愛の形

Black river

愛の形

 その日、私は列車を逃した。

 田舎の旅で列車に乗り遅れることほど面白くないことは無い。歯の欠けた櫛のようなダイヤに次発が5時間後であることを告げられ、むしゃくしゃする気持ちを抑えながら、いましがた宿から駅に向かって歩いてきた道を逆行する。

 寂れた商店街は右を見ても左を見てもシャッター。店主の生死すら怪しそうな店もちらほらある。時間をつぶせそうな場所がどこにも無い。風に吹かれて空きかんが1つ、カランカランと耳障りな音をたてながら転がっていった。

 しばらく歩いて、ようやく開いている店を見つけた。年季の入った構えのそれはどうやらお菓子屋らしく、店頭のガラスケースに饅頭や煎餅がまばらながらも並んでいる。

「いらっしゃいませ」

 奥から、これまた年季の入っていそうな店主がのっそりと現れた。

「何にいたしましょう」

「そうですね・・・この栗饅頭を二つ、お願いします」

 空きっ腹を満たすには丁度良い大きさだ。

「三百円になります」

 店主は食べやすいようつま楊枝を添えて渡してくれた。

「それにしても、やってる店が少ないですねえ」

 私は一つ目の饅頭に楊枝を突き刺しながら言った。

「若い人はみんな街に出て行ってしまうからねぇ。残るのは年寄りばっかりで。それも順繰りに止めていってしまって、いつのまにかこんなになってしまいました」

 店主は寂しそうにため息をついた。

「お客さんは旅行で?」

「そうなんです。温泉巡りが趣味でして。この向こうにある旅館の温泉が良いと聞いたので、来てみたんですよ」

「それは、それは。ここらは観光の人もあまり来ないから、ゆっくりされたんじゃないですか?」

「それはもう。ほとんど貸し切り状態でしたから」

 実際、泊まっている間に他の客にはひとりも会わなかった。

「これからどうされるんですか?」

「いえ、もう帰ろうかと思ったんですが、実は電車を逃してしまいまして。次に来るのが5時間後と書いてあったので、暇つぶしにこうしてうろうろしているんです」

「そうなんですか。それはご災難なことで」

「どこかに、時間を潰せるようなところはありませんか?」

 店主はしばらく考えていたが、しばらくして「ああ、博物館」と言った。

「博物館?」

「そうです。近くに博物館があるんですよ。長い間行っていないので忘れていました」

 温泉以外のリサーチをしていなかった私にとっては朗報だった。

「よかったら道を教えていただけませんか?」

「分かりました。今地図を描きますからそれを見ながら行かれたら良いでしょう」

 店主は勘定台の下から紙と鉛筆を取り出しながら言った。


 30分後、私はひなびた博物館の前に立っていた。

「やってるのかな、ここ」

 思わずそう呟かざるをえないほど、それは私の想像としていたものとかけ離れていた。

 荘厳な雰囲気の建物や凝ったモニュメントがある訳でも無い。公民館の建物が少し大きくなった程度である。窓の内側にかかっている日焼けしたカーテンは固く閉じられており、そもそも開館しているのかどうかすら怪しい。観音開きになっている正面のガラス戸にも、よく分からない染みがあちこちについている。私は一抹の不安を覚えながらも、金属製の把手に手をかけて内側に押し開いた。

 正方形のピータイルが敷きつめられた廊下はひんやりとしている。薄暗い中で、手前の守衛室兼受付けのような一角だけに、ぽっちりと明かりがついていた。そっと覗いてみると、小太りの中年女性がテレビの情報番組を見ながら茶をすすっているのが見えた。

