第6話 夏休み その2
正面出入り口の自動ドアが開くと、空調の効いた建物の中に蒸した空気が入ってきた。私は母を乗せた車椅子を押して外へ出た。蒸し暑く感じたのは最初だけだった。山あいに建つ病院の、外の空気に、町中の癇に障るような暑さはなかった。日差しは強くても木陰を渡ってくるわずかな風が涼しい。
「昨日、梅雨が明けたって」
私が話しかけると「へえ、そうかい」と母は言った。
染めなくなって一年経った髪は、半分以上に白いものが混じったまだら模様で、だいぶ薄くなっていた。いや、この一年で薄くなったわけではなく、年を重ねるごとに自然と抜け落ちていったのだろう。息子が母親の頭髪の具合など、気にもしないのは普通のことだ。私はふと、自分の頭に手をやった。薄くなったというほどではないけれど、風呂上がりに鏡と向き合った時の濡れた髪が、ずい分疎らになってきた、と最近感じていた。
「昨日、和司が来てくれてね、でも窓から入ってくるからびっくりして。『そんなところから入ってくるな』って怒ったんだよ」
「和司さん、来てくれたんだ」
このところ叔父の名前がよく出る。その前はひとしきり、実家の所有権ばかりに気を揉んでいた。父親(私の祖父のことだ)を当てに、実家に転がり込んできた母娘が、家の中で大きな顔をしている。その母娘は、祖父の昔の愛人とその連れ子で、娘の方に祖父との血のつながりはない、ということらしかった。
「このままじゃ、家を乗っ取られちゃうよ」
真剣に何度も私に訴えた。
「大丈夫。権利書はちゃんと金庫にしまってあるから」
その度に私は、同じことを言ってなだめた。
「それなら、いいけど……」
不承不承というように、母がうなずくのも毎度のことだった。
「和司さん、何か言ってた」
「石井さんのところ、おばさんが亡くなったそうだから、私の代わりにお通夜に行ってくれる」
「分かった。香典、どのくらい包めばいいのかな」
「私のバッグ知らない。中に財布が入ってるんだけど、たぶんさっきのお店に忘れてきたと思うんだ。お前、見てきてよ」
「後で見てくるよ」
私はそう言って車椅子を押した。
病院の前を左右に延びる細い道を、十五分ほど先の別れ道まで行って戻ってくるのが、いつもの散歩コースだった。その道を通って、今日も私は母の面会に来た。
実家から車で二十分ほどのこの場所へ、以前は最寄り駅から病院の送迎バスを利用していた。先月で仕事を辞めて実家へ引っ越してからは、母が使っていた車で来ている。
仕事を辞めることはなかったのに、と妹に言われた。今では私もそう思う。その時は何だかいろいろなことが面倒になって、仕事を辞めるついでに、親しくしていた女とも別れることにした。希薄な関係だったから、わざわざ口にしなくてもいいようなことだった。怪訝な顔をした女に「一応」と言うと、女は小さく笑って「元気でね」と手を振った。
私の実家は、東京の西のはずれにあった。私は大学を卒業し、就職と同時に家を出て、都内の賃貸アパートで長らく一人で暮らしていた。
実家に戻った日は、梅雨の谷間の真夏日だった。大した荷物もないと、レンタカーのワゴン車を借りて一人で越した。二時間かけて実家に着いた頃には日も暮れかかり、少し涼しくなり始めていた。
人が住まないと家は荒れるという。去年の夏、母が入院して実家には誰も住まなくなった。父は十年前に鬼籍に入っていたし、妹はとうに嫁に出ていた。
私は引っ越しの翌朝、あらためて家を見た。幅一メートル足らずの、家の周りの敷地には、雑草が伸び放題になっていた。雑草は丈高く蔓延って隣の家の低い塀に、勢いよくのしかかっている。雑草をかき分けて家のぐるりを歩いてみると、家は雨樋がはずれているところや、軒裏のベニヤ板のはがれかかっているところがあった。人が住まないからというだけでなく、築四十年の家はあちこちにガタがきていた。
父が亡くなったばかりの頃、和司さんが障子戸を修繕してくれたことがあった。四十年経てば家も歪みがでてくる。そのせいで開けにくくなっていた障子の桟を、鉋で削ってすべりをよくしてくれたのだ。その時、ついでにと張り替えてもらった障子は、今もぴんと張っている。
「そういえば家の周り、雑草がすごかったから草むしり、しておくよ」
母のうしろ頭に向かって言った。
「お墓の掃除もしておくよ。もうすぐお盆だし」
