「ふーいいお湯だった。」

妻がTシャツにスウェットで頭にタオルを巻きながら出てきた。タオルの上からでもわかる柔らかな肢体。私よりも30も年が下なのだ。異性としての魅力はまだまだ衰えない。こんな妻がなぜ私を選んでくれたのかわからない。金か、それとも私の哲学の教授という社会的地位か、それとも…。


いや考えても仕方がないのだ。結局のところ真実は分からない、それこそ妻に聞けばいいのだが「そんなのどうでも良いじゃない」といつもの年の割にあどけない笑顔でごまかされるのが関の山だろう。それに彼女もまだ(何やら怪しげだが)調査会社で派遣社員として働いている。単純に金が目的ではないだろう。

「ご飯出来たよ」

私は彼女に食事を勧めた。彼女はグリーンカレーに喜びながら椅子に座った。こんな彼女を少しでも疑ったりした自分に罪悪感が少し影を落とした。

「どうしたのあなた、難しい顔して」

「うん?いやなんでもないさ」

「あ、あなたが難しい顔をしているのはいつもの事だもんね」

「うるさいよ。早く食べな」

彼女はキャラキャラと笑いながらカレーを口に運ぶ。そう、こんな疑わしいすべてがバーチャルな世界だからこそ最も身近な人間を疑ったって仕方がない。そう考えながらも口にカレーを運んだ。



妻と出会ったのは彼女が20歳、私が50歳の時だ。彼女は当時私が担当していた学生のゼミ生だった。ゼミは1800年代におけるドイツ観念論に関するものだった。彼女は確かヘーゲルの『精神現象学』とデザイナーズベイビーに関する、いい発表をしていた気がする。しかし私の脳髄に刻み込まれていたのは、発表の内容などではなくその容姿や、ふるまいの魅力であった。いまでもまだ思い出せる。教室のカーテンの隙間から差し込む光で金色に輝く栗色の髪、透き通るようなシミひとつない柔肌、すらりとしたスタイル、よくとおるハリのある声。男子学生はもちろん、女子学生も彼女に魅了されていた。彼女の周りにはいつも人がいた。皆が彼女を求めていた。それに対し彼女は高くとまるわけでもなく、一人一人誠実に心を込めて対応をしていた。こんな心が荒み切った壮年の男にもだ。


私は彼女に会うまでずっと孤独だった。早くに両親を失い、親戚の間を転々とした。そこでは誰もが私を腫れ物にさわるかのような扱いだった。なまじ同世代に比べて頭の回転が速く、年の割に知識が豊富な事が、まわりにすればより不気味に映ったのかもしれない。大学に入学し異性との付き合いも事務的以上のものはなくひたすら、哲学の研究に没頭した。


いつ死んでもよかった。どうせいつか死ぬのだから。いつか死ぬのならこんな人生に何の意味があるのか。人間はセミを見て「儚い命」という。しかし、人間だって地球やその他の星からすれば、あまりに儚くそして無意味なのだ。人生を以下に過ごすかなんて小説をじっくり読むか、読み飛ばすかの違いしかない。そう私は確信していた。命など儚い、人の夢なのだ。


そんな中彼女と出会い、枯渇しきった心に一滴の水が垂れた。以前はうっとおしく、一時間ぐらいで中座していたゼミの飲み会にも最後までいるようになった。いつも同じYシャツにジーンズだった私は服もスーツにかえた。万年、生やしっぱなしの無精ひげもそるようになった。周りからは「なにがあった」といわれ奇異の目で見られた。それでもよかった。何かしなければ落ち着かないのだ。俗な言い方だが、何か男磨きなるようなものをしなければ私には落ち着かないのだった。

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