第4話 渡辺崋山(2)

一、あるひと問う、地誌の書ウイス・キュンデー星学ー(今按ずるに幾何学即ち度学)、ナチユル・キュンデー元理ー、スタート・キュンデー地誌ー(按ずるにウイスは推歩すいほ学、即ち天を専主とす、ナチュルは自然の物理にして、地誌に取ては、地を主専とす、スタートは、人情風俗政治沿革等を主専とす)三科の内に近来大成の書、何と申物あるや、将著書の姓名、本国、何年の印行いんこう、貴国にて翻訳鏤刻るこく等ある物承りたく候。

答て曰く、チュール・レイケ、及アルゲメーネ・アールド・キュンデ六巻、払郎察フランス国人ソンムル著す所の、千八百三十二年の刻なり、未だ我国の翻刻の事を聞ず、又我アムステルダム・アカデミーのホーグ・レラールスコートルという者、ウイスキュンデに生じ、一地球を航海し、実測せる地理書あり、皆、羅甸ラテン語、払郎察フランス語なり、我国の学者達人は、独逸、払郎察語の原本にて読み、本国の訳書を待たず、我国本を得て学ぶ者は、三四年も発明おくれ申すべく候。

(著者註・鏤刻は出版のこと、チュール・レイケは自然地理学を指す、

アルゲメーネ・アールド・キュンデは一般地質学)


一、或人問、欧羅巴の内、貴国のほか何と申す国、兵力強盛に候や。

答て曰く、生質勇敢、戦闘精錬なるは、都兒格トルコ国第一なるべし、されども奇変百出なるを以て、亦奇敗これあり候、是に当り候者、唯俄羅斯オロシャなるべし、気質沈深、思慮遠大にして、みだりに兵を動さず、若動くことあれば、終に必勝の利を保ち候、さるからに今大貌利太尼亜ゴロートブリタニヤは、ひそか俄羅斯オロシャを学び申し候。

(筆者註・大貌利太尼亜はイギリスの事、俄羅斯はロシアの事)


一、或問う、払郎察フランス是斑呀イスパニヤ意太利亜イタリヤ都兒格トルコ蘇西斎亜スウエシヤ俄羅斯オロシャの諸国、著者亦多かるべし、さるを貴国にて、翻訳の書なきは如何候や。

答て曰く、学問芸術の盛になるは独逸ドイツ国、次に払郎察フランスにて、余国に比すべき者なし、唯大貌利太尼亜ゴロートブリタニヤは、機巧きこう盛に行れ、西洋諸国工匠くすびを接ぎ、其都龍動ロンドン輻集ふくしゅうするが故、他国は機巧に事を欠くばかりに候、其国一奇機を製造すれば、大利を得る故に、斯る風俗となれり、近年ドイクルス・コロック(水中の物を捕り得る奇器にて、中世創始する物なりしが、猶又精巧を極て造り出せり、四五年前、我国に持渡りし奇器なり、其始め、官より仰付けられしにより、アムステルダムの人、ロンドンに十年計り罷越まかりこして、習熟に来りしに、無用の長物たるを以て、器はとどまり、其人は御かえしになりし由なり)爾後ストーム・マシーネ(蒸気機)と呼る奇器を創始せり、此は火を以てる車にして、最妙なる物なり、我国にても、此製をならいて、自行火船じこうかせんを工夫せり、成れる事は、未だ聞き申さず候、其船は、風力を借らずして起るからに、水程を計り、更にあやまることなきを以て、飛脚火船に用べき物也、是を呼て、ヒュル・マシーネ(火機)と申候、荷物は積かね候、已にストーム・マシーネと申す書これあり候、是には、其製造、委しく記し申し候。

(著者註・機巧は技術の事、自行火船は蒸気船の事)


一、或問う、新奇の器を製造するには、一世にはならず、二世三世も経てなれるありと聞え候、皆、官府の人にて候や、左なくば生活に事欠きて、かようの者ありても、志は遂げ申すまじく候はん、如何。

