第34話「ありがとう」
「さて。それじゃあ始めようか」
ソワレと金髪の女性(?)がやって来たのは、彼の家の風呂場。服を着たまま中に入ると、ソワレは丁寧に彼女を椅子に座らせた。軽く櫛を通していると、女性が小さく声を上げる。
「あっ……そのー……」
「ん? どうしたの?」
「あんまり……短すぎるのは……」
「わかった。前髪は?」
「切って、大丈夫」
(話せた)
謎の達成感を得て、ソワレは一人笑みを浮かべた。水で髪を湿らせると、言われたとおりに断髪していく。土で汚れてしまっている彼女の服は、後で洗ってあげよう。彼女にも風呂に入ってもらって、それからお腹も空いているだろうから……。
「あ」
「な、なんかあったのかい?」
「ちょっと待ってて」
ソワレが前髪を切る寸前でハサミを止めると、女性は不安に思ったのか肩を震わせた。少年は髪を手で梳いて落ち着かせると、小走りで風呂場から出ていく。
ぽかんとする女性の前に戻ってきた少年は、一切れのバームクーヘンを差し出した。
「ごめんね、今これしかなくて」
「え」
「食べていいよ。絶対お腹空いてるでしょ」
ソワレが手渡した菓子を髪の中に引き入れ、彼女は物珍しそうに見やる。くんくんと匂いを嗅いで大丈夫だと確認すると、一気に口に放り込んだ。
「ん゛っ!」
「もしかして、嫌いだった?」
「いや……美味しいな」
心なしか彼女の雰囲気が和らいだ気がする。ソワレは「そっか」と頷いて、前髪を切ろうと女性の前に立った。
「それじゃあ、目を瞑ってくれる?」
「ああ」
お腹に食べ物を入れると、少し元気が出たらしい。女性は姿勢を正して目を瞑った。ソワレはゆっくりと彼女の前髪を切っていく。
(それにしても、凄い跳ねる髪だ)
切った端から外跳ねしていく光景は物珍しい。ちょっとだけ面白いと思いつつ、彼女の綺麗な髪を切り落としていく。
段々と露わになる顔は見事なまでに整っている。柔らかな白肌、髪と同じ色の長いまつ毛、柳眉。
「おしまいかい?」
「お、おしまいです」
老人めいた口調の女性に、少し胸をどきりとさせたソワレ。こくこくと頷いて、ハサミをしまいながら尋ねる。
「お姉さん、お名前はなんて言うの?」
「____さあ。あまりにも呼ばれないものだから、忘れてしまったよ」
けたけたと笑う彼女はどこか寂しそうだった。ソワレはしばし考え込む。けれど女性は関係無しにソワレの肩を掴んだ。ちゃんと立つと、ソワレよりも背が高いらしい。
「そんなことより少年。さっきのあれ、もう無いのかい?」
「バームクーヘン? 気に入った?」
「ああ! あんなに美味しいものは久々だったよ」
ぽやぽやと美味しさを思い出すその様を見て、ソワレはふふっと小さく笑った。「じゃあ」と女性を見上げて声を発する。
「僕の分あげる。それから」
「それから?」
「バームクーヘンが好きなら、バムさんって呼んでもいいかな」
ソワレの提案に、「バムさん」と小声で繰り返し呟く彼女。風呂場に呟きが響き、ソワレは後ろ手を組んで返事を待つ。
(馴れ馴れしいか)
「いいな! 採用!」
少し苦い顔をしたソワレに、バムはぐっと親指を立てた。にこにこと少年を見る姿からして、なかなか気に入ったようだ。
バムは自身の毛を払いながら立ち上がると、ソワレに向けて両手を大きく広げた。すると、ポンッと彼女の胸の前にたくさんの花々が現れる。突然のことに、ソワレはただ唖然として魅入った。バムは得意げに笑って歯を見せる。
「私の名はバム。助けてくれてありがとう少年」
バムが腕を一薙ぎすると、床に散らばっていた髪も全て花に変わった。次にそれらはふわりと浮いて、少年の前で花束を形成する。
風呂場の中には彼女を中心に謎の光が放たれていて、ソワレは何も言動ができない。
「花束いるかい?」
「……えっ、あっ、置き場が無いかも……」
「じゃあ止めておこう」
彼女は人差し指をくるりと一回転させる。花束はバラバラに散って、キラキラと光を反射させながら消えていった。光が止み、ソワレはいつの間にか止めていた呼吸を再開する。
「____ば、バムさん。今のって魔法?」
「まあね! 私は偉大なる白魔道士。生命のはじまりと終わりを司る神でもある」
「神って」
「君ン所の教会が唯一の信仰者さ! 本当、辿り着けなかったら名もおろか存在さえ消えてしまうところだったよ」
(確かに、お祈りはしていても名前は知らなかった)
しかし神というのが未だに納得しかねる。確かに、どことなく雰囲気が、普通の人とは違うけれど……魔法の感じも凄いけれど……。
「なんで僕が教会に行ってるってわかったの?」
「気配でね」
「凄いな……」
(じゃあ、本当に)
ソワレがぱくぱくと口を開閉させる中、バムはふふんとドヤ顔をしてみせた。自称神様の白魔道士は、自分の髪を人差し指で弄びながら口元をすぼめる。
「それでだなあ少年」
「は、はい」
「永い間、世界中を放浪していた身なんだが……私をここに置いてくれやしないかい」
所在無さげに眉を下げて頼む自称神様。しかし元より信じやすいソワレは、彼女のことを神だと結論づけている。
自分たちが信仰している対象を邪険にするわけにはいかない。
「もちろん!」
風呂場というおかしな場所で、少年と女神は握手を交わした。
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