「あの、」

 声をかけると、女性はゆっくりと振り向いた。そして目を見開いて、突然の来館者に対して控えめに驚きを露わにした。

「なんでしょう?」

「あの、今やってます?」

 思わず深夜の居酒屋で言うような台詞を口走ってしまった。

「ああ、ご見学の方ですか!」

 女性もようやくこの建物の本来の役割を思い出したようである。

「そうです、けど」

「もちろんです。あ、すみません。今電気つけますね。あまり立派なものはございませんが、どうぞゆっくりしていってください」

 部屋の片隅にある配電盤のスイッチを入れながら彼女は言った。廊下に目をやると、手前から順番に、弱々しく瞬きながら蛍光灯が点灯していく。

「ありがとうございます、あの入館料とかは」

「あ、そうでした。えっと大人の方は300円となっております」

 ずいぶんと低めの値段設定であるが、私は言われるがまま財布から百円玉3枚を取りだして、彼女に渡した。

「ありがとうございます。それではいってらっしゃいませ」

 料金と引き替えに簡単なパンフレットを受け取り、廊下の奥へと歩を進めた。

 最初の部屋は郷土史のコーナーだった。町の歴史がセピア色の粗い写真と共に紹介されている。展示によると、昔は近くの山で石炭の採掘が行われていた関係で、この町は炭坑で働く坑夫たちの住む場所として栄えていたらしい。「むらまつり」とキャプションのつけられた一枚の中では、たくさんの力強い男たちが神輿を担いでいた。この中には、あのシャッターの閉まった商店街の店主もいたのだろうか。

 しかし石炭の採掘量が底をつくと人離れが深刻になり、やがて町は寂れていったたのだということが、今度はカラーになった写真と併せて書かれていた。人のいないがらんとした展示室が、華やかな過去と厳しい現実の落差をより際立たせていた。

 部屋に満ちた重い空気に押しつぶされそうになりながら、廊下へ出て次の部屋へと向かった。

 

 壁いっぱいに漆黒の暗幕が張り巡らされていた。ドアをくぐった正面に、それはドンと据えられていた。部屋の蛍光灯はついておらず、薄い橙色のスポットライトだけで照らされている。

 そこで人間が二人、抱き合っていた。

 長い年月を経て乳白色の骨になった彼らは、背景となる岩盤に半身を埋めて、お互いの背中に手を回したまま化石していた。

 キャプションには『愛の形』というやや情緒的なタイトルと解説が書かれている。

「これは町の北東に位置する船場平ふなばだいらで見つかった化石です。船場平は今でこそただの平地ですが、昔は名前の通り、船を浮かべることができるほど大きな湖でした。「愛の形」はおそらく船場平がまだ湖だった時代、なんらかの事故か水害に巻き込まれて転落した男女が、互いにしがみついたまま、泥に埋まって化石になったものと考えられます。発見された当時、その姿があまりにも美しかったため、周囲の岩盤ごと堀り出して当館に収められることとなりました」 

 説明書きを読んでから、再びその美しくも残酷なレリーフに視線を戻すと、確かにそこには強い愛情が感じられるような気がした。少し小さな、おそらく女の方だと思われる骨は、口を大きく開けてまだ息を吸おうとしているかのようだ。一方で、男だと思われる大柄な骨は、口を閉じて、もう自分の死期を悟り、諦めているように見えた。

 それぞれの感情がどうであれ、最後まで相手を見放すことができず共に命を絶った、というのはなんとも悲劇的で、人々が好みそうな話だと思える。

 私はしばしの間「愛の形」を眺めていたが、ふと小さな違和感を覚えた。例えるなら喉に魚の小骨がひっかかったような。大したことはないが、なぜか無視できない気持ち悪さを含んでいた。

 何か、決定的な間違いをしている気がする。


 結局、それ以上に印象的な展示物に出会うことはなく、私の社会科見学は終わった。頭の中にはまださっきの違和感が、重く、居座り続けていた。

「いかがでしたか?」

 玄関を出る時、受付の女性にまた声をかけられた。

「とても面白かったです。ありがとうございました」

 礼を言って博物館を出ると、やや低くなった太陽の下を駅に向かって歩く。ひび割れたアスファルトの道に、神輿を担いだ男たちの像が重なった。人も町も、時が経てば変わり、そして失われてく。時間が彼らの意思に忖度することはないのだ…