答て曰く、我国に限らず、西洋諸国の風は、ゴット(仏)・レイケ(教道)・メンセン(人)・レイキ(芸学)、コンストー術ー(工考学)、皆学校これあり、日新の功をつみ候事に候、有道ゆうどうの者は、帝王の経済、勲功の者は、補佐の職に登り、物学精博の者は、芸学校の学頭に進み、工術精絶なるは、利禄を得るなり、人生れ五六歳、アートシカツベイ(州学即ち郷学の類)に入り、此より其人の天賦を品し、其志を定め、多方駢拇へいぼに至らしめず、分年学程に従い、発明の事あれば其説を記し、学院へ出し、諸学士の論定を得、政庁へ進め、政庁又衆議して、帝王の許可を蒙る、それよりしては、学資皆官府より出で、其物は成る迄は二三年を経るとも、遅速を責る事なし、或は其私する者は、商家の求めに応じ、其あたいを定め、創始せるなり、左なくては、物を開き、務をなすこと能わず、是皆、養才の政にして、国人に皆むかう所を知らしむるによりて、独学偏見の者なし、大学校の論定を経て印行し、又創造して、一地球中に及ぶ、故を以て、他国の如く、独尊外卑、自ら耳目を閉て、井蛙せいあ管見の弊風へいふうなく、学者の規模広大にして、能く容れ、能く弁じ、其知らざる者は欠如す、爰を以て、実学盛に行れ、向学の者日々に多く、日晎にっこう雨淋、天の物を生ずる如くなれば、志ありては、生活に事欠などと申す義これなく候。

(著者註・有道は神道を指す、駢拇は無用の事、独尊外卑は自国を尊び外国を蔑視する、日晎雨淋は天が日光を照らし雨を降らす事)


一、或問う、波爾杜瓦爾ホルトガルは、是斑呀イスパニヤに包れたる小国なれば、伯西兒ブラジルたのみ独立せるや

答て曰く、然り。


一、或問う、独逸都国同盟三十八国は、従来臣属の国なるや、此国の事は、元来意太利亜のカアレル帝、移り都せし国なれば、意太利亜も、今や属国にや。

答て曰く、独逸同盟三十八国、亜細亜諸国の政度にては、推計おしはかられず候はん、従来臣属の如き物に候、亜弗利加アフリカのクーの如き、生死与奪の権を専にし、一国を私する如きにはあらず、意太利亜国は、独逸都の属国にはこれなく候。


一、或問う、大貌利太尼亜ゴロートブリタニヤの国勢、俄羅斯オロシャに比ぶれば、何れが強勢に候や、今時両国の間角立かどたち不和の事ありや。

答て曰く、土地の広大、国勢の強勢なる事、俄羅斯に比ぶべき者、更にこれなく候、且大貌利太尼亜と不和の事、聞き伝えず。


一、或問う、第那瑪爾加デンマルクは、独逸盟会に入たる国にや。

答て曰く、盟会の国ならず。


一、或問う、孛漏生フロシャは従来、自立の国にや、又勃奈抜爾ボナパル擾乱の後、同盟に成り候や。

答て曰く、ボナパル大乱以前より、独逸盟会の国に候。


一、或問う、波羅尼亜バロニア国千百八十五年、俄羅斯より官司を置き、治め来りしに(ボーレン王国)近来高官の者、一揆を企て、俄羅斯に対し合戦に及しに、終に俄羅斯勝利を得たる由、其後、如何に相成しや。

答て曰く、今は俄羅斯の下王オンドルコニング移都し、総統せり、俄羅斯の帝名は、ニコラース。

(筆者註・波羅尼亜国はポーランドの事。下王は総督の意)


一、或問う、プラハンドは、貴国の付属なりしに、近来払郎察、大貌利太尼亜の二国、隠扶して、貴国と戦に及びしに、俄羅斯は貴国に助兵し、終に角立して和せざる由、今時如何になりたるや。

