第2話

時季で言えば陽気な日差しが顏を出し始めた頃。

世間は新しい生活の到来を予感させる初々しい月だった。


「ふぁあああ」


間抜け面とはまさに今の彼の様な顔をいうのだろう。

大きく欠伸を一つ。

ボサボサに伸ばした髪をかき、無精ひげを左手で摩る。それは、この日彼にとって四度目の欠伸だった。


時刻は、午前十時。

暖かい陽気だというのに黒のロングコートを纏った彼は公園のベンチに一人座り込んでいた。


「あぁ、暇だ。暇がこんなにも退屈なことだとはな……さてさて、時間にはまだまだはやい、か」


ブツブツと独り言を呟き、胸元のポケットから取り出した煙草を一本取り出すと、その煙を堪能するように火をつけた。


「あぁ、社会はそこまでして俺を見捨てるか」


彼、赤羽一樹は所謂、就職難民である。大学では就職活動に尽く失敗し卒業。

後ろ盾もないまま彼は、社会人の世界へと飛び降りたのである。


一樹には身寄りなどいない。

小学生低学年の時に両親は離婚。母親に引き取られその後は、母親の両親と一緒に暮らしていたが、彼が高校三年のある日母親は謎の失踪、母親の両親で一樹の祖父母は昨年の秋に2人とも他界してしまっていた。

故に、彼は一人なのである。


そんな、一樹は就職活動に尽く失敗をし行く当てのないまま街を散策する日が続いていたのだが道端に落ちていた求人広告をなんとなく拾いあげた。

『住み込み可・探偵助手募集・ペット化』という求人情報を見つけたのが一週間前の話になる。


それだけなら、内容もよく分からない怪しい広告だと見向きもしなかっただろう。そもそも、ペット『化』と誤字になっている。が、そこに掲載されていた住所を見て彼は目を丸くした。


忘れるはずもない。その住所はかつての自分の住み家。つまりは、一樹の父親の探偵事務所だった。


父親とは両親が離婚して以来一度も会っていない。会って言いたい事も山ほどある、何よりも会えなかった心の隙間を埋めたいという衝動に一樹は駆られた。

今更ではあっても彼の衝動は止まらなかった。


広告を見て直ぐに電話をすると、受話器の向こうから女の声がした。何となく気落ちしたのを抑え込み要件を伝えると一週間後、つまり今日、面接の約束を取り付けたのである。


一樹自身、珍しく行動力を発揮したと驚いた。それは、無意識の内に助けを求めたが故の行動だったのかもしれない。


自身の置かれた環境、境遇を少しでも誰かに知ってもらいたかったのだと。


「はぁぁ」


深いため息。流石に、ため息の数は数えてないと苦笑いしながら、懐から新しい煙草を取り出して火をつける。一樹の足元には吸い殻の山が形成されているが本人は気にも留めていないだろう。


