第三章 アズサ・その5

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 というわけで、序章の一件だったのである。


「初仕事だったけど、意外にうまくいくもんだぜ。じゃ、寿命の件は頼んだぜ。俺はどうにもできないから」


「わかってるわよ。安心しなさい。さ、帰りましょう」


 言って、閻魔姫がスタスタ歩きだした。ヒロキくんがあとにつづく。


「これで一年くらいはユウキの寿命も継ぎ足されるし、当分は問題なしだな。あと七、八〇件も同じことを繰り返せば、ユウキも人並みの幸せを手にできるだろ」


「そういう計算になるわね。でも、女の子に命を分け与えるなんて、いいとこあるじゃない」


「同じ学校のクラスメートを見殺しにできるわけねーじゃん。で、問題は俺だなァ」


「あら、この閻魔姫様の家来になれたのよ。光栄に思いなさい」


 わざとらしく言ったのに、閻魔姫に嫌味は通用しないらしい。


「なァ、俺って、ひょっとして、このまま歳とらないのか?」


「さァ? たぶんそうなんじゃない? 生きてない不死者なんだし」


「いまはいいけど、そのうち、変な目で見られるな、俺。高校でたら引っ越して、あとは、三年ごと位で、あっちこっちを転々とする人生か。残りの寿命が七〇年って言ってたから、二〇回以上も引っ越しかよ。面倒なことになっちまったな」


「あら、だったら地獄界にくればいいのよ」


「は?」


「あなたは私の家来なんだから。パパが、私に閻魔大王の跡を継いでいいって言ってくれたら、私、地獄界に戻るし。そのときはヒロキも一緒にきなさい。そうしたら、寿命がきて本当に死んじゃっても、そのまま地獄界で働けばいいだけでしょ?」


「姫が俺の魂を戻してくれたら、たぶん俺は生きてる人間に戻れるんだけど」


「え? なァに? 聞こえない」


 都合の悪い話は聞こえないふり。ヒロキくんがため息をついた。


「しっかし、ゾンビなんだから、俺、いつか暴走して、バイオハザードみたいに人を襲うんじゃないかって不安だったんだけど、意外にまともなもんなんだな」


「あんなだったら、私だって家来にしてないわよ。首を切った時点で放ったらかしにしてるわ」


「ま、そりゃそうだ。――?」


 普通に歩きながら相槌を打ったヒロキくん、ここで足を止めた。


「姫、なんか、変じゃないか?」


 ヒロキくんが言うのも当然であった。この瞬間、周囲をとりまく空気が変質したのである。それを感知してのけたのは、生者ではなくなったがための超感覚か。前を歩いていた閻魔姫も、少しして気づいたらしく、夜空を見あげた。


「見つけましたよ閻魔姫様。人間界で違法に歴史が書き換えられていたから、もしやと思ったら」


 澄んだ声が、声の主とともに上空から降りてきた。アズサである。感情を見せない冷えた美貌は――たとえになってないが――さながら美しき死神のようであった。ヒロキくんが身構えるが、アズサはヒロキくんではなくて閻魔姫を見ていた。


「やはり、地獄界にはいらっしゃらなかったのですね。ほかの者どもが、いくら探しても見つけられなかったはずです」


「あなた、誰?」


「お初にお目にかかります。アズサと申します。閻魔大王様のお言葉を受けて、閻魔姫様のお迎えにあがりました」


「ボタンさんと同じ死神さんか。ま、一〇〇パーセント同じってわけでもなさそうだけどな。なんか、少し違う能力を持ってそうだ。生まれつき足が速いとか、特別に絵がうまいとかっていう個人差か?」


 とはヒロキくんの独り言である。相変わらず、アズサはヒロキくんをガン無視であった。


「閻魔姫様、帰りましょう。閻魔大王様がお待ちです」


「何を言ってるの? 帰るわけないじゃない。あなたひとりで帰りなさいよ」


「そうはまいりません」


「そうはまいりませんって、私の命令よ?」


「ボタンという死神は、閻魔姫様の命令を聞くお付きだったと聞いておりますが、わたくしは、閻魔姫様の命令を聞けという命令を受けておりませんので」


 言い、アズサが閻魔姫に近づいた。閻魔姫があとずさるより早く、右手で閻魔姫の腕をとる。


「さ、帰りましょう」


「ちょっと、離してよ!」


「いけません。これは閻魔大王様の命令ですから。きていただきます」


「いやだ! 痛い! 離してってば!! ヒロキ!!」


「あの、すみませんね。アズサさん、ですか? いま、俺、声をかけられちゃったもんで。つか、この娘、痛いって言ってるんですけど」


 閻魔姫が名前を呼ぶのと同時に、ヒロキくんが、あまり楽しくもなさそうな調子でアズサに近づいた。アズサが目だけ動かしてヒロキを見る。


「閻魔姫様、この人間はなんですか?」


「私の家来よ。ヒロキって言うの。強いんだからね。あんたなんか、すぐにやっつけちゃうんだからね」


「いや、俺、べつに強くないんだけど。そんなことより、その娘から手を離してくれませんか?」


「さがっていろ。人間」


 アズサが、閻魔姫の手をとったまま、ヒロキくんのほうをむいた。――風が吹いた、とヒロキくんは錯覚したが、実際はなんだったのだろうか。後退したい気分を押し殺して、普通に立つヒロキくん。さっきまで無表情だったアズサの柳眉が寄った。


「何者だ? 貴様」


「ヒロキってもんです。そこの、閻魔姫の家来ッスよ。なりたくてなったわけじゃねーけど」


「何を言っているのだ貴様? なぜ、いまので気を失わん?」


 やっぱり何かやったらしい。ヒロキくんが苦笑する。


「普通の人間じゃないから、だと思うなァ。あんたが何をやったのか、俺も知らないから、想像でものを言うしかないけどさ」


「――本当に、何者だ?」


「言ってるだろ。普通の人間じゃないって」


「冗談で切り抜けるつもりか」


 アズサが左掌をヒロキくんにむけた。真紅の唇が笑みの形に歪む。


「私は閻魔大王様から、多少の騒動は起こしてもかまわんと許可されている。相手を見てものを言うべきだったな」

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