答て曰く、プラハンドは、昔より自立し難き国にて、一旦は是斑呀イスパニヤにも属し、又窩々矢甸礼幾オオステンレイキ(独逸国都)又払郎察にも属し候、近来千八百十五年以来、我国に属し、千八百三十年荷蘭オランダヤラマに入らんと企て候間、此確執起しなり、千八百三十三年今より五年前、全く払郎察の内に入り、独立と成たり。

(筆者註・プラハンドはベルギーの事、隠扶は隠してこっそりと助けている事、窩々矢甸礼幾はオーストリアの事)


一、或問う、俄羅斯国、近来益々広大の国に成る由、去ども赤道以南の地方には、領地伝聞致さず、何の故ありて貴国、大貌利太尼亜、是斑呀、払郎察の如く、隔遠の地を望まざる。

答て曰く、諳厄利亜イギリス人は、得むことを務め、魯西亜人は、失わざらんことを欲す、それ絶海隔遠の地は、その小弱を脅す時は、はなはだ得易しと雖も、亦失い易し、故に魯西亜人は、これを欲せず、ただ数百年の力を以て、徳を積み、威を示し、一たびその掌握に帰する時は、これを再び失う事なきを欲す、故に陸地つづきに蠶食さんしょくせんことを、その隠計として、支那領の満州、及蝦夷えぞ諸島を、謀る者なりといえるは、さも有るべし、されど、これらの事情は容易に外国人に、知らせし事ならねば、暗推ならむも知りがたけれども、其情状を見る時は、亦その言、理あるに似たり、彼が隔遠の地を欲せざるは、これらの故か、又遼遠の地は、割拠蠶食の患い多くして、かえって本国の患いを致し易き為に、貪婪どんらんを慎み候故か、何れ其の実否は分り申さず候。

(筆者註・蠶食は他国の領地を侵略する事、割拠蠶食は領地のとりあい、貪婪はたいそうよく深い事)


一、或問う、襪爾襪里亜ベルベリアの内、アルギュルス(亜爾日西)、チュニス(都尼素)、パルカ(把爾加)等は、都爾格トルコに属したりや。

答て曰く、トルコに属せず、皆海賊を以て業とせる国なれど、近来国々より、厳しく之を制したれば、古来の如くにはあらねど、今何れへ属し候と申す儀これなく候。

(筆者註・襪爾襪里亜は北アフリカに住む人々、アルギュルスはアルジェリア、パルカはリビアを指し、海賊が多い地域であった)


一、或問う、北亜米利加は、広大無辺の地にして、其内尤も広き領地は、是斑呀イスパニヤのメキシコ府統轄の地なり、大貌利太尼亜領は、僅々其の東北の地、新ブリユンスウエキ及カナーダよりメキシコ海辺を合するのみなるに、是を総称して、ブリツチセ・ブリタニーと申すは、可也には候えども、一に此を北亜墨利加アメリカと称し候事、傲慢ごうまんの至りには非ずや。

答て曰く、近時唯きんじただノールド・アメリカと称すれば、大貌利太尼亜の亜墨利加領と申事に成来り候。


一、或問う、アウスタラリーの内、新ホルランドの地中、新ソイドワレスの諸地、大抵大貌利太尼亜の領と成たる由、其外ガルペンタリヤ、ジーメンス・キュスト、デウイツテランド、等の地も亦、大貌利太尼亜に入るや。(アウスタリー、地誌家近来これを五世界の一に定む、其地、北極出地三十度より、南極出地五十度に亘る、又東西経度百二十度より、百五十度に及ぶ、海島を合して之を移す)

答て曰く、新荷蘭オランダは、一の大州の如く、縦横凡十六万二千里方(按ずるに、この里程は、独逸の里数也、一里は我千三百三十坪に当る)にして、欧羅巴に比すべし。よって数百年の力を積にあらざれば、開闢かいびゃくすること能わずして、一国の力を以て統一することを得んや。大ブリタニヤ罪人を移し、民を植て、漸く一辺の地を開けり、我国にも亦、罪人を送りたり。