どちらも面倒だ、と思いながら私は続けた。
「お寺に行って塔婆をもらってくるよ」
仏事に関わることには反応がいいはずなのだけど、今日はあまり関心を示さない。私は気にせず一人でしゃべった。
このところ、母の意欲や感情といったものが薄くなっている。私と話す時も、抑揚を欠いた声と表情のない顔で、目を合わせずにしゃべる。よくしゃべることもたまにはあって、抑揚を欠いた声と表情のない顔は変わらないまま饒舌になる。そのちぐはぐな様子が、私を妙に落ち着かない気分にさせた。
私は元々口の重い方だけど、一般に母親と何かの話題を共有している息子の方がめずらしいというものだろう。だから分かりきっているはずの同じことを、私は何度でもしゃべった。聞いていてもいなくても、どちらでもよかった。とにかく会話を続けていたかったのだ。
「だったら、お酒は配達してもらえ」母が言った。
「分かった。そうしてもらうよ」
何が「だったら」なのかは不明だけれど私はそう言った。
「お昼頃みんなうちに来るって、そう言ってたから。つまみにお総菜を買ってきてもいいけど、お前何か作れよ」
どうやら誰かがうちに来て飲むことになっているらしい。たぶん妹一家が来るのだろう。
「簡単なもの、何か作るよ。惣菜も買ってくる」私は答えた。
実家に戻ってみると、私が使っていた四畳半の座敷は納戸同然になっていた。二十年も家を空けていたのだから当然だ。
壁に取り付けられたアルミ製のパイプに母の服がずらりと吊るされていて、女はなぜこうもたくさん服を買うのか、という長年の思いをいっそう強くした。
畳の上にバッグが放置されている。革製のハンドバッグ、ショルダーバッグ、キャンバス地のトートバッグ等々。大きなものや小さなもの。見たところ十を越える数だ。隅に洗剤やティッシュやトイレットペーパー。いずれ使うものだし、買い置きがあっても不思議はないのだけど多過ぎると思った。
正面の壁際に母の嫁入り道具だという古い姿見。その横に、ラジオ付きの大きな懐中電灯が、なぜか三つも並べられていた。
小さな本棚に昔の婦人雑誌、手芸の本、山野草の図鑑、新潮社の日本文学全集が十冊。全集は、たぶんほとんど読まれないまま、函の背だけが日に焼けていた。
納戸となった座敷は、カーテンがひかれたままで真昼でも薄暗かった。
「家にあるいらないもの、処分していいか」私が聞くと、
「勝手なことするなよ」と母は答えた。
仕事を辞めてしばらく時間があるので、家の中の整理や掃除をしようと考えたのだ。けれどそれも考えただけで、結局することはなかった。引っ越した後の荷物の片づけすら、ほとんどやっていなかったのだ。荷物の中から着替えの服を取り出してしまうと、それ以外のものが必要になることが特になかったから。生活に必要な細々としたものは、元々実家にもあったし、期限があるわけでもない。荷物を入れた段ボール箱は、廊下と仏間の隅に積み上げてそのままになっている。人間しなくても済むことはしないものだ。私はそんなふうに生きてきたのだった。だから、わざわざ別れ話をするために女に会いに行ったのは、今考えても不思議なことだった。何も言わなくてもしばらく連絡しなければ、それを好きに解釈して相応の行動をするだろう。そういう女だった。
沢にかかる小さな橋を渡った。病院の裏を流れる沢が、右から蛇行して道を横切り、また蛇行して道沿いに流れてゆく。わずかに開けた平たい土地は病院の周りだけで、道はまた谷あいに向かって細くなる。谷あいの道は両側から木々の枝に覆われていて、木漏れ日がちらちら差している。水の流れる音がやけに大きく聞こえる。土手に茂った潅木で左手の沢は見えない。しばらくしてその音は葉ずれの音だと気がついた。
車で病院へ来る時は市街地を抜けて峠道を上り、切り通しの手前でさらに細いこの道へ折れる。山襞に沿ってつけられた細い道は、山と谷の両側から雑木の枝先に覆われていて、その下をくぐるようにゆっくりと走る。対向車が来ると、ところどころに設けられた退避所に車を入れてやり過ごす。ゆるやかに谷へ下り、わずかに開けた場所へ出ると、そこに病院が建っていた。
病院を通り過ぎ、その先まで行けば隣の峠道に出るらしかった。
「暑くないよね」私は木漏れ日の差す中、車椅子を押した。
