを促そうとしたところで店員が注文を取りに来た。

そういえば注文をしていなかったと互いの顔を見合わせて笑った。

一樹は、カフェラテを頼んだ。潮崎はアイスコーヒーだった。

可愛い注文をしますね、と言われ一樹は少しムッとした顔をする。

そんな事はいいからと続きを促した。


「ええと、どこまで話したかな?そうだ。それで、その人が言ったんですよ。これを身に付ければそれまでの事が上手く収まるって」


「それはいくらなんでも胡散臭いな。アンタのストーカーかなんかじゃねえの?」


疑いの目を潮崎に向けたが、彼は少しムキになった様に声を荒げた。


「いや、その時は僕だって半信半疑でしたよ!でも、今実際に上手くいってる!間違いなんかじゃなかった。僕は何一つ間違ってない」


「お、おう」


潮崎は、テーブルに勢いよく両手の拳を叩きつけた。周囲の客がこちらを何事かと視線を送る。

一樹はとりあえず潮崎を宥めたが、彼は譫言の様に「僕は間違ってない」と繰り返す。

この潮崎は情緒不安定な人だと一樹は困ったように肩を竦めた。

お互い沈黙が続いたが、注文を持ってきた店員がその空気を汲み取ってか声を掛けてきた。


「お客様、他のお客様のご迷惑となりますのでもう少しお静かにして頂けますか?」


「あぁ、すいません―――って麻衣か」


「麻衣かぁじゃないよ、カズちゃん。実際、他の人に迷惑だよ。はい、注文のカフェラテとアイスコーヒーだよ」


そう言って麻衣はテーブルにカフェラテとアイスコーヒーを置いた。


「えーと、潮崎さん。一旦、落ち着こう。話題を変えようか」


「はい、すいません」


二人は注文した飲み物を一口、二口すする。潮崎は大きく息を吐き出して再度、謝罪の言葉を口にした。


「なんだ、まぁとりあえずアンタの師匠だよな?牧田さんだっけ?そっちの話を聞いてみたいな。アリスの魔術だか魔法ってやつは、さっき俺も身を以って味わったけど。ありゃ、頭がイカれてやがる」


「それは、僕もそう思います。牧田さんは素晴らしい手品師です。子供の頃みた彼の手品をみて僕は牧田さんに弟子入りを懇願しました。でも、最近の師匠は変わってしまった。あれは魔女のせいです。人の心を蝕み金銭を巻き上げる悪魔ですよ」


再び、潮崎の口調に熱がこもった。一樹は、なるべく刺激しないように素直に頷いた。

潮崎もそれを理解したのか心中をぶちまけるかの様に捲し立てる。


「師匠は、昔から腕は素晴らしいのですが何分知名度は在りませんでした。ど派手な設備を用いての大型マジック等は一切やりません。僕、ああいうの好きじゃないんですよね。素直に感動できません。手品っていうのは文字通り熟練された手を用いた技術です。勿論、そういった大掛かりなものだって相当練習はしていると思いますけど。感動って少ないんですよ。手品っていうのはささやかな驚きをもって人を魅了するものだと思いませんか?」


潮崎の言葉に一樹は思わず同意した。確かに、大掛かりな脱出マジックなんかは、テレビ的な演出のせいかチープに感じてしまう。勿論、そういった類の物を一樹は生で見た事はない。

大抵は、テレビの番組でだ。そういった勝手なイメージを確かに持っていた。


「ですが、金銭面では大分苦しかったです。そんな時、師匠はあの事務所。魔女の噂を聞いてここに足を運びました」


「一体、どんな噂だったのさ?」


「魔法使いがいるとか。それで、師匠はお金にも困っていたので何とか注目を浴びるような事をしたかったんです。その時は、大分荒れていましたから藁にも縋る思いだったと思います」


「自分で、新しい手品とかは考えなかったのかい?」


「師匠も色々試行錯誤していたみたいですけど、いいアイデアは出てこなかったみたいです」


「へー」


適当に相槌を打ち、カップをすする。既に空になった容器をそのまま口元で停止させ、横目で麻衣をチラリと覗く。彼女と視線が交錯したので、声には出さないがおかわりを要求した。