(筆者註・アウスタラリーはオセアニア州を指す、新ホルランドはオーストラリアの事、新ソイドワレスはニューサウスウエールズ州を指す、ガルペンタリヤはオーストラリア北東部の半島を指す、ジーメンス・キュストはオーストラリア北部海岸中央の湾と岬を指す、デウイツテランドはオーストラリア西北部海岸の地域、エーンダラクツランドはオーストラリア西海岸の地域を指す)


一、或問う、全地球を航海するに、諸国峡海せとを通行すべし。其海門こうとを経過するには、其本国の印鑑なくては、みだりに通さゞるや。

答て曰く、文引きって等用いず、其航海の故由を記し、其官署に達するのみ、近頃我ヘツスルというもの、自然窮理学吟味ナチュールレイキオンドルスクールの為に、一地球を航海せしかど、何の差支えもなし、唯俄羅斯領内の一処(按ずるに、べすろうてらんど)海門あり、是はペーテル(俄羅斯帝都の名)の文引なければ出来ざりし。

(筆者註・ここでの印鑑は通行許可証、文引はその許可証の事)


一、或問う、一地球中、帝国と称し候は。

答て曰く、独逸の喎々斯甸礼幾オオステンレイキ、魯西亜、白爾西亜ペルシャ伯剌西利ブラジル(按ずるに古志帝国と称するもの、俄羅斯、独逸、支那、都兒格、マロツコ、日本、亜弗利加の馬邏可マラッカ伯剌西利ブラジリをいう)


一、或問う、我邦の京都如何。

答て曰く、ゲイステレイキ(神孫家)・エルフ(累世の)・ケイヅル(帝)。(僧の上京して、官位を得るを以て、彼の法皇は比したるなり)


一、或問う、江戸は地志家にて、何と申上げるや。

答て曰く、ケイズルと申上げ、穏当致すべし。(実はケーズルといえば云わるると答えしなり)


一、或問う、江戸の広大なること、他国にもこれあるや。

答て曰く、我国都アムステルダムの比すべきに非ず、大抵把理斯パレイの大きさなり、又払郎察は、我国廿八倍の大きさなり、日本に乞食の多きと、火事の大なることは、世界第一というべし。


一、或問う、人品は。

答て曰く、上官はますますフラーフヘン(好人)也、性情は大抵、都兒格人に似たり、都兒格の人、才識高明なれども、必勝を謀ることあたわず、学問上達を学び、下学せず、此を以て秀才なる者は傲慢に流れ、平庸なる者怠懈たいかいなり、奇機を見て模倣する事、至って敏捷なれども、性沈実ならざる故、物を創始すること能わず、此を吾国にて軽脳けいのうと云う、されど其敏才は欧羅巴人の及ぶ所ならず、別て我江戸人の性質に的中せり。

(筆者註・軽脳とは頭の空っぽの事をいう)


一、或問う、風俗は。

答て曰く、御制度は大仕掛にして、整束なき所あり、譬ば医と工商、貴賎貧富、打交りて住居とす、他国に多く見ず候。

(筆者註、整束は秩序の事をさす)


一、或問う、百年来干戈を動かさざること、他国にもこれ有るや。

答て曰く、かかる安靖あんせいの国は、更にこれなく候、西洋一日も、寝食安からず、然るに諸国実政を尊び、国家に憂勤ゆうきんすること、又他に異り候、近来学芸益盛んに相成り候に従い、大志雄才の者、発出致し、まま一地球中五分の四(欧羅巴、亜墨利加、阿弗利加、亜鳥斯太刺利オウストラリを指す)は、欧羅巴の教政を受る如くなりしも、皆憂勤憤興ふんこうより出で、一失一得とも云うべきなり、これ亜細亜諸国は、国富み風俗寛裕なる故、治め安き方にもあるべし。