「これ吸ったら行くか……」


ぼぉーと空を眺めながら一樹は呟く。吸い終わった煙草の火種を靴の裏で消すと指で弾いた。

放物線を描きながら吸い殻は地面に着地する。


「行くか」


決意を固めた。膝を両手で叩き気合いをいれ腰を上げて一歩踏み出す。


「ちょっとアンタ」


「はい?」


決意の足取りは一歩目で何者かに呼び止められた。肩口を後ろから何者かに掴まれたからだ。

振り向くとそこには一人の女性。もう一方の手で彼女は足元を指さしていた。


「なにか?」


一樹はこの女性の事を知らないし、恐らくは彼女も一樹の事を知らないであろう。つまりは初対面だ。もちろん、一樹にはこの女性に呼び止めらる理由など思いつきもしない。


「この吸い殻アンタでしょ?ちゃんと灰皿に捨てなさいよ」


至極、至極全うな正論。あぁ、この人は所謂おばちゃんというやつで関わると面倒な人種だと頭の中で思考する。面倒なのに絡まれたと一樹はため息をついた。


「すいません。拾います」


我ながら情けない、と内心思う。それでも、この女性の言う事は正しいのだから従わざるを得ない。


「……今日、面接行くのやめようかな」


全ての吸い殻を公園の隅に設置された灰皿に捨て小言を呟く。出鼻を完全に挫かれて重い足取りで探偵事務所をへと向かうのだった。


神池市最上。それがここの地名だ。主に四つのエリアに区分される。北側の下沢は市内で最も盛んな地域であり都市部からのアクセスが容易に行えるため大変活気づいている。


一方、この最上は同市の東側エリアにあたる。良くも悪くも数十年前の景観を維持し続けるここは時代が止まっている様な印象を受けるだろう。建築物の多くは昭和から平成七年頃に建てられたものが大半を占めており、古めかしいマンションやアパートが立ち並ぶ。この土地に足を踏み入れるのも数十年ぶりである一樹にとって見覚えのある景色というものは少なかった。


彼がここを離れて十年以上が経過しており、そもそも記憶もあやふやなのである。


スマートフォンで地図のアプリを開きながら目的の場所へと何とかたどり着けそうだと一樹が安心した所で、ふと家電量販店の店前に設置されたテレビに視線が移った。


そこには最近やたらとテレビに出演し、メディアに注目されているとされるマジシャンが映っていた。


手品師。勿論、トリックは存在する。しかし、過程を見せずに結果だけを提示するそれは確かに魔法のように神秘的にみえるだろう。


「羨ましいね」


一樹はテレビに向かってそんな独り言を漏らす。それは、このマジシャンが脚光を浴びているからではない。彼が羨ましがるのは手品という仕組みだ。勿論、一樹は手品が努力の末の結果だという事は重々理解している。


要は、「結果」だけしか存在しないのが羨ましいのである。言い方を言い換えれば「成功」何もせずに楽だけしたい。例えれば、宝くじを買ってもいないのに当たったらいいな等というとても卑屈でありふれた願望を一樹は漏らしたのである。


そんな自分も情けないと内心ため息をつき、一樹は懐に手を伸ばし愛用の煙草を取りだして火をつけた。


「―――煙草吸い過ぎだな、この辺はうっすら覚えている気がする。いや、気がするだけだが……もう少し行けば思い出すだろう。それこそ手品みたいに、ポンっと簡単に」


煙を吸い込み、独り言を吐き出す。最近は、人と話す機会が減ったせいか独り言が多くなったと嘆きながら歩を進める。次の角を曲がれば幼少の頃に見慣れた光景が目に入る筈だと。


「―――あっ」


思わず零れた。

雑居ビル。T字路の角にそれはあった。三階立ての錆びれたビルだが二階のガラス張りの窓には『赤羽探偵事務所』と内側からテープで貼られている。


一階部分はカフェになっており、それも一樹の記憶にしっかりと残っていた。ただ、そのカフェの外観は彼の記憶と異なっており、周りに建つ建造物と比べても綺麗といよりは新しいという印象を受けた。


「ま、改装でもしたんだろ」


吸い殻を道路の溝に捨ててビルの階段を上がる。一回の喫茶店は中々に客が入っていたので、それなりに繁盛しているのだろう。


清潔感溢れる喫茶店と比べて、ビルの階段は草臥れていた。一瞬、隣のビルの入り口と間違えたのではないかと錯覚するほどだ。それでも、それを懐かしいと一樹は感傷に浸れるほどに思い出に溺れていた。それと、同時に少し期待もしていた。


それは、父親との再会である。全く連絡もしていない。そもそも、顔ですら曖昧に記憶している状態で父親をひと目見て思い出せるか不安があるのも事実だ。


「もし、本当に親父がいたら」


少しの恐怖を口にする。父親と別れて数十年。会いたいと思ったことはあっても、会いに行こうとまで思ったことは一度もなかった。だというのに、今更父親に会おうとして―――


