第45話「イイ夢を」

「それじゃあおやすみ、お嬢さん」

「はい! おやすみなさい」


(朝から晩まで大変だなあ)


 エスにしばらく手を振った後、いつも通り扉を閉める。お城と言えど安心はできないから、施錠もばっちりだ。お風呂を満喫した後、そのままベッドには向かわず、シルヴィは窓際へと歩を進めた。底がふわふわの室内スリッパはまるで雲のようで、足取りは軽い。

 丁寧に窓を開け放つと、待ってましたと言わんばかりに夜風が吹き付けてくる。秋風らしい冷たい空気が、火照った身体を冷ましていった。


(……今日もガルシアさん見なかったな)


 自分はずっと社交や作法の勉強だ。でも、彼はどうしているのだろう。

 つい先日、中庭で会ったきりの黒魔道士に思いを馳せる。出会った時から変わらない彼は、だからこそ心配だ。


「調査団の人たちと、仲良くできてるかな」

「ガルシアに会いたいってワケ?」

「うん……うん?」


 ここは地上から距離がある。にしてはやけに近いところから、知らない女の子の声がした。刺すような敵意すら感じられて、シルヴィはハッと上空を仰ぎ見る。

 雲一つ無い、星の明るい夜だ。しかし、神秘的な月光を遮る者がいた。艶やかなピンクのツインテールを風になびかせる、小柄な少女。造形は可愛いと言えるが、銀の瞳は刃のように冷たく輝いている。シルヴィの顔が強張るのを見て、夢魔サキュバスは嬉しそうに口を歪めた。


「あははっ。その顔いいわぁ、ブスだけど」

「だ、誰ですか」

「私の名はアグネ。ガルシアのカノジョよぉ」


(彼女!?)

(予定だケド)


 心臓がギュッとした。でも、そんなことを気にしている場合じゃない。人が宙に浮いている。それが可能なのは、魔道士か、それとも__シルヴィは息を呑んで、アグネをじっと見据えた。


「貴女は、魔物ですか」

「そーいうアンタはただの人間でしょぉ? なんでガルシアが執着してるんだか、マジでイミわかんないわぁ」


 不貞腐れたような顔は幼いが、実年齢はどうなんだろう。黙り込んだシルヴィに、今度はアグネが迫ってきた。窓を挟んで対峙すると、シルヴィに穴が開きそうなほど全身を見回してくる。


「な、なんなんですか!」

「別に。貴女の身体借りるわぁ」

「は」


 言葉を詰まらせるシルヴィに、アグネは心底愉快そうに笑みを浮かべた。瞳の色が黄金に染まっていく。夢魔の後ろの綺麗な月が、妖艶な紫に光を変えた。ヤバい、とシルヴィは察するも、もう遅い。

 シルヴィは糸が切れた操り人形マリオネットさながらにその場に倒れ込む。アグネの姿は月と同じ色で霧散していく。その最中で、夢魔はそっと言付けた。


「そーそー、返却予定日なんだけどぉ」


 魔物の少女の姿が完全に消える。言葉も途切れたかと思えた刹那、倒れていた身体が引き継いだ。ギラついた黄金の瞳は、瞬きするとシルヴィの瞳の色に戻る。


「アンタが死んだら返すわぁ」


 アグネは上半身を起こすと、両手を開閉して目を伏せる。頬はとっくに緩みきっていた。


(魔眼はビミョーだけど……この能力は最高にキマってる!)


「それじゃ、イイ夢を」


 今宵の月は異様に明るく、大きく、そして何より禍々しいみたいだ。

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