(筆者註・憂勤は独立を守るために力を注ぐ事、憂勤憤興は国々の生存競争、一失一得は戦争もあるが平和もあるという事)


一、或問う、国富むことは如何。

答て曰く、日本の土地と、気候とを見るに、支那我国などの交易を待たずして、用足るべき国と思わる。必竟、物産の学に疎き故、斯る不自由を好むなり、御世話有らんには、諸物、挙て用うべからざらん。


一、或問う、江戸城並に営中は如何。

答て曰く、御城も営中も、壮大は壮大なり。ケイヅルの御居所なるべし、然れども、御城の敷石、又石だたみ、又御玄関も麁末そまつ也、大広間の金、絵画は、実に見事なる事にて、此殿は我国にて千畳敷など申伝うれば、聞きしにまさる広大なる御事也。

(筆者註・ケイヅルは将軍のこと)


一、或問う、老若の御邸宅は如何。

答て曰く、大抵、大同小異、一所御庭に気色より所あり、一所歩障に、金箋きんせん墨水あり、見事なりき、何様にや。

(筆者註。ここでの老若は老中と若年寄を指す、歩障は衝立の事)


一、或問う、医学の致し方は、如何様に致し候や。

答て曰く。医学は人の性命に関わる事故、容易ならず候、先づその家業並に他の貴賤の者に因らず、医を学び度と云う者あれば、その父より官府へ届け候えば、呼びいだし、問い試みてその器に当るべく見え候えば、入学の糧を賜り、先づ解剖学に、三年間従事致させ候、これも医学を心がけ候童子は、在宅の間に、解剖の図書を熟覧致し候もこれあり候て、学習速になり候はゞ、其旨学校より官家へ考課を出し候はゞ、期月を待たずして、昇進致し候、それより製薬局へ出仕いたし候、これも三年に満たず候とも、その功課全く候はゞ、獄中医者の手伝になり申し候、是は最早、よ程の昇進に候。罪人はその一人を誤ちても、事実不明になり、勧懲かんちょうする所を失い、関係する所大なれば、平人よりも別に心を用て、その処置を為す、右の医生、この功課畢りぬれば、病院の医と為る、これより次第に出身して、軍中、船中医、侍医にも昇り学校の先生となる。故に先生と云は、其数至て少し、大国にても二人か三人に過ぎず、大かたは病院の医に至れば、甚の昇進にて、郷学校の医師にも、容易にならるることにあらず、又一国の学校の先生となりて、他方に遊学し、独逸、諳厄利亜、払郎察の学校に於て、敵手無き時は、初めて之を、大先生ゴロートメーステルと云う、先生メーステルという者の月俸、日本金貨を以て、大率おおむね千金に当る、大先生は、その声価に因て差等あり、皆その学業を研究すると、生徒を教育すると、物を聚め、或は書を刻する等の用に供す、又医家並に学者の発明あれば、これを学校に呈し、学校に於て歴試の上、その言験あれば、その人をして、その事を掌らしめ、その事を書に著し、王家よりこれを他方に頒出し、その全書の価中、幾分の金をその人に給す、他方の得る者、また速に是を試験し、新発明を付して、速かに刊布す、故に欧羅巴州中、何等の事に因らず、一の発明あれば、速かに一州の総法となる、ゆえに士人皆一の発明あらん事を望む、例せば芋蝎いもむしの脇に黒点を、十八年の星霜せいそうを積て、漸くに考え得し類也、これ皆其一発明本草書中に、その書部数に因りて、その分の禄を分ち給わり、且子孫永世の業となるを以ての故に御座候。

(筆者註。総法は共有財産を指す)


