第30話「離さない!」
「シルヴィ」
「……はっ」
朝起きて、最初に見えたのはガルシアさんの顔。心配そうに渋められた顔は陰っていて、不安がらせたんだと思う。
悪い夢を見ていた、と思いたい。でも、もしも夢に関する魔物だったら……そう考えると、ただただ怖かった。
上半身を起こす私の手を握り、ガルシアさんは眉をひそめて話しかけてきた。
「うなされてた。ごめん、起こせばよかった」
「あっ、えっと」
「……シルヴィ。なんで泣いてるの?」
「え」
たぶん、ガルシアさんの顔を見て、彼の温かい手に触れて、私は安堵したんだろう。
私の頬を、一筋の温かな雫が伝う。その様子を見たガルシアさんは激しく狼狽えた。
怖かった。知らない
体全体が冷たく、汗でじっとりと湿っていた。そんな中で繋がれたガルシアさんの手からは熱が伝わり、心地よく感じる。
「すいません、ガルシアさん」
「シルヴィが謝ることなんてない」
「いいえ。あの……もう少しだけ、繋いでもらっててもいいですか」
「……」
(あれ?)
ガルシアさんの返事がない。でも繋ぐ手に込められた力は増した気がする。温かいなと思って私も力を込めれば、彼の手がびくりと震えた。
(変だな)
「ガルシアさん?」
心配になって、そっと彼の顔を覗き込む。そして、思わず息を呑んだ。
首から上が真っ赤で、視線が辿々しい。口はへの字になったり、あわあわと小さく開閉していて、よく見ると触れている手すら赤くなってきたようだった。意識せずとも、こちらの頬にまで紅がうつってしまう。
「き、君が……ズルい!」
「ええっ!?」
「好き! 離さない!」
ガルシアさんが勢いに任せ、私にダイブしようとしたその時だった。
「強制終了だこんのエロ魔道士こん畜生がー!!!」
「わっ」
ガルシアさんの襟首を引っ掴んで、扉の方に投げ飛ばす。けたたましい音に、私は小さな悲鳴を上げた。
「ガルシアさん!?」
「シルヴィ! シルヴィ、大丈夫か!?」
ぐいっと私の両手を取った男の人の手。農作業で固くなった掌が、力強く握ってくる。
「ナハト」
「おはよ、シルヴィ」
兵士の出で立ちをしたナハトは、なんだかいつもと違って見える。村では一番人気のある男の子だったから、きっとナハトのことが好きな女の子が見たら喜ぶだろう。
私はナハトに手を引かれ、ベッドから降りる。一応ベッドのしわを叩いて綺麗にしながら、ナハトに問いを投げかけた。
「どうしてここって分かったの?」
「エスが言ってた。昨晩はずっと訓練だったんだが、さっきようやく休みを貰えてよ。来てみたらなんだ、あの魔道士の声がしたからつい、入っちまって……ま、あと5分も無いんだけどな」
「そんなに少ないの⁉ 駄目だよ、ちゃんと体を休ませないと」
「いいんだよ。……んなことより、お前」
言葉の途中で、ナハトが吹っ飛んだ。強く壁に打ち付けられると、座り込みつつ扉の方を睨む。つられてそちらに視線を向ければ、異様に殺気立ったガルシアさんの姿が。彼は腕を振りかざしたまま、前髪の隙間から冷たい視線を突き刺している。
「休めよ。永遠に休むのなら喜んで手伝うけど」
「ざっけんなてめー、あ? シルヴィにキスマーク付けただろ!」
「「は?」」
「ここだよここ!」とナハトが示したところ。それは、夢の中でジンクさんに舐められた、私の首筋だった。咄嗟に赤くなって隠そうとする手を、ガルシアさんに掴まれる。
ナハトとガルシアさんが二人して見つめてくるものだから、恥ずかしくて目に涙が溜まってきた。
「な、なんか付いてるんですかっ……?」
「バッチリ付いてる」
「アンタが付けたくせに、しらばっくれやがって!」
再び襲いかかろうとするナハトと、先んじて魔法を放とうと構えたガルシアさん。慌てて間に入り込めば、双方をどうどうと窘めた。
「ちが、違うの二人とも!」
「誰にやられた」
「アンタだろっつの!」
「だから! えっと、これは、これは……!」
どうしよう。夢の中で魔物にされた? 精神を引き込まれてやられた? こんなこと言って、果たして信じてもらえるだろうか。ただでさえ私だってまだ半信半疑なのに、と混乱してしまう。
「蚊に、刺された痕です……」
我ながら弱々しい声だ。二人とも何も返してくれない。ナハトはきっと、私のことを疑ってるのだろう。ガルシアさんだって。
「ちょっと全世界の蚊を殺してくる」
「待て待て待て待て」
怒りながら外へ出ようとするガルシアさんを、ナハトが肩を掴んで引き留める。何、と機嫌悪く睨み付けるガルシアさんに、彼は信じられないという顔つきで口を開いた。
「アンタ、今のを信じたのか⁉」
「お前は信じなかったのか。ばーか」
「おい!?」
ガルシアさんはぺいっとナハトの手を跳ね除けると、目線を下にして淡々と語る。
