第5話 渡辺崋山(3)
崋山と長英は、モリソン号の風聞により幕府の目を覚まさせねばならると思い、崋山は「慎機論」を、長英は「夢物語」を記していくが、崋山は「慎機論」をいっきに書き始めたが、どうも途中から思うように書けず、そのまま書斎の函に置いたままになってしまった。
しかし、のちにこの稿は幕府に接収され、のちに日の目を見ることとなる。その内容は、決して不完全ではなかった。しかし、崋山自身は出せる代物ではないと、お蔵入りだった。その内容を紹介しよう。
「慎機論」
我田原は、三洲渥美郡に在て、遠州大洋中へ
右の著書を以て考うれば、千八百十七年我文政元年にあたれば、今を距ること凡二十一年なり、モリソン英敏の質と云えども、洋人の漢学をすること最も苦渋にして、成し難きこと推知すべければ、此書二十歳の著として年齢を計るに、五十五六歳の間なるべし、其人英万敏達にして、其国に於ては品級尤高く、威勢盛なるべし、和蘭陀人往々称する所、十年シーボルトと共に来りし書記ビュルゲルと云者、長崎より
此ビュルゲルは陰謀ある者にて、モリソンが名勢あるを知り、
此ビュルゲルは、モリソンが恩蔭を深く蒙りたる者なれば陰謀有るも知るべからず、されども
然れば是等を證とし、推してモリソンが事考え察すべし、かかる顕名の士、首として護送せる事なれば、本国の命を領し来れる事疑うべからず、殊にモリソン唐山の学を学び(按ずるに
但西洋諸国の道とする処我道とする所、道理に於ては、一有て二無しと云えども、其見る処の大小分異なきにあらず、
今天下の五大州中、亜墨利加、
若し
西洋
按ずるに鄂羅斯禍心を包蔵し、我
然れども其実、彼が
あり。
唐山は固より論ぜず、仏隆生の国、今即ち
西洋諸国の地を考うるに、大抵北極出度七十度に起り、四十五度に終利り、其間五十五度以下を多しとす。是を我国に比すれば、奥蝦夷以下の地にして、人多きに非らず、土地広きに非らず、耕すも食うにたらず、織るも着るに足らず、肉を食い、皮を被り、労労に習、衆を恐れず後来南下北移して、終に英達の君出で、今隆盛に及べり。
然れば則ち、土地の豊富、恃むべからず、人の衆多も喜ぶべからず、唯其
うるは、固より論なし。三代
今我四周、
(崋山全集より編集)
「慎機論」が日の目を見るのは、幕府探索により没収されてからだが、なぜか写本が多くあるらしい。崋山が誰かに見せていて筆写したのか、没収した後に、参考として筆写したものかわからない。
今では高野長英の「夢物語」と共に著名になっているが、当時は長英の「夢物語」だけが広まったようだ。
だが、これだけの内容を聞いたことで覚えており、世界情勢に明るいことはどうだろうか、である。崋山が欲していたことは何なんだろうかと云うことになる。画家として名を馳せている崋山は、蘭学に興味を持ち、違う文化に心を馳せただけなのか。日本と外国との交流を望みたい気持ちも現れている。
のちに崋山は切腹することになるが、その最期は長英とともに、将来の日本にとって重要な人物を亡くしたことである。
それが元になった蛮社の獄の件はのちに記すが、人の嫉妬心が起こした事件でもある。そのことを考えると何と情けないことであろうか。
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