車椅子はよく見ると、フレームのあちこちにほこりをかぶっていた。日の光の下だとよく目立つ。ほこりはグリスか何かと混じって固くこびりつき、ところどころに白い髪の毛がついていた。私は髪の毛と座面の隅の食べこぼしを、目につく度にいちいち取り除いた。家の台所の冷蔵庫やガス台や棚の上にも、時間をかけて少しずつ堆積したほこりが、地層のように油で固まっていた。母は家事が苦手だった。
橋を渡ってすぐのところに一軒の家がある。
「こんなところにも人が住んでるんだな」
初めてこの家を見た時に言った言葉を、私はここを通る度に口にする。竹藪に囲まれた広い敷地で、納屋もある大きな家。農家のようだった。
入り口から続く小径の地面に、ほうきで掃いた跡があって、奥に屋根の大きな旧い作りの家が見える。丁寧に長く暮らした時間が堆積したような、敷地全体の落ち着いたたたずまい。入り口のところの竹に札がくくりつけられていた。以前はなかったと思う。札には「私有地につき立入禁止」と書かれていた。散歩をしていると、たまにハイカーとすれ違うこともある。そういう人たちが入り込んでしまうことがあるのだろう。その先にも数軒の家が並んでいる。うち一軒は廃屋だった。
後ろから車が来たので、車椅子を路肩に寄せてやり過ごす。
「この道、隣の峠までつながってるんだって」車を見送って私は言った。
「まあ、おいしそう」母が前屈みになって雑草を引き抜こうとし始めた。
出たばかりの小さな若い葉は、淡い黄緑色があざやかで、確かにやわらかくおいしそうにも見えた。
感情を表すことの少なくなった母が、たまに「まあ」などと詠嘆の言葉を口にすると、どこか不自然で、感情表現が下手になったのだと思う。下手になったのではなく、これが衰えるということか。年とともに体の機能が衰えるのは当然で、頭も体の一部なのだった。
「これ、ハコベっていうんだっけ」
子供の頃、飼っていたカナリヤのエサにと、採った覚えがある。母は何とかハコベをつかもうと、届かない距離に手を伸ばす。その位置からでは明らかに届かない距離に、懸命に手を伸ばす。私がそっと車椅子を押してその場から離れると、母はすぐにハコベから興味をなくした。
沢に沿ってつけられた細い道は、次第に蛇行し始める。見通しの悪いところには、いちいちカーブミラーが立てられている。車椅子を押す私からは、背中越しで母の顔は見えない。けれど母が一心に、前方の一点を見つめているだろうことが経験で分かる。
カーブを曲がったところの梅の木の枝に、金属の棒が鎖で吊されていた。
「何だろう、あれ」
水平に吊るされた棒の両端から、さらに棒が吊るされ、それらの両端にも三角や四角や丸の、金属の輪がいくつも吊るされていた。モビールみたいなものか。二メートルほどの長さがあって、一番下の丸い輪は地面に接している。
「何だろうね」
もう一度言ってみたけれど、母が関心を示さなかったので、私は話の接ぎ穂をなくした。
木陰が途切れ、道の両脇が少し広くなったところへ来ると、路肩に赤い軽自動車が停められていた。さっき追い抜かれた車だった。女が一人、道端に立って何かを眺め上げていた。五、六歳くらいの男の子がそばにしゃがみ込んでいる。親子だろうか。近づくとこちらに気がついた女が振り向いた。
「こんにちは」母が言ったので、女も「こんにちは」と応えた。
女が眺め上げていたのは巨大な平ざるだった。山側の、路肩の斜面に立っている背の高い杉の幹に、平ざるがくくりつけられていた。径が九十センチほどの平ざるならうちにもある。母が梅を干すのに使っていた。目の前の平ざるは、二メートルを越えていそうな大きさだった。見たことのない大きさだ。何だろうこれは。
「アート作品なんですよ」女が言った。私が不思議そうな顔をしていたからかもしれない。
「私の友達が作ったもので、期間中、この道沿いに野外展示されてるんです。他の参加者の作品も展示されてるんですよ」
平ざるのくくりつけられた杉の根元に看板があった。「星祭り」と書かれている。その下に人の名前も見える。作品のタイトルと制作者ということか。さっき見た、梅の木に吊るされた鎖も、たぶん作品だったのだろう。
反対側の、沢へ下りる手前の草むらにも、丸太を組み合わせた櫓のようなものがあった。「野点」と書かれた看板が立てられている。