「シルヴィの言うことは正しいから、俺は信じる。たとえお前が信じなくても、俺はずっとシルヴィを信じる」
「アンタなあ……」
「シルヴィのこと好きなのに、なんで信じてやれないの? 意味がわからない」
ガルシアさんの発言に、少しの罪悪感を覚えつつ。ナハトを見ると、彼は大仰にため息をついて額を抑えた。
「あー、わーったよ。信じてるよ俺だって!」
「ナハト?」
「なんだよ! だからと言って今後コイツがお前に手を出さないとは限らないだろ!」
「確かに」
ナハトの言うことに、一理どころか百理くらいあるのでうんうんと頷く。視界の端につまんなそうなガルシアさんの顔が見えたけど、そんなのお構いなしだ。しかし、ガルシアさんの手が私の腰に回ると、ぐいっと引き寄せられてしまう。
「シルヴィは俺のものなんだけど」
「違いますね」
「……あのなあ」
私が即答した後に、ナハトは額に青筋を浮かべてガルシアさんに詰め寄る。さっきから怒ってばかりだ。身体に悪いんじゃないかな……なんて空気を読まない思考を少々。
「シルヴィは、ものじゃねーよ」
「!」
「わかったらその巫山戯た行動を正せ、クソ魔道士」
「……わかってる、つもり、だった……」
意外とショックを受けたらしい。私を開放して素直に落ち込むガルシアさんに、ナハトはいくらか居心地の悪さを覚えたようだった。しょぼんと項垂れるガルシアさんは、「ごめん」とだけ私に告げる。
微妙な空気の中、紛れ込んだのは私たちではない人物。
「失礼いたしますー! あっ、ナハトも居たんだ。おはよー」
「げっ、エス」
「げっ、は余計かなーナハト。時間」
エスさんが自身の懐中時計を示した瞬間、「じゃあな!」と言い残して駆け去ったナハト。既に何かを叩き込まれているようだ……エスさん、恐るべし。
ガルシアさんはやけにエスさんを敵対視しているようだが、エスさんは刺さるような視線を華麗にスルーしている。にこやかに目を細めると、昨日よりも丁寧な口調で、私たちに向かって話し始めた。右手を左胸に添え、普段とは見違えた気品の良さを見せつけてくる。
「本日から、ガルシア様にはグレイス王並びにフェリトル王国調査隊の調査にご助力していただきますー」
「え。シルヴィは?」
「シルヴィ様にはガルシア様の付添人として、社交界のマナーの手ほどきをー。最上級の講師が執り行いますのでご安心くださーい」
相変わらず間延びした声。ガルシアさんは少しだけ顔を曇らせると、後ろ手に私の手をキュッと握った。
「……離れたくない」
「シルヴィ様はものじゃないんですよー、ガルシア様」
「!」
語尾に音符が付きそうな、軽やかなエスさんの発言に、ガルシアさんはそっと私の服を離した。拗ねたように眉を寄せるも、エスさんに一つ頷く。
「わかった。何処に行けばいい」
「お着替えが終わりましたら、講堂の方へ。調査隊員との顔合わせを兼ねて、朝食を摂ってくださいませー」
「ん」
「ひゃあっ!?」
ガルシアさんはその場で脱ぎ始め、思わず変な声を上げてしまった。視線をうろうろさせて、結局両手で顔を覆う。しばらく衣擦れの音が鳴っていたが、すぐに聞こえなくなった。
「シルヴィ様」
「は、はい」
「もう大丈夫ですよー、ガルシア様は既に行かれましたー」
「えっ、早い!」
パッと両手を外せば、確かにガルシアさんの姿はない。きちんと折り畳まれた衣服がベッドの隅に置かれており、本当に跡形もなく消えていた。転移魔法だろうか。
(何も言わずに行っちゃうなんて)
胸がぎゅっと痛む。寂しいってわけじゃないけれど、それでも思うことはあるだろう。
「私も着替えますね」
「はいー。あ、そうだ」
エスさんは私の前までやってくると、恭しく片膝をついた。優しく私の手を取ると、その甲に口づける寸前で止めた。
「……こほん! 改めまして! 本日からこのオレ、エス・ドランゲルが、貴女様の護衛兵ですー!」
「ええっ、そんなわざわざ!」
エスさんは立ち上がると、口角を上げて私を見下ろした。垂れがちの赤い瞳は、吸い込まれそうなくらい綺麗だ。
「だってもしシルヴィ様に何かあったら、ガルシア様ってば何するかわかんないでしょー?」
「なるほど」
「物分りが良いようで、何よりですー」
部屋の外で待ってますと言い残し、エスさんは退室した。朝から色んなことが起こって、頭の中がパンクしそうだ。
(私は私のできることを)
城に来た時に決意したことを繰り返す。ベッドに座って、私はパジャマのボタンを外し始めた。
(そういえば私ずっとこの恰好で居たの!? ええっ、恥ずかしいっ!!)
今更すぎた。
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