第14話 憂鬱な日もあるさ

 穏やかな朝の日差しがカーテンから射し込んでいることに気づく。目を覚ますと黒いデジタル時計の表示は九時を示している。悪くない気分だ。今日は中学校の同級生の花見と会う約束している。テニス部で僕と花見は出会った。男女が一緒に練習することはまれだったが、大会で顔を合わせることは多かった。花見は小柄な女性でテニスがそれなりに上手かった。勉強もできたし、今もそれなりに充実した人生を送っていることだろう。

 SNSのメッセージが二日前に届いた。

「突然の連絡ごめんなさい。久しぶりに私たち会えないかしら?」

 僕はメッセージを五分後に受け取り、「もちろん。僕は、週末は空いているから君の都合がつく日に会おう」と送った。

 僕ははやる気持ちを抑えて、昨日パン屋で買った朝食のベーグルサンドを食べた。

 今あいつは何をしてるんだろうな。

 そんなことが頭をよぎる。

 いったい待ち合わせの午後六時まで、家からの距離を考えてここを出るのが午後五時だとして、それまで何をすればいいのだろう。

 僕はテレビゲームをしていた。なんでまたテレビゲームなんかしているのだろう。最近発売されたゲームを購入し、それを友達が来た時用にとっておいたのだ。

 ゲームに疲れ、漫画を部屋で読んで、時計の針は午後一時。昼ご飯の時間だ。僕は部屋でやきそばを作って食べた。

 午後の時間何しよう。暇だし退屈だった。僕は思った。先に行って街をうろうろしてるだけでもいいんじゃないか。

 僕はジャケットにベージュの長ズボンを履いて、髪をワックスで固めて、部屋を出た。

 電車で一時間。僕はスマホでゲームをやっていた。今年で二十五になるが、ゲームは楽しい。

 結局途中駅の本屋に行って寄り道で午後三時前についた。僕はコーヒー店でカフェラテを飲んだ。

 午後四時になり、僕は待ちきれなくなり、待ち合わせの駅の改札まで行った。その間スマホでゲームをした。

 五時まで十分前に花見はやってきた。

 くりくりした目、伸びた背、長い黒髪。

「やあやあ。元気ですか?」

 花見は僕に声をかける。

「あー。元気だよ」

「元気が何よりですからね」

 ちょっとしゃべり方変だった。

 僕は調べておいたレストランまで彼女の隣を歩いた。心臓が高鳴る。

「中学を卒業して以来だね。今は何の仕事をしているの?」と僕は言った。

「えーと」

 花見は言葉に詰まったようだった。

 あー。聞いちゃまずかったかな。

「あの。地下でアイドルをやっております」

「なるほど」と僕は言った。

 確かにこの口調は仕事柄のせいなのかな。

「えー。アイドルなの!?」

 僕は思わず、大きな声を出した。

「川崎君は?」

「僕は塾で働いている」

「えー。なんだか似合うね」

 レストランまで着き、店内に入った。

 店の奥のテーブルに案内された。壁にはゴッホの絵が飾ってあった。

「私、お酒が好きなのよ」

 花見はそう言った。

「僕もお酒好きだよ」

「じゃあワインのボトル頼んじゃいましょ」

「料理は?」

「じゃあこのトマトパスタ」

「じゃあ僕はカルボナーラで」

 店員に赤ワインのボトルとトマトパスタとカルボナーラを頼んだ。

「ところでなんでアイドルに?」

「いろいろあったのよ。話すと長くなるわね。高校を中退して……」

「え? 高校辞めちゃったの」

「そうよ。今思い出しても辛かったわ」


 帰り道、繁華街を二人で歩いていた。

「君の家に行っていい?」と花見は言った。

「別にいいけど何もないよ」

「もう一人でいたくないのよ。駄目ね。疲れちゃった」

 電車に乗って、僕の住むマンションまで向かった。住宅街を歩いていき、マンションのエントランスを通過する。部屋の鍵を開けると僕の部屋に花見は入ってきた。

「いったい何があったんだよ?」

「私はね、激しく混乱しているの。変なことばかり起こってね。私の脳は壊れちゃったみたいね」

 花見は僕のベッドに寝転んだ。

「おいおい。いったいどうしたんだよ?」

「もう嫌なのよ。疲れているのか全てが皮肉に聞こえちゃうわ」

 花見は僕のベッドで泣いていた。

 僕は「何かできることはない?」と聞いてみた。「何もないよ」と花見は言った。

 僕はコーヒーを二人分淹れた。

「辛かったらいつでも僕の部屋に来てくれて構わないよ」

「ええ。そうするわ」

「煙草は吸う?」

「ええ」

「じゃあベランダで景色を見ながら煙草を吸おう。気分が晴れるよ」

 僕らは煙草を夜にふかした。このくらいしか僕にできることはなかった。

 花見は黙って遠くの空を眺めていた。星がまばらに銀色に輝いている。

「僕は、君に会うのが楽しみだったんだ。職場に気の合う女性はなかなかいないから。僕は昔、君と話した時、すごく気が合うなと思ったよ」

「口説いてるの?」

 花見はそう言った。

「いや、本音をつぶやいただけだよ」

「私、今憂鬱なのよ」

「僕といると憂鬱なの?」

「いや、少しは安心するわ」

「そりゃあよかった」

 部屋に戻り、花見は「ありがとう」と言った。

「どういたしまして」

 その日、以来花見と僕は同棲を始めた。奇妙な同棲だった。花見は「死にたい」と口にしてばかりいて、僕は「死にたい」と言わなくなるまで一緒にいようとした。

「君の中から悪魔がいなくなるといいね」と僕は言った。

「おそろしい悪魔よ」

 僕は花見のライブに行くこともあったが、結構な人気だった。観客は五百人いて、彼女の歌を聞いたが、なかなか歌声というものは僕を引き付けた。

 それから、彼女はテレビに出るほど有名になった。僕は彼女のことをまだ心配していた。花見。頑張って生き抜いてくれ。それが僕の願いだったのだ。僕は花見のことを愛していた。



 

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