「芸術作品だって」私は言った。母は興味を示すだろうか。振り向くと、しゃがみ込んでいた男の子が、その格好のまま車椅子のタイヤやスポークをさわっていた。
「手が汚れるよ」母が言った。
顔を上げた男の子は何も言わず、じっと母の顔を見た。ああ、子供の振る舞いってこんなふうに無遠慮だったな、私は思った。
「いくつ」
母が聞くと男の子は右手を広げた。五歳ということか。その手のひらが真っ黒になっていた。車椅子のタイヤから出る、ゴムの滓がついたのだろう。
「ほら、汚れちゃった」母が言った。
「まあ、どうしたの」
女が聞くと男の子は、いきなり立ち上がり、「野点」に向かって走りだした。まったく子供というのは唐突だ。男の子は「野点」の前で急に立ち止まり、草むらの中にじっとしている。そして突然「バッタ!」と叫ぶと、足下に落ちていた小枝を拾って周りの草をたたきはじめた。バッタを捕まえたいんじゃないのか。子供の行動は意味不明だ。
「いいわねぇ、元気で」母が言った。
「落ち着きがなくて」
「落ち着きのある子供なんて」
「お母さん、バッタ!」男の子は草をたたきながら走り始めた。
「転ぶなよ」母が言った。
私はそのやりとりを聞きながら、ぼんやりと男の子の様子を眺めた。
日の当たる道はしばらく続く。私は車椅子を押した。野外展示の作品がいくつも路肩に置かれていた。
二本の杭にロープが渡してあり真ん中に空の額縁が縛りつけられているもの。
「唯我独尊」。
木の枝から鳥の巣のようなものがいくつも吊るされた作品もあった。
「夕立」。
私はいちいち母にタイトルを読んで聞かせた。母は黙ったままだった。
道はもう一度木陰に入る。どこかで湧いた水が無秩序に流れているらしく、道の脇に小さな流れができている。茂った葉が密になっていて薄暗くじめじめした場所だ。いくつもの倒れた朽ち木に、あざやかな緑の苔が生えていた。道の先に、木々が途切れ強い日差しの当たる場所が見えた。その場所に出ると左に折れる道があって、沢を渡る橋がある。まっすぐ行くと道はまた鬱蒼とした木々の中へ上ってゆく。散歩はいつもここで引き返すことにしている。
「さて、戻るか」私は車椅子をぐるりと回した。
「こっちから行った方が近いよ」母が橋の方を指さす。
「こっちの道からでも行けるよ」私はそのまま車椅子を押した。
「ダメだよ、こっちじゃないよ」
母はしばらく口の中で、文句らしいことをぶつぶつ言っていた。しばらくすると、
「お前、刃物なんか集めるの、よせよ」と言った。
ナイフのコレクションという趣味の世界があることを知ってはいる。けれどもちろん私にそのような趣味はない。
「刃物を集めるのは、もうやめるよ」私は言った。
「戻ったらコーラでも飲むか」
母がコーラを好きなことは入院してから知った。
「つき合ってやってもいいよ」母は答えた。
病院の自動販売機で買ったペットボトルのコーラを半分ほど飲んだところで、母は早く病室に戻ろうと私を急かした。車椅子を押してエレベーターで二階に上がる。病室に入って、ベッドの脇に車椅子をつけた。正面から母の両脇に腕を差し入れて引き起こすと、かなり萎えてしまった足なのだけど、どうにか立つことができる。そのまま体を回してベッドの縁に腰かけさせた。
ベッドに入った途端、ことんと寝てしまうこともある。布団の中で目をつぶったまま、独り言をずっとしゃべり続けていることもある。その日の調子によってパターンが違う。
私はベッドに収まった母に布団をかけた。
「それじゃ帰るよ」
そう言うと母は無言で半身を起こし、布団をはいでベッドを下りようとした。意のままに動かない体を、もどかしそうに動かしながら真剣な顔で室内履きに足を入れようとする。
「私も一緒に行くよ」目を合わせずに言う。
「ダメだよ」
「なんで」
押し問答になる。
「ここに泊まるとお金もかかるし」
今日はこのパターンの日だったか。子供と同じで理屈は通じない。
仕方なく私は、肩に手をかけて少し強くベッドに押しつけ、布団をかけた。私が一歩病室の出入り口に近づくと、またもぞもぞと動き始める。なかなかあきらめないところも子供と同じだ。ベッドから落ちて骨折でもされたらかなわない。
同じやりとりを何度か繰り返した後、母は「それじゃ私は、後から行くことにするよ」と言った。
「そうしよう、そうしてくれ」