「違う違う。今日は面接に来たんだ」


首を左右に振り頭の靄を振り払う。どうしてこんな事を考えてしまうのかと考えるが、簡単に答えが出てしまう。


「あぁ、寂しいのか俺は」


母親も、祖父母も居なくなり唯一の肉親は父親だけだ。父親の探偵事務所の求人を見つけた時は運命的なものを感じたのも確かだ。アイタイ。正確には、心の隙間を埋める何かか欲しいだけな事にも彼自身気がついているものの、それを咎める考えを一樹自身は持ち合わせてなどいなかった。


階段を上り事務所の扉の前に立つ。妙に緊張しているのか、脇から絶え間なく汗が溢れ、渇きを訴えるように喉が鳴る。


「これなんか言ったほうがいいのか?」


ドアノブに手を掛け思考した。「失礼します」は職員室に入る学生みたいなので却下した。

「ただいま」も流石にありえない。「面接に来ました」も扉越しに言うのもアホらしい。


無難に扉をノック。沈黙。返事が無いようなのでもう一度一樹は扉をノックする。

しかし、返事はない。


「誰かいませんかね?」


面白味もなく、当たり障りのないセリフを吐きながら一樹は扉を開けると、内側に取り付けられたベルが鳴り来訪者である一樹を出迎える。


「雑貨屋じゃないんだからこんなモノをつけてどうすんだよ」


呆れながら一樹は事務所内を見渡す。

何もない。という感想は間違っているだろうと思いながら一樹の第一印象は『何もない』だ。


正確にいえば、何もないわけではない。窓を背にした大きな椅子。書類がパンパンに挟まったファイルが山積みにされた机。所謂、特等席。ここに座る事が許されるのはここの所長くらいな者だろう。そして、その前方にはガラス張りの長テーブル。それを挟むようにして対面にソファが二つ並んでいた。明らかに依頼人から話を聞くときに使用される物だろうと一樹は推測する。


「あぁ、そういう事か、情けないな俺は」


頭をポリポリと掻き毟りながら一樹は唇を噛んだ。この部屋には確かに何もない。何もなかった。そう。一樹が期待していたようなモノなど何一つなかったのである。古い記憶を懸命に掘り起こしても、事務所の風景は彼の記憶と一致しない。数年も立てば模様替えもするだろう。それでも、自分が求めていた人物の生活感を全く感じないと確信できていた。なにより、ここに父親の姿などないのだから。


「何を落ち込んでいるんだ俺は……面接だ、面接。誰かいませんかーい?」


わざとらしく声を張る。も、返事はない。面接の時間には少し早いとはいえ人がいないという事態を想定外だった。立って待っているほど辛抱強くないとソファに腰を掛ける事にした。高価なソファだったのか、自身の下半身がズッと沈んでいくのをハッキリと認識する。


「これは、寝れるな」


あまりの座り心地に思わず瞼が閉じる。程なく睡魔が全身を駆け巡るが、手の甲を抓って何とか耐える。


ちくたく。ちくたく。


部屋の隅にひっそりと置かれた柱時計の秒針が、子守唄の様に一樹の脳内を擽った。


「これは、マジでやばい」


一樹が睡魔というとても人的な魔法と闘う事数分。彼からしてみれば数時間と錯覚する程の長い闘いだったであろうが、それはとある乱入者により終戦を迎えた。


「ふむ。まずは第一面接合格だな」


突風。まるで、嵐が駆け抜けたかのような錯覚を覚えた。窓も扉も閉まっている筈なのに。

一樹の顔を嬲るように風が駆け抜ける。それは、まるで睡魔もを取り払う様に。


「っなんだ!?」


思わず両腕で顔を隠すが、その腕の下で困惑した表所を露わにする。

そして、目にした。先ほどまで誰もいなかった室内。

そこには、美しい金髪を靡かせ、鋭く尖った赤い両眼をもつ少女がいた。

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