一、或問う、貴国にも町医これあるや。

答て曰く、町医あり、さなくては救急の間に合い申さず、されどほしいままに居住はならず、凡そ町中療養の者、医学院の吟味オンドルスクールを得ざれば、療病はならず候、是は人命を誤り、天然に背く為に、一町何人と、申し定める事にて、牢屋は尚更人を選び申し候。


一、或問う、牢獄に医を選み候と申すは。

答て曰く、獄囚は天下公道の場所なれば、医を選まざれば、罪人非命に死し候故、ますます相選み候。獄中は清気往来少き故、空気に触れ、人体を誤り候を以て、月六ケ日吏率付添い候て、獄囚を歩行致させ、飲食を始め、総て養生を旨とし、四ヶ所の役所にて審問して、帝王へ申上げ、決断はケルキレーキ(僧官の邪正を糺す役、儒官の如きものなり)の司る所にして、すべて天道に背かぬ様に相慎み候えば、まして草医の誤療を恐れ、斯く選む事也。


一、或問う、解体は、死罪の者を用いるや。

答て曰く、病死をも用い申し候、解剖学院にて、月六ケ日解体せる也、貴国は如何。


一、或問う、我邦にては、年一両度もあるべし、解体、朝より夕に及ぶ、貴国も又然るや。

答て曰く、我邦にては、大抵十日又十一二日も掛り候、精細にするには、眼精計りも十日計りかかるべし、多くは全体を蒸して用う。貴国の一日にせりは如何ぞや。

(筆者註・眼精とは目の玉のこと)


一、或問う、その始めて従事する解部は、いかよう手数かかり候事に候

や、定めて何方より刀を用い、何処に終ると言うことこれあるべきや、我邦の如きは大率おおむね朝より始まり夕に及ぶ、貴国も亦然るや。

答て曰く、室中の人の全骨一部を置き、神経、動静血脈等、各大さ人の如き者数幅すうふくを懸け、身中の一部づつを夫々合せて、法の如く次第に解剖致し候間、大抵十日許り。


一、或問う、コンスビュルクは、如何なる人にや。

答て曰く、能く存じ申さず候、近来ビスコッフ(名医の人)と云あり、来年は爪哇へ参り申し候、今時独逸の医人ハーネマンと言者、西洋第一也、其療法、病に激する事なく、一にナチュール(自然)に従い、譬ば火を救うに火を以てし、水を救うに水を以てするが如し、古来の法を一変せり、年八十八歳に至り、喎々斯甸礼幾オオステンレイキの免許を受、専ら其説を広むるに、諸国の名哲、みな信従せざるはなし、此を以て払郎察、大貌利太尼亜、及び我国の医人と会議して、終にハーネマンが法に改む、勢い欧羅巴全州に及びければ、終には全地球中、一変すべし、かかる名医、古来稀なる事に候。


一、或問う、ハーネマンの療法、水を以て水をすくい、火を以て火を済うとは、いかようの義に候や。

答て曰く。これは大医にも、容易に会得なりかたき事にて、最初は所々に争論これあり候えども、追々其効験の多きに信服し、今は大率、其発明に従い申し候、其仔細は、従来の療法は、ただ病を敵国の様に心得候て、兵を以てこれを防ぎ、または病を火の如く心得候て、水を以てこれを消し候様のみに、苦心致し候えども、病は人身の生活の変にて、人身の外に病のあるにはこれなく候間、それを人身より全く取りはづし候事は、出来難き勢なるを以て、その変の出処に注目し、まづ人身自然良能りょうのうが、何故その変を生じ候や、その人の天禀若は居所摂養せつようよろしからざるに因りて生じ候や、又はその変を生じ候故に、身内一部に、多少の災を免かれ候儀もこれあるや、又は自然良能力乏しくして、その変を防ぐ事あたわざるに因り候かを相考え、其自然良能の欲する所の方法とし、なお天地より招来する許多の病因を、薬若は他の方法によりて調護し、又自然に因りてかわる所の命終めいしゅうもといとなるべき所を避けしめ候事にて、とりつまみ候えば、ただ脳神経を強壮にする治法に御座候。