そんな一樹に構わず潮崎はその口を止める事はなかった。


「それで、師匠は魔女に聞いたんです。テレビ受けする物はないか?って。何でもいいから人気者になりたいと。僕は、呆れて何も言えませんでした。尊敬する人の堕落を間近でみた落胆しない人間なんていないでしょう?」


「だが、実際アリスのは手品でも何でもない。魔術だ。トリックなんてものは存在しないだろ?牧田さんが求めるような斬新な手品なんてアイツの所に来ても何もない」


二杯目となるカフェラテが運ばれてきたので、一樹は直ぐにそれを口元に含んだ。


「そうですね。僕もそう思っていますよ。いや、思っていました。ですが、現実は違う。牧田さんは魔女に渡された指輪を使って炎を操れるようになりました。魔術という奴ですね。その結果、師匠は一役お茶の間の人気者。そうなると魔女は牧田さんに使用料を払え等と言ってきました。その金額は牧田さんがテレビに出演するのが増す度に料金を吊り上げてきました。牧田さんは、何も言わずに払っていますが、流石に度を超えてきました」


「まさに、魔女だな。というかアリスの奴はそんなに守銭奴なのか?寧ろ、金に興味なんてなさそうだけど」


「僕もそう思ってました。なので、牧田さんには内緒で魔女を一人で尋ねてみたんです。そしたら彼女何といったと思います?」


必死な形相の潮崎に一樹は「さぁ」と短く答え肩を竦めて見せた。


「おもしろそうだから、これで商売する事にした。お前も一個どうだ?くれてやるぞ。って言うんです。流石に腹が立ったので断りましたけど」


「じゃあ、潮崎さんは魔術とか信じていないの?」


「いいえ、そういうわけじゃありません。信じる信じないというよりも、認めたくないだけです。あんなもの手品じゃありません。ただ、手品以外で使うというのであればいいんじゃないでしょうか」


「手品以外で使うっていってもなぁ」


一樹は首を傾げた。


「……例えば、殺人とか」


急に声を潜めて呟いた潮崎の言葉に一樹はゾッとした。

飲みかけていた飲料が逆流し急き込んだ。

数時間前、自身が身を持って経験した魔術。何よりも今自分自身の上着に潜ませている魔術を吐き出す拳銃は紛れもなく人殺しの道具と成り得るからだ。


「それは……そうかもしれないけど。身近な事件でいうと」


頭を少し回すと今日の昼頃の会話を思い出した。麻衣から聞かされた連続焼死死体遺棄事件だ。


「そうです。それですよ。連続焼死死体遺棄事件。今週で三人目。それぞれ被害者は女性で生きたまま燃やされたんだろうって。そんな事、普通の人間じゃ不可能です。きっと、魔術が絡んでいるに違いないですよ」


「そうなると、君の師匠が一番怪しいわけだけど」


「牧田さんはそんな事しませんよ!」


また潮崎が声を荒げた。彼が机を叩いた拍子にカップが床に落ちて砕けた。


「あぁ、スイマセン、スイマセン」


慌てて拾おうとする潮崎を制して従業員がすぐさま箒でそれを片付けていく。

一樹は、間抜けにも素早い対応だなと考えていた。

ふと、視線を店の外へと向けるとガラス張りの向こうにいた牧田と視線があった。


「潮崎さん、外でアンタの師匠が待ってるよ」


「ええ、スイマセン。ここは自分が払うので店をでましょう」


ばつが悪そうに潮崎は周囲にペコペコとお辞儀を繰り返しながら会計へと向かった。

一樹もそれに続いて店の外へとでた。


「随分と盛り上がっていたようだが」


その声に潮崎は、ペコペコと頭を下げる。


「まぁ、アリスさんの助手らしいし構わんがな。帰るぞ」


そういって牧田は一樹に愛想のいい笑顔を一瞬作り、会釈をすると直ぐに背を向けて駅の方へと歩を進めた。

潮崎は、牧田を追いかけながら何度も一樹の方へと振り返りお辞儀を繰り返していた。

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