第52話「無防備すぎんだろ」

(……そういえば)


 果てまで続く花畑の中、シルヴィは徐に辺りを見渡した。

 ここに来ると毎回ジンクとやり取りをするだけで、あまり場所を見ることができなかったのだ。

 雲1つ無い晴天の中、彼女はその場にしゃがみ込むと、目の前の花を注視する。花弁をなぞると、指先がしとりと湿った。

 独特な香りに、鼻がぴくりと反応する。


(薬草だ、これ)


 大きく白い花弁は全部で五つ。端にかけて薄い黄色のグラデーションがかかっている。

 シルヴィは頭の中の知識を探り、すぐに「ああ」と微笑んだ。


「ルーヴィスだ! 久しぶりに見たなあ」


 ルーヴィスはイヴェン村の特産の一つ。春に咲く薬草で、主に解熱剤の材料となる。

「花言葉は確か」とシルヴィは一人思考を巡らせた。


「三つあったはずなんだけど……あ」


 内一つを思い出したらしく、シルヴィは顔を明るくして声を発した。


「『約束』!」


 村から離れてしばらく経ち、草花は中庭くらいでしかお目にかかれなかった。久々に触れた懐かしいそれに、シルヴィは幸せを隠さず顔に出す。


「身体を取られちゃったのは災難だったけど……ちょっと得した気分」


 花から指を離して目を閉じ、風の鳴る音と花の匂いに感覚を集中させた。春の薬草に相応しい陽気が、シルヴィをぽかぽかと包み込んでいる。

 うとうとと閉じてきた瞼に逆らわず、シルヴィはその場にゆっくりと横たわった。

 そのまま、意識は深く沈み込んでいく。睡魔には勝てず、とうとう意識を手放した。

 一方で、シルヴィの側に現れた人物は大きなため息を吐く。


「……いや、無防備すぎんだろお前……」


 注意したのに、と口を尖らせるジンク。戻ってくるなり眠りについたシルヴィに、不満の色が隠せない。

 頬をツンツンすれば鬱陶しげに歪む彼女の顔に満足して、軽々と横抱きする。いわゆるお姫様抱っこだ。

 額にキスを落とそうと顔を近づける。


(待て、ガルシア様にバレたら消されるか……?)


 己の理性がそう語りかけてくるのを感じ、やれやれと引っ込んだ。

 すやすやと気持ち良さそうに眠るシルヴィ。彼女を見守るかのように、周りのルーヴィスはそよそよと揺れている。

 ジンクは花々をフンと一蹴した後、徐に空を見上げた。


「しばらくは、コイツとの時間もお預けか」


(まあいいけど。いやしかし、精力吸うのに男ってのは勘弁してほしいもんだぜったく)


 先ほど起こった珍事に顔を歪ませ、ジンクはそっと目を閉じた。


「戻るぞ」


 その言葉を皮切りに、二人は姿を消す。ルーヴィスも一斉に散り行き、空間は再び灰色に染まった。

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