第4話 玉川上水

 モノレールが電車の高架と違うのは、足下がスカスカなことだ。車窓から外を見て要一は思った。なるべく遠くの景色を眺めて、真下を見ないようにしよう。要一には少々、高所恐怖症の気味があったのだ。立川北駅から玉川上水駅へと向かうモノレールの車窓から俯瞰される風景は、三十年前、要一がこの沿線の高校に通っていた頃とは、ずいぶん様変わりしていた。もっともその頃、モノレールは開通しておらず、通学は立川駅の北口からバスを使っていた。

「こりゃ驚いた」素直な感想が要一の口をついて出た。

 惣介から結婚を報告するハガキが、要一に届いたのは先週のことだ。「結婚しました」と書かれたハガキを見て、要一は「再婚だろうが」と毒づいた。しかしそこで、要一は考えた。こんなことをする奴だったか? このハガキは俺だけに出したのだろう、たぶん。そんなプラクティカルジョークの好きな奴だった。それを分かる人間が回りに少なかったことが、惣介の悲劇だったよなあ。そんなことではビクともしない奴だったが。要一は惣介との高校時代をなつかしく思い出した。それはともかく、とりあえず惣介に連絡するきっかけにはなった。奴の思惑にまんまとのってやろう。

「ひさしぶりだなあ。どうした?」

 案の定、電話口で惣介はとぼけた。「どうした?」もないものだ、あんなハガキを寄越しておいて。その前に、十年ぶりの友人からの電話に、もう少し反応のしようがあるだろう。

「家を買ったんだ。玉川上水に。今度遊びに来いよ」惣介は頓着しなかった。


 玉川上水駅では、惣介が要一を待っていた。「変わらねえなあ」と言う惣介の顔には、しっかり十年分の年輪が刻まれていた。白髪も目立つ。それは俺も同じことだな、要一は思った。

「五十路目の前で再婚とは、どうした? 日和ったか?」

「そんなんじゃねえよ。一途に愛せる人に巡り会えただけだ」

「はっ。次は俺が女の品定めをしてやるって言っただろ。断りもなく結婚しやがって」

「お前は一度くらい結婚しろ」

 まったく。頓着しない奴だ。

 玉川上水の緑道を惣介が先に立って歩いた。五分ほどのところに家があるという。緑道沿いにだけ、昔の雑木林の名残があって、丈高いブナやクヌギの木陰になっていた。炎天下を歩かなくて助かる、要一は思った。セミの声が弱々しく降ってくる。よどみなく、さらさらと流れる玉川上水は、要一が最寄り駅として利用する三鷹駅の下をくぐり、四谷まで延びているのだが、要一はそのことを知らない。近所を流れる小さい川。その程度の認識だった。

 まっすぐな緑道は、前にも後ろにも人影が見えず、道の脇に設えられたベンチに腰かける人を、時折見るくらいだった。惣介は、いちいちその人たちに「こんにちは」と挨拶をして通り過ぎた。立川駅前の喧噪がウソのように鄙びている、要一は思った。

「第一デパート、建て替えられてたな。驚いたよ」

「あそこの『黒潮』で、よく昼酒したよなあ」

 要一が、惣介から離婚の話を聞いたのも「黒潮」だった。

「お前だって休日の娯楽は飲むことくらいだろう」そう言って惣介は、よく要一を昼酒に誘ったものだった。その頃、もう第一デパートの取り壊しは決まっていて、営業しているテナントはわずかだった。二人して薄暗いフロアの階段を上り「黒潮」に行った。店内は大きな窓から外の光も入り、明るく広々としていて、薄暗いフロアとは対照的に昼酒の客でにぎわっていた。何が楽しかったのか、午後から夕方までの時間を、要一はそこで惣介と、酒を飲んで過ごした。結婚生活がうまくいっていないのだろうと、薄々気づいてはいた。

 離婚後、惣介は自分で会社を興した。社員が三人だとか、ネットワークがどうだとか、当時聞いた覚えがある。IT系の会社のようだったが、難しいことは要一にはよく分からなかった。自分で始めた会社の切り盛りで忙しくなったのだろう、惣介からの昼酒の誘いは、次第になくなっていった。ひさしぶりの連絡が「結婚しました」とは。

 十年経って、商売も軌道にのってきたというところか。十年あれば、忙しい仕事の合間に新しい女の一人も見つけられたことだろう。要一が、そんなことを考えていると、「あそこだ」と惣介が言った。

 いかにも建て売りといった様子の、同じ形の家が三軒並んだ、真ん中の家の前に女が一人、所在なげに立っていた。手を振る惣介に気づくと、笑顔になって手を振り返した。もう一方の手は、大きなお腹にそえられていた。

 要一は舌打ちしたい気分になった。

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