どういうつもりか分からなかったけれど、私は喜んで同意した。
「でも、どうやって」
「大丈夫。このベッド、エンジンついてるから」
「分かった。また後で」
私は話を切り上げて病室を出た。
「あれ、キーはどこにやったっけ」
病室の外で、私は背中に母の声を聞いた。
一階に下りて薄暗い廊下を歩く。日はまだ高かったけれど、山あいの病院は少し日が傾くと山陰に入る。出入り口に向かっていると、蛍光灯に照らされて白く光るリノリウムの床の上を、何か小さな黒いものが動いた。
こおろぎが一匹、跳ねたのだった。
帰りにビールを買って家で飲もう。私は思った。
私は今病魔にさらされています。
でもいろいろ体について考えています。五年ほど前から足のしびれがひどくなり、今は病院生活です。体の微妙なところから少しずつ壊れてきて、そろそろ壊れかかり、すっかり治るということがなくなってしまい、スムーズに歩けるか心配です。
私に限りあっさりとあちらの世界にはいかないぞ、もう少し友達と楽しんでから、楽しくゲームをしてからいくから、どうぞ見守って下さい。
その中で闘病生活を送りながら、歩けない足でなるべく周りの人たちに迷惑をかけないように、リハビリ生活を送っています。なるべく生きようと体をいたわりながら動いています。だけどあと何年親子で生きられるのか、考えるに、明日かもしれない今日かもしれないと、いろいろ心配になってしまいます。
おばあさんを見ていると、自分と同じように生きたのかなと思います。
帰りがけに、看護士から手渡された母の「手記」は便箋に三枚あった。看護士は、リハビリとして書いてもらったのだと言った。作業療法というらしい。拙い字で意味のとれないところもあったけれど、これだけの文章が書けているのだから、入院して間もない頃に書かれたものだろう。
私は母の「手記」から目を上げて居間の窓を開けた。さっきまでの夏空がすっかり黒雲に覆われている。遠雷も聞こえだしていた。夕立がきそうだ。
家に帰って飲み始めていた一本目の缶ビールが空いた。「手記」はまだ続く。私は二本目の缶ビールを取りに、台所へ行った。
冷蔵庫を開ける時、床の隅の蜘蛛の巣が目についた。だいぶ取り除いたのだけど、部屋や廊下の隅に、まだ蜘蛛の巣を見つけることがあった。見落としていたのか、また作られたのか。放射状の形の巣ではなく、糸状の綿ぼこりのようなモヤッとした巣だ。何という名前か知らないが、豆粒のような胴体に、極端に細長い足の蜘蛛がその中に潜んでいて、見つける度にイラッとした。
台所の、流しの下の戸棚の奥に梅酒を見つけた。甕のような、大振りのガラスの容器に漬けられていた。梅の実は除かれていて、蓋がきつく閉められていた。お猪口に一杯だけ味をみると、とても甘かった。母が漬ける梅酒は甘い。甘さを加減してくれと、私が何度言っても母が味つけを変えることはなかった。あまり飲みたくはない味だが、捨てるのはもったいない。後で少し飲んでみよう。
ついでにと私は、他の戸棚の扉も開けて、梅干しを探してみた。どこにも見当たらなかった。私が子供の頃から毎年母は、梅干しと梅酒を漬けていた。母が作る梅干しは、塩をたっぷり利かせた、大きくて果肉のやわらかい、たいそうしょっぱくてすっぱい、しそ漬けだった。
母が一度、梅干し作りに失敗した年があった。梅が黒く腐ってしまったのだ。その年、父が他界した。「梅干し作りの失敗は不吉」という話を、後日母から聞かされた。迷信だろうし、そんなことを気にする母ではないと思ったけれど、翌年は梅干しを漬けなかった。以降もずっと漬けていなかったらしい。
居間に戻ってあぐらをかいて缶ビールのプルタブを起こした。部屋の中がずいぶんと薄暗くなっていることに気がついた。
「何で灯り、つけないの」女に何度も言われたことを思い出す。
日が暮れかかって部屋の中が次第に薄暗くなり始めた時、まだ明るい、まだ大丈夫、と思っているうちに、気がつくとずいぶん暗くなっていることがよくあった。辺りが暗くなってゆく様子を眺めていると、何やら心細い気持ちになってきて、灯りをつけるタイミングが分からなくなってしまう。
「暗くなったら、すぐにつければいいの」女は笑いながら灯りをつけた。