 

 時折差し込む木漏れ日を避けるようにして、男は走っていた。汗が垂れて目に入るのも構わず、ただ時折り背中越しに振り返るのだけは忘れずに、ただひたすら下草を踏みしめ続けた。道標の無い森の中は真っ暗闇と同じだ。自分がどこに向かっているのか。すぐに分からなくなる。それでも、今は走り続けなければならない。

 藪や木立をひたすら掻き分け進んでいた彼の視界が、突然パッと開いた。

「ここは」

 緑がかった水で満たされた湖が、目の前に横たわっていた。元気な魚が一匹、跳ね上がって水面を叩いたが、体をかがめぜいぜいと背中を上下させていた彼の目には入らなかった。

「しまったな」

 男は自分がおかした失敗の苦みを味わいながら呟いた。

 その時、先ほど彼が出てきた藪が大きく揺れたかと思うと、新たに何かが飛びだしてきた。

「っ!」

 男は飛びかかってきたそれを、よろめきながらもすんでのところで躱した。

「もう、逃がさないよ…」

 男に負けず劣らず息切れをしている追っ手ー長い髪を振り乱した女は言った。彼女の手には鋭く尖ったナイフが握られている。

「頼む、聞いてくれ」

 男はナイフが目に入るや、後じさりしながら両手を挙げ、懇願した。

「あんたの一人息子を殺しちまったことは本当に悪かったと思ってる。でも、俺だってわざとやったわけじゃない。たまたま、俺の矢の先にあの子がいただけだ」

 しかし、虚ろな目をぎらつかせた女はナイフを握る手を緩めようとはしない。

「私の、大事な、大事な…やっと8歳になったばかりだったのに!あんたは!」

 女はそのまま得物を構えると、男の懐へと突っ込んだ。

「まってくれ」

 男は全力で相手の腕を掴んで押しとどめながらもなお、弁解の言葉を叫び続けた。足の裏と地面が擦れあい、ざりざりと不快な音を立てる。

「頼む。なんでもするから。こんなことやめてくれ!」

「うるさい!」

 女は両肩に力をこめ、押し出すように男の手を振り払おうとした。


 次の瞬間、二人の体は宙を舞っていた。

 流れるような景色の中をゆっくりと落ちていったかと思うと、次の瞬間、それは鼓膜を振るわせる水音と刺すような水温に変わった。

 男は息をしようと必死に水面を目指して泳いだ。ところが、あと一歩というところでぐいっと引き戻された。足に女が絡みついてきたのだ。落下の衝撃でナイフを無くした彼女は今や、素手で相手を仕留めにかかっていた。

 体の自由が効かなくなり、体が沈んでいく。蛇のように細く力強い腕が体に爪を立て、喉に伸びてくるのを男は感じた。鬼気迫る表情を浮かべた女の顔が、視界いっぱいに広がる。そこにはもう、良き母であった面影は無い。我が子を奪われた野獣の顔であった。

 仕方がない。男は自分の罪を受け入れることにした。そして必死に捕まえていた最後の意識を手放した。

 

「まもなく、一番線から電車が発車します。ご注意ください」

 アナウンスと同時に鳴り響く発車ベルで私は起こされた。状況を把握できず辺りを見回すと、相も変わらずひなびた駅のホームだった。ベンチに腰掛けたまま、眠ってしまっていたらしい。なんだか変な夢を見ていた気もするが、はっきりとは思い出せない。一体あれは何だったのだろう。

 しかし今はそれよりも、目の前の電車を逃すとまた5時間待ちだということの方が何倍も大きな問題だった。

「すみません!乗ります!」

 私は車掌に呼びかけながら、よたつく寝起きの体を引きずって電車に向かった。

 

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