一、或問う、近来発明の燐と申し候は、如何様の奇能これあり候物に候や。(此一条浄写別にあり、日本志の草稿と共に、一冊になり居たり)


一、或問う、マグネチュス、追々発明ありや、今時療養にもせるよし、如何。

答て曰く、マグネチュス、元来法家に用い候具にて、神奇不思議なる器にして、人を誤る事多きを以て、諸国濫用を禁じ申し候、今を去る事三十年前、大貌利太尼亜医人メスメリス(人名)と呼る者、療養の為に一奇機を製造し、国王の免許を得て、病人に施し、多くはいを起したるを以て、今は往々此を専門に療治する者あり、此器を名づけてメスメリチュスと申し候、されど其器偏好ありて、大医は更に用いる事なけれども、凡庸人は其怪を愛し、療を乞者多くあり。

(筆者註・マグネチュスはマグネットいわゆる磁石のこと)


一、或問う、貴国にも、英出の者これあるや。

答て曰く、ベルグスティンと申者これあり候、我奄斯的爾覃アムステルダム酒肆さかや小厮こぞうなりしが、生質うまれつき不凡なるを以て、学師某、切に乞求めて教育せしに、天文地理の学に上達致し、希代の碩学者とはなれり、今年二十二歳、アカデミー(大学校)の学頭第一の官位を受け、門弟皆八百人に及べり、近年ネウトン(古の天文学者の名、千七百年代の人)ランデン(千八百五十年間の人、天文学者)の創始せる窮天きゅうてん鏡に、自家の発明を加え、一奇鏡を作り、月を窺いたりしに、山海は更也数万点の動物あるを見出せり、よりて我地球と同体なることますます定論なり、此人、日本志著述にも、相掛り居れども、兎角、戸数人別異同多く、甚心を苦め居れり、其外許多著作もあれば、此人の名題ある者は、必求め御覧なさるべく候。

(筆者註・窮天鏡は太陽観察用の望遠鏡)


一、或問う、月中の動物とは、いかようの物に候。

答て曰く、これはベルグスティンが、大発明の奇鏡を以て、月中を見候に、山谷原野、皆歴々とわかり候中に、少々の異同は、年々にこれあり、その平地らしき所、追々縦横のすじになり候処多くこれあり候、その中に一処、橋の如きものこれある所を、多人数往来致し候、人物は、たけ低く、形猿の如く、手足には毛はえ候様に見え申し候又都府らしき所もこれあり候。


一、或問う、諳厄利亜イギリスのモリソンは、いかようの人に候や。

答て曰く、モリソンは龍動ロンドンの人にして、生得大志これあり、奇功を建てん事を心がけ候て、兄弟共に広東に至り、濠境ごうきょうに十六年間留学し、支那文に通じ、五車韻府を著し、其外、周易、書経、通鑑綱目、東華録、西域碑文を翻訳し、支那史、日本志、蝦夷志をも著作仕り候、但しこの三志未だ成らざるよしに候。

(筆者註・五車韻府は華文訳英文字典 を指す。周易は占術、書経は中国古代の歴史書、通鑑綱目は中国の歴史書、東華録は清朝の歴史書、西域碑文は西域諸国の碑文)


 鴃舌或問げきぜつわくもんの最後にモリソンの記述が登場する。この長い問答の記録でよくわかるが、米船モリソン号のことが、英人モリソンのことにすり替ってしまった。このことが、さらに「慎機論」を執筆し、未完成だったものが探索により発見され重罪となる。このことはのちに述べるとするが、それよりも鴃舌或問での内容のことは、鎖国されていたとは思われない内容である。西洋のみならず、オセアニア・オーストラリアの事も問うているのが興味深い。さらに、アメリカ、カナダ、ブラジルにも及ぶ。変わった問いでは、中東の海賊行為をも聞き出している。日本人の探究心の凄さを感じさせるものである。

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