トモダチ
トモダチを殺した。
私をノケモノにしたから。
流れ星が、私の願いを叶えてくれたから。
「ノケモノじゃなくなる勇気を、私に下さい」
三回唱えた。気付くと私はベッドの上。夢かと思った。けれど、願いはキチンと私の物になっていたらしい。勇気が出たから。
水曜日。放課後の教室へ、私はトモダチを呼び出す。なんの用、って他人事みたいに云うから、とりあえずその首筋を、彼女が切った私の制服みたいにカッターでスッパリ裁断してみた。したかった。失敗した。首の全部は切れなくて、頸動脈を切って終わった。仕方ないと思う。人を切るのは、これが初めてだったし。
ひゅー、ひゅー、ひゅー
彼女の音を聴きながら、私は、はじめて包丁を使ったときのことを思い出した。お母さんがカレーを作るのを、見よう見まねで手伝ったんだ。いつも水曜日につくるカレー。右手薬指の爪の下を思いきり抉って、お父さんもお母さんもおばあちゃんも、みんな大騒ぎになったからよく覚えてる。薬指の爪は、今も変わった形で生えてくるけど、「私が死んだらそれで判るね」って、冗談めかして話してたっけ。この子にも。
ひゅー、ひゅー、ひゅー、ひゅー
今日の晩ご飯なんだろうな。やっぱり、水曜日だからカレーかな。カレーだったら、辛い方がいいな。でもお母さん、辛いの苦手だからな。どうなるんだろう。サラダもあって、盛りつけて、ハムとか、一緒にドレッシングとかかけてさ。
ひゅー、ひゅー、ふひゅー
あっさりだったなあ。ほんとうにあっさりだったと思う。首は全然切れてないのに、これでも人って死んでいくんだ。ぼうっとさっきから、彼女のしぼんでゆく様を眺めているけど、なんだかあんまり実感がない。お星さまが私に見せた冗談だと思っていたから。本当に上手くいくなんて、こんな風にできるなんて、思わなかったな。
ひゅーひゅー、ひゅふ、ひゅ
トモダチの口から漏れる空気の束が、首筋から飛び出す血液の波打ちにあわせ鳴っている。彼女は私を睨んで、いろいろなものを漏らしているのに、必死に堪えようとする。でも、きっと駄目だ。今の彼女はもう、先に穴の空いた避妊具と同じなんだから。無意味に命の源を、溢れて全部吐き出して、死んじゃうんだ。一度ソレが溢れ出したら、もう、止まりっこないんだもの。我慢しちゃ駄目。
ひゅ、ひゅ
ひゅ
「ふひ」
嗤うみたいに息を吐き出し、トモダチは空っぽになった。空っぽになるあいだ、トモダチはずうっと私を睨んで、私に腕を伸ばして、私に助けを求めてた。握り返すはずなんかないのに。彼女の白のワイシャツが、赤い血潮に染まっている。私は、眼下に広がる彼女の紅葉を眺めながら、「これでようやく、私はノケモノじゃなくなるんだ」って思った。願いの叶う可能性が、ぜんぶ失われたっていうのに。
教室を出る。手にカッターがへばりついて離れない。私は確かにノケモノだった。けれどホントは、私は彼女にとって、ノケモノじゃ無かった筈なんだ。だのにいつからかトモダチは、あの人たちと同じに、私をノケモノ扱いしはじめた。トモダチ自身が、ノケモノになってしまいそうだったから。だから我慢していた。痛いほど気持ちが、よく判ったから。
「ノケモノじゃなくなる勇気を、私に下さい」
屋上の扉を開ける。本当にこれは、お星さまが私にくれた、勇気だったのだろうか。さっきまでの私は、確かにコレが一番正しい方法だと思ってた。信じていた。今はよく判らない。お星さまの言葉を早とちりした私の、狭く縮こまった一瞬だったのかもしれない。
その一瞬に、私は一生の全てを懸けてしまった。この勇気には、もっと、別の使い道があった筈なのに。でも、もうわからない。そんな穏やかな未来なんて。きっともう、トモダチには戻ることなんてできやしなかったんだ。思いつくことなんてありはしなかったんだ。
二つの道は、確かにあったのやもしれない。けれど片方の路は潰れていた。
そう思うしかなかったんだよね。貴方も。
遠くに私の家が見える。今日の晩ご飯。きっとカレーライス。お母さん、私の帰りを待ってるのかな。お母さんの作る晩ご飯、おいしいんだろうな。食べたかったな。薬指の爪、剥がれないといいな。
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