そういう穏やかなもの言いをするところを、私は好いていたのだ。しなくて済むことはしない、ということは、自分の感情にも肯定的になれないということだ。だから女に何も言わなくてもよかったのだ。なぜ私は別れの言葉を口にしたのだろう。女も、そういう私のことが分かっているから、怪訝な顔をしたのだ。
結局この年まで独り身で過ごした。母の老い先は、そう長くはないだろうけれど、私はもう少し長い。この先は、どうやって逃げ切るかを考えるだけだ。それは、しなくて済むことではなかった。今からやれることも限られている。そんなふうに、自分を律するような考えを起こすと、途端に心細い気持ちがやってくる。女と別れても別れなくても、どちらでもよかったのだ。どちらでもよかったのだから、別れることを選んだだけの話だ。しかし、その時心に浮かんだそのような思いも、ビールをひと口飲むごとに押し流されていった。何を深刻ぶっているのか、と自嘲する気持ちになる。いつものことだった。私はなぜ自嘲するのだろう、とビールを飲みながら思った。
身がすくむほど大きな雷の音がひとつして、大粒の雨が軒を叩く音が聞こえだした。軒を叩く音は、あっという間に篠突く音に変わり、私はあわてて居間の窓を閉めた。雨樋のない軒端から滝のように雨が落ちる。窓を閉めると雨音は、こもった音に変わり、息苦しいほどうるさくなった。雨漏りしないだろうな。私は天井を見上げた。
雨が降り始めて部屋はいっそう暗くなっていた。雨に閉じこめられているような、雨音に叱りつけられているような、何やら妙な心持ちになってくる。薄暗い居間で、私は柿の種をかじりながらビールを飲み続け、母の「手記」を読んだ。
今日も元気に笑っています。
周りからそんなふうに見られています。苦しいことがあっても必ず一日経てば薄れる。その感情を自分の長所と思ってきました。
みなさんと楽しく過ごそうと、なるべく自分を抑えて周りにあわせて行動し、できないことも引き受けてきました。人から何か頼まれると断れません。その結果、たくさんのつき合いが広がって大変なことになる。年賀状は個人で百枚も出すようになりました。
次から次へ生きていく人が変わってゆく。自分の次は誰にバトンタッチするのか考えてしまいます。
一番うれしいのは友達が病院に来てくれることです。もうこれが最後の挨拶かと思うことがたくさんありました。
生きていくことの淋しさをつくづく考える今日この頃です。友達に頼んでアルバイトを少しずつ始めています。
明日も元気でいたいな。
翌日、病院へ行くと母はベッドの上で目を開けていた。天井の一点をじっと見て何かをつぶやいている。声をかけても反応がない。私はベッドの脇に立った。つぶやく声は、歌を口ずさんでいるように聞こえる。耳を近づけてみた。歌っているのは「きよしこの夜」だった。か細い声で歌い続けている。
もう一度声をかけると、その時になって初めて私に気がついたように、歌うのをやめてこちらを見た。
「よく、ここが分かったねえ」母は言った。
「もう時間が過ぎてるのに、誰も来ないのよ」
母は悪態をつくように、
「みんな、何してるのかしら。まったく、時間を守れないんだから。これから買い物と、部屋の飾りつけもしないといけないのに」
「何か手伝おうか」
私はそう言った。母はまた目を閉じて、ぶつぶつと口の中で文句を言い続けていた。
私はベッドの脇の椅子に腰かけた。しばらくすると、母は文句を言わなくなった。眠ってしまったのか。
突然母が目を開けた。布団の上で、もぞもぞと体を動かし始める。
「何してるの」と聞いても答えない。
母は無言のまま、どうにか体を動かしてうつ伏せになった。布団から出した右腕を、ベッドの下に差し入れて左右に振る。手探りで何かをつかもうとしているようだ。
「ちょっと、手が届かないよ」
何をしようとしているのだろう。
「お前、ちょっと見てくれない」
私はしゃがみ込んでベッドの下をのぞいた。母の室内履きと綿ぼこりが見える。
ボールペンが一本落ちていて、小さな虫が一匹死んでいた。
「何かな」
「さっき和司が釣ってきたアユがあるから、持ってけ」
ひさしぶりに母が笑った。
母にはもう怖いものはないのだ。
私はその時ふと、別れた女に連絡してみよう、と思った。
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