第3話 「幸せ」

「あの、すいません」

「……何」

「ローブ洗いに行っちゃダメですか?」

「うん」

「……」


 服の端っこを掴まれたまま、10数分。そろそろ動きたいけれど、ガルシアさんが許してくれない。

 ワガママな子どもみたいに眉をひそめて、私をじっと見ている彼。仕返しに見つめ返していたところ、あることに気づいた。

 この人の服は、昔話に出てくるような装いだ。黒いローブも今のものより遥かに簡素な作りだし、生地も何世紀か前の貴族が好みそうな……。想像でしかないけど、やっぱり不思議。


「ねえ。君の名前は?」

「え?」

「君の名前は何?」


 突然振られた質問に、一瞬ポカンとしてしまう。すぐにハッとして、背筋を正した。


「シルヴィ・ミラーと言います。普段はコンビニで働いていて、薬学を勉強してます」

「ふーん」


 あれ、反応が悪い……。なんて思ったのも束の間、一瞬にしてガルシアさんの姿が消えた。え!?と目を白黒させているうちに、目の前に戻ってくる。彼が平然と手に持つそれは、私がさっき落とした教科書だった。


「これ。ちょっと土付けた、ごめん」

「大丈夫です、ありがとうございます」


 受け渡しの際、ちょこっと手が触れた瞬間に彼の頬がポッと赤くなった気がしたんだけど。たぶん気の所為かなと流すことにした。

 薬学の教科書を抱きしめて、再度お願いしてみる。


「あの」

「何」

「教科書を仕舞いたいので、離して貰えませんか?」


 ガルシアさんは冷静沈着な表情を保ったまま何かを考えて居たが、やがてそっと裾を握る手を引っ込ませてくれた。軽く頭を下げてから、いそいそと教科書を仕舞いに行く。

 そのままローブも洗いに行こう、そうしよう。私が取りに向かうと、ガルシアさんは暇そうに欠伸を噛み殺していた。そっちに意識を向けたために、私はローブの裾に足を引っ掛けてしまう。


「あ!?」

「!」


 床に頭をぶつける前に、私は衝撃を覚悟して目をぎゅっと閉じる。しかし、痛みがやって来ることは無かった。代わりに感じたのは、温かくしっかりとした体躯に包み込まれる感覚だけ。不思議だけれど心地の良い香りにそっと目を開ければ、自分の置かれた状況を悟る。


「幸せ」

「あっああああすいません!すいません!」


 倒れ込んだガルシアさんに、すっぽりと抱きすくめられていた。どうやら、魔法で私を引き寄せ抱き留めたらしい。なんだろう、このやるせない気持ちは……!


「君なら何回だって抱きしめたい」

「え、ええ……?」


 スラッと言えてしまう辺り、相当な手練なんだろう。下手にキュンとして迷惑を掛けてしまうのも頂けない。ガバッと起きたら軽く流して、ローブを持ち直す。

 そして、服の裾を掴まれた。

 振り出しに戻る……。

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